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狭山クッションの会(岩瀬直樹主催教員研修)に参加してVol.1

僕は密かに岩瀬さん(軽井沢風越学園校長通称「ゴリ」)とたまちゃん(横浜市教員)が主催する「狭山クッションの会」に参加している。まあ「密かに」って秘密にしているわけではないんだけど。笑


狭山クッションの会とは!?

 「狭山クッションの会」とは、岩瀬さん(みんなは「ゴリさん」って岩瀬さんのことを呼ぶけど、なんか僕はそれがしっくりこなくて「岩瀬さん」と呼んでいる。埼玉教員時代に娘さんを担任したことがあるからかな。)の自宅を改築した研修施設を利用して、埼玉近隣の中堅の先生方が集まり、みんなでお勉強する感じの会です。
埼玉近隣とは言っても、横浜の人とか、千葉の人とか、岩瀬さんの教え子だった人もいて、多様なメンバーで構成されています。
狭山クッションの会は、もう3回目。だいたい半年に一回開催しています。1回目は「聴く」をテーマに丸二日間泊まり込みで学び合いました。2回目のテーマを「問い」でした。今回の3回目は1日みっちりで。9:00から19:00まで10時間!!それでも僕にとっては、いつもあっという間に過ぎてしまう時間です。

①チェックイン

  • 呼ばれたい名前

  • 元気度10段階

  • 今の感じ

  • 今日の会で期待すること

だったかな。
僕はあえて今回は真っ白な気持ちで参加した。何かを学びたいと目的を決めるのではなく、参加者のみんなと偶発的に生まれた問いや、誰かの関心に寄り添うことに身を委ねてみたい気持ちだったんだよね。

②インストラクション

今日のテーマ「あり方」

岩瀬さんから冒頭の写真のホワイトボードが提示された。「あり方」が大事だって。それは最近僕も職場の同僚と考えていることだったから、僕の関心にドンピシャのテーマだった。

③エンゲージメントカードで自分の大切にしている価値を考える

僕が最終的に選んだカード

 今回は4人1組。まずカードをランダムで5枚もらえるんだけど、山札からカードを1枚ずつ引いてどれかを捨てるということを山札が無くなるまで繰り返す。誰かが捨てたカードをもらうのもあり。カードを捨てる際にはなぜそのカードを捨てたのかを伝える。持ち札を見せるのは最後。5つのカードを選んだ理由を語っていく。

 このアクティビティーで大事なのは何よりも聴くこと。聴き手がいることで成立するアクティビティーはたくさんある。やっぱり聴いてくれるから、話そうと思えるんだよね。聴いてくれるから人がいて初めて「聲」になる。言葉に意味が付与されるんだよね(1回目の研修が活きている。)。

 色んな価値カードがあったんだけど僕が最終的に選んだカードは、「感謝」「冒険」「自由」「コミュニケーション」「ポジティブさ」だった。きっとその時の関係性で選ぶカードは変わるんだろうけど。とりあえず、目の前のカードの中から取捨選択したのはこの5枚だった。
僕と組んでくれた他の3人も選んだカードの趣向は様々で、何を捨てるか、どんな理由で捨てるか、そこでなんとなくその人の大切にしていることはわかるんだけど、選んだカードが何かは最後までわからないから、最後の5枚のカードを選んだ理由を聴くまで、その価値を大切にしている人だったのかと、3回目にして初めて気づくこともあった。

 選んだカードをもとに今度はペア活動。最初の問いは「自分が選んだ価値カードを、自分の『よさ』としていかせるか。」。次は、「教師としての影響」。前者は未来のこと、後者は過去のこと、について考える時間だった。これがなんだか難しかったなあ。自分の大事にしていることが教師としての影響として悪い方向に働くのだとしたら、どうすればよいのだろう。根本的に考え方を変えていくしかないのだろうか。それともどのような価値を大事していようと、ポジティブな方向へ自分を発揮することができるのかな。そもそも自分を生(活)かすってなんだろう。そうやって生きる、働くってどういうことだろう。
 そんなことを思っていたら、次は「自分をいかして生きる」という本が配られた。

④本を読んで、感じたことを聴き合う

 僕は読んだことはなかったんだけど、岩瀬さんのおすすめの本だそう。「最初8分であらすじを読んで、感じたことを、文章に戻りながら話していこう。」。そんなインストラクションがあった。
 なるほど。③でやったことはここにつながってくるのか。と、思いながら
あらすじを読んだ僕が、印象に残った箇所はP.10のL7。

成果とは目標ではなく、結果にすぎないということも、あらためて心に刻んだ。

西村佳哲(2011)「自分をいかして生きる」ちくま文庫

 成果は結果にすぎないと、自信をもって言えるような、「学びのプロセス」を大事にしていきたいな。あとは、P.15のL8から始まるここ。

単純な話、「やらされてやっている」ような仕事の累積で、社会が出来上がってしまったら、つまらないし、生きている甲斐が感じられないので。

西村佳哲(2011)「自分をいかして生きる」ちくま文


 自分はどれだけ、やりたいことをやれているだろうか。僕はまだけっこうやれている方なんだろうな…。
 この仕事の話は、何も大人の問題だけを言っているのではないと思う。今の子どもたちだって、学校生活を生きている。学校が子どもたちにとってやらされているだけの場だったら、きっと子どもたちだって生きている甲斐を感じられないよね。

また8分読んで思ったことを共有することを繰り返す。
そして、P.45。

自分が「いる」仕事をすること。それが、会社が働き甲斐のある会社に、人の集まりが関わり甲斐のある集まりに、今この瞬間が生き甲斐のある時間になる始まりなんじゃないかと思う。

西村佳哲(2011)「自分をいかして生きる」ちくま文

自分はちゃんとここに「いる」。そう感じる瞬間ってどんなときだろうか。わたしがいる。わたしがわたしであることを自覚すること。大人もどれだけ、できているだろうか。
 子どもたちは、同じ年齢で集められた一斉指導型の教室の中で、どれだけ「わたし」でいることを許容されているだろうか。

やっぱりこのままではよくないなぁ。学校…。

気づいたら、12:30!
3時間があっという間でした!!

続きはVol.2に書こうと思います。

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