わかさん

摂食障害や心について書いてた人。2024.06港町に移住。これからは移住生活に触れてい…

わかさん

摂食障害や心について書いてた人。2024.06港町に移住。これからは移住生活に触れていくよ🌊🪼

最近の記事

海と空とときどき涙。〜トリプルハンデを持つ私のドタバタ移住日記〜

2024年夏前、とても軽率に港町に移住した。これは3つの障害を持つ私のドタバタ移住記録である。自己嫌悪と自己開示を繰り返しながら周囲に恵まれて暮らす一人の移住物語を書いておきたい。怖いけど、諦めなくていいこともあるよ、世界は思ったよりも怖くないよ、ということが一人でも多くの人に伝わったらうれしい。 私には3つの障害がある。すべてが精神障害と呼ばれる類で、ADHD、双極性障害、摂食障害というトリプルハンデを持つ。おっちょこちょいという表現では済ませられないミスで日常はドタバタ

    • 新しい雨

      雨が嫌いだった。 傘をさしても靴の中までびちゃびちゃに濡れて気持ちが悪いし、ヘアアイロンでまっすぐに伸ばした髪もうにゃうにゃと軸を失う。そして何より暗い。鬱々する。 日課である朝のウォーキングができないと知った私は、ベッドへと潜り眠いふりをして、ふて寝してしまうのだった。 今年の梅雨も憂鬱だなあ、と5月あたりから梅雨を思い気分が下がっていた。 いよいよ雨マークが週間予報に並んだとき、どこか梅雨のない場所へ逃げたいとすら思った。北海道は梅雨がないと言ったっけな。 大阪の鉄筋

      • 港町での1ヶ月、ときどき都会の雑踏と

        気づけば港町に移住して1ヶ月半ほど経っていた。 「移住したらnoteでも書こうかなふふん」などと呟いてたが、慣れない暮らしと仕事でお気持ちがそれどころではなく、このタイミングになった。 広い空と青い海について情緒的な文章を書きたいが、移住したての私のリアルを残しておこうと思う。 引越しと移住はちがう。いや、それぞれをどう定義するかの問題はあるが、当たり前に、これまで経験してきた東京から大阪や大阪内のいわゆる都会から都会へ移る転居と今回は勝手がちがった。なにせ、兵庫県の消滅

        • 「自分が何者か」の欠損と自己疎外

          小難しいタイトルにしてしまった。 もっぱら最近のカウンセリングのテーマなので、私のアウトプットのために書きます。 最近どんな悩みをカウンセラーに打ち明けても、この「自分が何者であるか(アイデンティティ)の欠損」「自己疎外」というワードに行き着く。くそぉ、またか。と思う。 私がずっと頭を悩ませてきた自分のあり方について書いてみる。 数年前と今の自分は「人が変わりましたか」というほどに自分も、その周辺も大きく変わった。というか、意図的に変えようとした。 これまでって、

        海と空とときどき涙。〜トリプルハンデを持つ私のドタバタ移住日記〜

          摂食障害の発信と支援。無力という力。

          摂食障害について発信して6年目になる。 ずいぶんと長い月日が経って、たくさんの人たちと色んな景色を見てきた。「これで生きていこう」と思った日もあれば、「もうやめよう」と思ったことだって何度もある。あれだけ生きる根気を全て摂食障害に注いでいた私が、今の「私のライフスタイルや生きづらさを言葉にすることで誰かのヒントになれるといいね」「そうやって集まった人が訪れられる空間を作りたいな」のようなスタイルになった経緯もそれなりにあるわけで、そういったことを今日は書いてみようと思う。

          摂食障害の発信と支援。無力という力。

          摂食障害再発を「たまたまです^_^」とは言えないので

          毎度いつぶりだという更新になってしまう。 摂食障害が再発して1年経った。治った治ってないの境界線なんてどこにあるのかわからないけど、いつだってわたしのすぐ隣は崖だと思いながら生きている。 こないだ、久しぶりに講演会で摂食障害の話をした。自慢のように聞こえるかもしれないけど、人前で摂食障害について話すことは慣れている。(こいつ誰だという方は過去の自己紹介とか見てください)でも今回は少し話が違った。 「摂食障害が寛解した人」として人前に立ってきた。やれ治るきっかけや回復者か

          摂食障害再発を「たまたまです^_^」とは言えないので

          「お母さん、私子供やりなおすね。」

          (※3年前の記事をリライトし、後書きを追記しています。) 「お母さん、私子供やりなおすね。」 25歳秋、そう母に告げた。 "子供" がいつ頃を指すのかも、何を指すのかも知らないけど、とにかく私は自分の記憶の中に存在しない "子供らしい子供" を追体験することを母に宣言した。 それが自分への癒しのプレゼントであり、母と子の自立であり、私自身がこれからの人生を歩いていくために避けて通れない道だと思ったのだ。 私が "子供" だった頃、「私は子供らしいか?」なんて気にした

          「お母さん、私子供やりなおすね。」

          摂食障害を他人に話すのしんどすぎ案件

          先日、古い友人と摂食障害の話題になった。 彼は摂食障害を知らない。といっても、私の活動を知っている人間なので、「摂食障害を全く知らない」というよりかは、「友人が何やら活動に徹している病だ」くらいの認識ではあると思う。 普段、当事者とお話しすることが日常で、私に相談や取材を申し出てくれる方は最低限の摂食障害の知識を持って対話が始まる。摂食障害を知らない人にこの病を語る機会と言えば、一方的にこちらからプレゼン形式に話す講演くらいだ。そういう日々を過ごしているものだから、私の感

