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和歌山紀北の葬送習俗(1)予備知識

▼まず、このページには死体に関する描写があります。読み手に心的外傷を与える可能性があるので注意して下さい。学問的な文脈から述べるにすぎないものですが、一切の責任は問いかねます。
▼葬送は忌むべき習俗でありながらも、児童期、少年期の貴重な生活体験の一つとして管理人の記憶に残っているので、局地的な事例を交えながらそのディテールに迫ってみたいと思います。

1.死体をめぐる観念

▼人はいったい、何歳くらいから死体を恐怖の対象として認識するのでしょうか。7歳頃にはじめて親族の死体を見たときは恐怖を感じませんでした。しかし、いつの間にか死体が怖くなっているのです。この恐怖は先天的、本能的なものなのか、それともテレビや寓話など外部の情報による後天的なものなのかはわかりません。死体が怖いという認識がいつの間にか自己の内面に形成されているのです。・・・・と、ここまでは単なる前置きです。
▼昔の人は、人が死ぬとそれまで肉体の中にあった魂や霊魂が抜けると考えました。肉体には寿命があり(=有限性)、魂は生き続ける(=永続性)と考えることを、専門的には二元論的心身観霊肉二元論(デュアリズム)などといいます(長沢 2011)。
▼このうち、霊魂が永遠に生き続けるとする観念は古代から存在しており、霊魂が現実の人間社会に「祟り」や災いをもたらすという信念は現在も人びとの生活や文化に根付いています。この「祟り」という奴は「穢れ」と同様、脳に意識的、無意識的にこびりついて容易に離れようとしません。また、流産や乳幼児の死、事故死や自死など、特別な事情によって死者が出た場合、その死体から放たれた霊魂が現実の人間社会に「祟り」や災いをもたらすという観念も昔からあったらしく、これも現代の葬送儀礼や習俗に反映されています。
▼では、死体についてはどうでしょうか。死体は腐敗して悪臭を放ったり、感染症の原因になったりすることから生理的嫌悪の対象となり、これに「不浄」や「穢れ」といった宗教的な教えが加わって、過去現在と、死体は悪いものだから可及的速やかに処分するのがよいということになっています。
▼しかし、民俗学では、もともと死体と日常生活との間には親近性があったのではないかとする見解のほうが有力です。私たちは、他者の肉体や死体から分泌・排出される血液や便、垢、唾などに対して生理的に嫌悪しますが、頭髪と爪を高野山に納めたり、遺族が肌身離さず持ち続けたりするなど丁寧に扱ってきました。また、出産時に臍の緒や産毛の一部を切り取って大切に保存する習慣もあります。もとより、遺族が親族の死体を見たときには、恐怖よりも愛慕感情を抱きがちです。よって、人は死体を一律に不浄であると忌避してきたわけではありません(長沢 2011)。現在、私たちが通常抱く死体に対する嫌悪や恐怖の感情は、縁もゆかりもない第三者としての死体に対するものであると考えられます。

2.葬送における4つの儀礼的プロセス

▼ここからは、主に仏教(厳密には神道の思想が混じっている)様式の葬送を扱います。
▼葬送は祭礼、儀礼の一種で、さきに述べた霊肉二元論でいうところの死体と霊魂の両方をおさめること、すなわち、死体を埋葬することと、霊魂を鎮めること、の2つの民俗学的意味を持っています。また、葬送は古典的なコミュニティでは子どもが大人に成長していく過程で避けがたいライフイベントとなるので、通過儀礼の一つとしても捉えることができます。
▼八木は、葬送が4つの儀礼のプロセスからなると規定しています。要点を整理しておきます(八木 2018)。これを知っていないと葬送は理解できません

(1)蘇生儀礼:
・死亡直後に行われる儀礼で、死体から抜けようとする霊魂を呼び戻し、蘇生を願う儀礼。
魂呼び(死者の家の屋根等に登って死者の名前を叫ぶ)、泣き女(近親女性が棺桶や死体に向かって泣く)など。
・愛慕表現行為である。
・民俗的色彩が濃い。

(2)絶縁儀礼:
・死者が蘇生しないことを確信した後の、死(死後の世界)と遺族との関係を断ち切る儀礼。
・明らかに通常とは異なる手順を踏んでいたり、非常識とされる作法をわざと行ったりする例があるが、その多くは絶縁儀礼としての意味を持つ。
・経帷子の縫い方、湯灌に使う湯の扱い方、出棺時に茶碗を割る、藁火をたくなど。
・恐怖・畏怖表現行為である。
・民俗的色彩が濃い。

(3)成仏儀礼:
・葬儀終了後に、送り出した死者を「あの世」に送り届ける儀礼。
・7日ごとの中陰行事(初七日、以降7日毎、四十九日(満中陰))のこと。
・7日ごとに綿密な供養を繰り返すことによって、故人の霊魂の荒々しさや邪悪さが収まると考える。
・恐怖・畏怖表現行為である。
・仏教的色彩が濃い。

(4)追善儀礼:
・死者を祀る最後の儀礼で四十九日以後の年忌行事をいう。
・百か日、年忌(1年、3年、7年、13年忌)を経て、最終的には33回忌で弔い上げとすることが多い。
・33回忌の段階で故人の霊魂が「先祖」に一般化、脱個性化するとされる。
・愛慕表現行為であるとともに、遺族が平常の日常生活を取り戻したり、故人なしの新たな日常生活に適応していく手続き儀礼としても捉えられる。
・ほぼ完全に仏教儀礼である。
・本来は、死者の供養は33回忌で終わりでなく半永久的に続けなければならないとされている。これは、家制度を前提として、代々の家督相続者が追善していく制度的な意味があると考えられる。

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▼葬送は、死体の処理よりも霊魂の処理にやや重点を置いた儀礼であるといえます。おおまかに言えば、仏教的な長期スケジュールにしたがって「供養」を行うと、邪悪な霊魂が清められて崇高な存在となり、しかも死者個人の霊魂が徐々に個人としての属性を失い、「先祖」として昇華されるというのが葬送プロセスの目指すところのようです。

🔸🔸🔸長くなりすぎました。次回につづく🔸🔸🔸


文献

●村田潤三郎(1968)『仏陀の宿り:新潟県の葬送習俗』位下印刷所(引用p149).
●長沢利明(2011)「葬送と肉体をめぐる諸問題」『国立歴史民俗博物館研究報告』169、pp107-136.
●八木透(2018)「死をめぐる民俗文化」『佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集』6、pp71-85.

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