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和歌山紀北の葬送習俗(14)湯灌②

▼まず、このページには死体に関する描写があります。読み手に心的外傷を与える可能性があるので注意して下さい。学問的な文脈から述べるにすぎないものですが、一切の責任は問いかねます。
▼登場する市町村名とその位置は『和歌山紀北の葬送習俗(3)死亡前の習俗』を参照して下さい。ほとんどの事例は全国各地にみられることから、掲出している市町村名にあまり意味はありません。
▼今回は、前回『和歌山紀北の葬送習俗(13)湯灌(その1)』からのつづきです。

1.湯灌に使う湯の作り方

▼湯灌で遺体を拭き清めるのに使う湯は、特殊な作り方をします。早速事例をみましょう。

・水を入れた盥(たらい)に湯を注いで加減する(奈良県五條市下島野,奈良県吉野郡野迫川村弓手原,奈良県吉野郡旧賀名生村,奈良県吉野郡旧西吉野村,和歌山県,和歌山県橋本市,和歌山県伊都郡かつらぎ町大久保,和歌山県伊都郡かつらぎ町天野,和歌山県旧那賀郡貴志川町北山,和歌山県海草郡旧野上町,和歌山県海草郡旧下津町大窪,和歌山県西牟婁郡旧田辺町:年代は省略)
・湯灌に使う湯は蓋をせずに沸かす(奈良県吉野郡野迫川村弓手原:昭和40年代,奈良県吉野郡旧賀名生村:昭和30年代,和歌山県橋本市:昭和40年代,和歌山県海草郡旧下津町大窪:昭和50年代)

▼「湯に水を入れてぬるま湯にする」のではなく「水に湯を入れてぬるま湯にする」ことを「サカサミズ(逆さ水)」などといいます。このように、普段と真逆の手順を踏むのは絶縁儀礼の典型例で(『和歌山紀北の葬送習俗(1)予備知識』参照)、遺体を拭き清めるとともに「生きている者を巻き込むなよ」という意味が込められています。

2.湯灌における遺体の取り扱い方

▼湯灌では、遺体をまず適切な体位に転換させます。事例をみましょう。

・盥(たらい)の上に渡した板の上に座らせる(奈良県五條市下島野:昭和30年代,和歌山県橋本市:昭和40年代,和歌山県海草郡旧下津町大窪:昭和50年代)
・藁敷きに逆さに置いた盥の上に座らせる(和歌山県旧那賀郡貴志川町甘露寺:昭和50年代)
・盥の中に座らせる(和歌山県海草郡旧野上町:昭和60年代)
・寺から借りてきた盥の中に座らせる(和歌山県旧那賀郡粉河町:平成初年代)
・盥の中に入れる(奈良県吉野郡旧大塔村篠原:昭和50年代,奈良県吉野郡旧西吉野村:昭和30年代)
・盥を伏せて座らせる(奈良県旧那賀郡岩出町:昭和40年代)
・遺体に胡坐をかかせる(和歌山県西牟婁郡旧田辺町:昭和初年代)
・硬直している場合は寝かせたまま(和歌山県海草郡旧野上町:昭和60年代)
・最近はだんだん変わってきているが、もとは全く僧形にした(和歌山県旧那賀郡田中村:昭和10年代)

▼このように、遺体をまず盥(たらい)の中に入れ、次に座位にして胡坐(あぐら)をかかせてから拭くというのが本来の湯灌の基本的な手順です。湯灌時に遺体を座位にする第一義的な理由は、座棺に納棺することを前提としていたからで、湯灌を終えた遺体はそのままの状態で納棺されます。そして、遺体に胡坐をかかせるのは、上の例で「僧形にした」とあるように、胡坐をかいた仏像の姿にして湯灌を行い、その後も(縄で縛るなどして)胡坐をかいた仏像の姿を模倣した状態で座棺に納棺したと考えられます。

3.湯灌における遺体の拭き方

▼遺体に座位を取らせたうえで(このとき遺体を支える血縁者(男性が望ましい)がもう一人必要)、それを拭き清めます。拭き清めるときの事例をみましょう。

・左手に柄杓(ひしゃく)を持ち、逆さ手に頭から湯を注ぐ(和歌山県:昭和40年代)
・柄杓を逆手に取る(和歌山県海草郡旧下津町大窪:昭和50年代)
・丁寧に洗う(奈良県五條市下島野:昭和30年代,和歌山県橋本市:昭和40年代)
・晒で拭く(和歌山県伊都郡かつらぎ町大久保:昭和50年代)
・タオルでぬぐう(和歌山県旧那賀郡粉河町:平成初年代)
・新しい藁を束ねたタワシで身体をよく洗い、頭から湯を注ぐ(和歌山県西牟婁郡旧田辺町:昭和初年代)
・必ず新しい柄杓を使う(和歌山県西牟婁郡旧田辺町:昭和初年代)
・アルコールを使用するようになったのは昭和初期である(奈良県吉野郡旧西吉野村:昭和初期)

▼柄杓(ひしゃく)を逆さに持つという動作がイメージしにくいですが、これは順手、逆手のように持ち方を普段とは逆にすることをいいます。これも、明らかな絶縁儀礼です。また、新しい藁を束ねたタワシ、新しい柄杓を使うという点は、普段とは異なるタワシや柄杓を使うという意味で絶縁儀礼であるほか、普段使っているものに死忌みがかかるから新しいものをという意味があると考えられます。