          摂食障害を他人に話すのしんどすぎ案件

          幸せそうなあいつは「自己中」で「鈍感」だった

          摂食障害がよくなる方法は意外にもシンプルだったりする。 「自己中」で「鈍感」になること。 自分が好きなことをして、 自分が好きな人に会って、 自分の好きな場所に住んで、 自分の好きなものを食べる。 そう、自分の意思を取り戻すことだ。 今まで知らず知らずで我慢していつしか殺してしまったものを、もう一度自分の中に芽生えさせることなのだ。 「世間体」「親目線」「友達目線」「自分」今まで、色んな角度を気にして、意思決定をしてきたかもしれない。 「合わせるよ」「それにしよう

          幸せそうなあいつは「自己中」で「鈍感」だった

          「普通に」食べられない日々(摂食障害再発)

          「だめだ、これ以上増えたくない」 2022年11月ごろのことだった。2020年に発症した双極性障害の影響で13kg体重が落ちてから、徐々に体調を回復させて、それと共に体重も少しずつ戻っていった頃。職に就き完全在宅で作業をする生活を送っていたせいか、放っておいても1か月に1kgペースで体重が増えるようになった。あれよあれよと時がすぎて、いわゆる”理想体重”を超えようとしたとき、久しぶりに自分の体重を強く意識したのだった。 「やだ、増えたくない」、そう思ったのは実はこの時が初

          「普通に」食べられない日々(摂食障害再発)

          とある閉鎖病棟からの手紙

          わ〜い。このアカウントでnote書くの久しぶりだ!うれしい。残しておきたい印象的なことがあったので書きます〜 とある日。スマホに非通知で電話がかかってきて、普段は出ないのに何故かその日は電話に出てみた。話してみると、電話の相手はピアサポートでよくやり取りをしていた摂食障害の子だった。閉鎖病棟に入院したらしく、スマホが手元にないそう。 「伝えたいことがあって手紙を書きたいから、住所を教えてほしい」 数日後に手紙が届いた。11枚の便箋が入った封筒はとても重かった。そこには入

          とある閉鎖病棟からの手紙

          離婚して、人生置いていかれた

          離婚して振り出しに戻った、そう思った。 23歳で婚約して24歳のときに結婚した。周りと比べると随分と早かった。この先何十年もこの人と添い遂げるのだという実感はなかったけど、ひとりの人生じゃないことに安心した。同時に女のライフステージを着実に進んでいることへの安堵もあった。これからの人生を何となく描ける状態にいる自分にも満足していた。漠然とではあるけど、確かに、私は幸せのスタートを掴んだのだった。 離婚と同時に私はその全てを失った。結婚そのものである生活も、結婚というもので

          離婚して、人生置いていかれた

          孤独に結論なんていらない

          私は孤独だった。 私たち夫婦はとある問題を抱えながら関係を続けていた。それも年単位で。 その問題の解決法は明快ではなくて、分かりやすい解決法は残酷なもので、思わず目を背けたくなってしまう。それでも目を背けたくない問題だった。その問題すら、紛れもなく私たちを説明する要素のひとつだから。 例えば、自分が問題を抱えたときに他人に求めることは何だろう。 「聞いてよ」 「助けてよ」 「こんなことがあってね」 すぐに解決しない問題ほど誰かと共有したくなる。それは、解決法を探して

          孤独に結論なんていらない

          一年前の大量服薬を振り返って。

          去年のまだ半袖を着ていた頃、大量の薬を口に入れた。つまりODだ。これは単なる記録ではなく、実体験をもとにした私からの強いメッセージ。 コロナウィルスがいよいよやばいという情勢の中、仕事の疲れがたまり、芸能人の訃報が続き、長い梅雨が明けた頃だったと思う。体調を壊すには充分すぎる条件が揃っていて、私は在宅ワークをいいことに鬱々とソファーと一体化しながらキーボードを叩いていた。 そんなある日、とある人が亡くなった。自殺だった。テレビのニュース以外で自殺のことを聞かされるのは初め

          一年前の大量服薬を振り返って。

          普通にも特別にもなれないなんて

          だったら一体、私は何者なんだろう。 いわゆる「普通」。 普通の家庭に生まれて、普通に学校に行って、普通に大学に進学して、普通に就職して、普通に20代のうちに結婚して、普通に子供を生んで、普通に暮らす。普通の幸せ。 それが「普通」なのだとしたら私は普通を知らない。私だけじゃない。きっと多くの人が、何かしらの普通から外れて生きている。と願いながら私は今日も生きている。 いわゆる「特別」。 ちょっと人とは違っていて、それは障害でなく個性や能力で、今は会社に属するより個人の時代

          普通にも特別にもなれないなんて

          浴槽の中の情緒日記。

          自分のための情緒記録。 最近言葉が浮かび上がらない。正確にはTwitterやnoteにわかりやすく書けるような言葉が浮かばない。湯船の中の泡みたいな言葉が生まれては消え、交わっては一体化して、離れては宙に浮く。 言語化が得意なくせに自分の感情を出すのは未だに下手なのが私。こないだ私を抱き寄せた母が「もっと笑っていいし、もっと泣いていいよ」と言った。私は笑っているつもりで、泣く理由はないはずなんだけど、その言葉を聞くと自然と涙が溢れていた。「まだ泣けてよかったわ」という母の

          浴槽の中の情緒日記。