4.湯灌で使った湯と道具の処分方法

▼湯灌で使った湯には、当然死忌みがかかっています。どのように処分するのでしょうか。事例をみましょう。

・床下に捨てる(奈良県五條市火打・中筋,奈良県吉野郡旧大塔村篠原,奈良県吉野郡旧賀名生村,奈良県吉野郡旧西吉野村,和歌山県橋本市,和歌山県,和歌山県伊都郡かつらぎ町大久保:年代は省略)
・日の当たらない所に捨てる(奈良県五條市火打・中筋:昭和30年代,奈良県吉野郡旧大塔村:昭和30年代,和歌山県橋本市:昭和40年代)
・雨垂れの落ちる所に捨てる(和歌山県伊都郡かつらぎ町天野:年代不詳)
・便所に捨てる(奈良県吉野郡野迫川村弓手原:昭和40年代,和歌山県伊都郡かつらぎ町平:昭和50年代)
・山中の特定の場所に捨てる(奈良県五條市下島野:昭和30年代)
・最近は墓に捨てる(奈良県吉野郡旧西吉野村:昭和30年代)

▼このように、死忌みのかかっている湯は床下や日の当たらない場所、雨垂れの下、便所、山中、墓など、基本的には家の外、人が寄り集まらない所に捨てるのが原則であったようです。
▼また、湯灌に使った道具類は以下のように処分されます。事例をみましょう。

・使った晒は棺と一緒に埋葬する(和歌山県伊都郡かつらぎ町大久保:昭和50年代)
・使った布は畑で焼き捨てる(和歌山県伊都郡かつらぎ町平:昭和50年代)
・使ったタオルは焼き捨てる(和歌山県伊都郡かつらぎ町天野:年代不詳)
・使った柄杓は底を抜いて処分する(和歌山県西牟婁郡旧田辺町:昭和初年代)

▼使った道具を埋める、焼く、二度と使えないようにする、などの事例は他の事例と同じく、絶縁儀礼+死忌み観念の意味があると考えられます。葬送習俗では、柄杓の底を抜くなど、想像すると非常にグロテスクな行為がしばしばみられ、人びとによる絶縁儀礼の厳しさを感じさせます。

5.湯灌その他

▼湯灌にまつわるその他の習俗に関する事例を集めてみました。

・水を汲みに行った者を必ず迎えに行く(和歌山県海草郡旧下津町大窪:昭和50年代)
・湯灌のために水を汲みに行く時に、汲みに行った者を必ず呼びに行く地区もある(和歌山県橋本市:昭和40年代)
・湯灌の前に浄め酒といって酒をひやのまま飲んだ(奈良県吉野郡旧大塔村篠原:昭和50年代)
・湯灌が終わると塩で手を洗い浄めた(奈良県吉野郡旧大塔村篠原:昭和50年代)

▼水を汲みに行った者を必ず迎えに行く、呼びに行くという行為は、「連れていかれる」など、成仏していない故人の霊魂の悪行から防禦するという呪術的な意味が、そして湯灌のお清めは当然としても、湯灌にお清めすることは、やはり普段とは真逆の所作をするという絶縁儀礼の意味があると考えられます。

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▼管理人は湯灌を実際に見たことはありません。生まれ育った村落共同体の葬送儀礼の残り具合から、祖父、祖母が死亡したときはおそらく自宅で湯灌が行われたと想像します。ただ、親はそれを子どもには意図的に見せなかったのでしょう。

🔸🔸🔸(まだまだ)次回につづく🔸🔸🔸


文献

●賀名生村史編集委員会編(1959)『賀名生村史』賀名生村史刊行委員会.
●五條市史調査委員会編(1958)『五條市史.下巻』五條市史刊行会.
●橋本市史編さん委員会編(1975)『橋本市史.下巻』橋本市.
●近畿民俗学会(1980)「和歌山県那賀郡貴志川町共同調査報告」『近畿民俗』82、pp1-28.
●近畿民俗学会(1980)「和歌山県伊都郡かつらぎ町天野共同調査報告集(Ⅰ)」『近畿民俗』83、pp3369-3436.
●松本保千代(1979)「和歌山県の葬送・墓制」堀哲他『近畿の葬送・墓制』明玄書房.
●那賀郡田中尋常高等小学校田中村郷土誌編纂部編(1939)『田中村郷土誌』那賀郡田中尋常高等小学校田中村郷土誌編纂部.
●西吉野村史編集委員会編(1963)『西吉野村史』西吉野村教育委員会.
●野上町誌編さん委員会編(1985)『野上町誌.下巻』野上町.
●野迫川村史編集委員会編(1974)『野迫川村史』野迫川村.
●大塔村史編集委員会編(1959)『大塔村史』大塔村.
●大塔村史編集委員会編(1979)『奈良県大塔村史』大塔村.
●玉村禎祥(1972)「紀州岩出町の民俗―人生儀礼―」『民俗学論叢:沢田四郎作博士記念』pp88-95.
●東京女子大学文理学部史学科民俗調査団(1985)『紀北四郷の民俗:和歌山県伊都郡かつらぎ町平・大久保』東京女子大学文理学部史学科民俗調査団.
●横井教章(2016)「湯灌に関する一考察」『佛教経済研究』(駒澤大学)45、pp175-204.
※各事例に付記した年代は、文献発行年の年代(例:昭和48年発行→昭和40年代)とし、その文献が別文献から引用している場合(=管理人が孫引きする場合)は原文献の発行年の年代を付記した。但し、文献収集の段階で現代の市町村史が近代のそれをそのまま転載している事例がいくつか判明した(例:昭和中期の『●●町史』が大正時代の『●●郡誌』を転載、昭和中期の『●●町史』が昭和初期の『●●村誌』を転載、など)。したがって、事例の年代に関する信頼性は疑わしく、せいぜい「近世か近代か現代か」程度に捉えるのが適切である。

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