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「普通に」食べられない日々(摂食障害再発)

「だめだ、これ以上増えたくない」

2022年11月ごろのことだった。2020年に発症した双極性障害の影響で13kg体重が落ちてから、徐々に体調を回復させて、それと共に体重も少しずつ戻っていった頃。職に就き完全在宅で作業をする生活を送っていたせいか、放っておいても1か月に1kgペースで体重が増えるようになった。あれよあれよと時がすぎて、いわゆる”理想体重”を超えようとしたとき、久しぶりに自分の体重を強く意識したのだった。

「やだ、増えたくない」、そう思ったのは実はこの時が初めてではない。お薬を使って体調を少しずつ調整していた頃、持病の関係でホルモン剤を飲むことになった。確か2022年春頃だったと思う。それまで1ヶ月に1kgペースで戻っていた体重が一気に3kgほど増えた。急に自分の体が丸みを帯びた気がして、履いていたデニムがキツくなった気がして、鏡を見て泣きそうになった。いや、泣いた。膝を抱えながら何気なくインスタを開いた時に、脂肪冷却エステのネット広告が目についた。普段なら「あー、はいはい」と流せるネット広告にしがみついて、脂肪冷却についてひとしきり調べた後、気づいたら予約をしていた。小手先だけど、当時の私は丸みを帯びた自分と1秒でも早くお別れしたいと、15万のお金を簡単に支払った。

それから半年が経って、脂肪冷却の効果が永続的でないことを目の当たりにする。「機械で吸えるほどの脂肪ないですよ」とエステのお兄さんに言われた腰回りはちゃんと丸みを帯びてきたし、鏡にうつる足の隙間は小さくなっていた。「暴飲暴食をしなければ脂肪は増えません(脂肪細胞は大きくなりません)」と言われて「じゃあ、次太るとしたら妊娠した時かな」なんて考えていた自分が甘かった。

体重増加を食い止めたい。でも今の生活の何を変えたらいいか分からない。というか変える力が残っていない。持病を抱える私にとって、フルタイムで仕事をこなすことだけで1日がキャパオーバーする。食事、洗濯、お風呂の準備、と家事は全部母親任せなのに余力が残っていない。この生活にジムに行くとか運動をするとか、そんなのやってられるはずがない。どうしようか。そう思っている間にも体重は少しずつ増えていって、ついに自分の理想体重をオーバーした。

怖い。嫌だ。醜い。双極性障害になる前の体重より5kg近く低い数字なのに、療養中の痩せ型の自分にどこか満足していた私は、また歪んだ鏡を見るようになっていた。気づかないうちに、痩せた自分に惚れていた。

理想体重を超えてから、食に対して自暴自棄になることが増えた。太りたくないはずなのに、なぜかお腹いっぱい甘いものが食べたい。なぜかお腹が空いていないのに物を口にしていたい。食べていないと落ち着かない。どうせ理想体重越えたんだから、食べちゃえ。もっと食べちゃえ。以前よりよく食べるようになって、体重計からは遠ざかった。

そこから吐くようになるまで、時間は掛からなかった。「太りたくない。でも食べたい。吐いたらいいんだ。」。6年が経っても吐き方は覚えていた。涙と鼻水と唾液が一斉にトイレに流し込まれて、”底”が見えて安心した。吐いたことに罪悪感はなくて、「吐けばいい。」、それだけが頭の中を巡っていた。

あの頃の摂食障害とはひと味違う、今回の摂食障害。「食べてごめんなさい」「吐いてごめんなさい」はどこへいったんだろう。そう思うほど、私はすがすがしく過食嘔吐をしていた。「またやってきたのか」という落胆はあった。でも、あの頃みたいに「人生終わった」とは思わなかった。自分がマイノリティであることや、精神疾患を抱えることにそこまで抵抗がなくなった影響もあるかもしれない。ここの心境の変化はいまいち自分でもわかっていない。

ただ、”摂食障害を精神的なコーピングとして使っているか”、”摂食障害が生活や人間関係に危害を加えているか”は関係してそうだ。

私は幼少期のトラウマや家族とのトラブルによるストレスを、過食嘔吐でしか癒してあげられなかったし、ストレスを抱えてることすら自分で認められなかった。そして、そのストレスや摂食障害によって、人間関係は希薄化したし、学校にも行けなくなった。全てが摂食障害に支配されて、日常は摂食障害のために送られていた。

今回の過食嘔吐は、ダイエットの間違った代替案として使われた。痩せ願望や体重体型に過度に敏感な部分は、「摂食障害、まだ治ってないなぁ」と思い知らされる、それは間違いない。一方で、自分が吐く理由も明白だったし、周囲に適切なSOSも出していた。そのおかげもあってか、生活にも人間関係にも大きく影響することがなく、今こうしてnoteを書くほどまでに回復している。

理解者がいてくれたというのは、今回の回復が早かった大きな要因だと思う。母親は8年かけて摂食障害を随分と理解してくれるようになったし、まだ付き合いの浅かったパートナーも、摂食障害を依存症として捉えてくれる人だった。

「今日吐いちゃった。見て、吐きだこ」
「あら、やっちゃったか〜」

否定もせず肯定もしない受け取られ方が一番楽だった。どうすべきかなんてのは自分が一番よくわかってる。だから、過度に干渉されたりアドバイスされるのはごめんだった。

吐くことが日常化されて、1か月半経った。自分が何を食べたら自暴自棄になってしまうのかが大体わかるようになった。

私の場合は、小麦粉が駄目だった。菓子パンや焼き菓子など、甘くて吐きやすい物を口にするとスイッチが入りやすい。急に「もっと食べて全部吐いちゃえ!」のモードになってしまうのだ。

それも分かりながら、私は行動を変えぬまま「太りたくないから吐けばいい」と、便器を抱えては食べたものを吐いていた。

何度か「やめたほうがいいな」と思いつつ時が流れていった。年が明けた。年末年始は食事のイベントが多くて、いつもより吐く回数も量も多くなっていた。それにしても、摂食障害を持っている身にとってイベントごとは地獄だなぁ、とつくづく思う。いつだって、何事にだって、食事はついてくる。「お酒、飲めません」とは言えても、「ごはん、食べれません」とは言いづらいし理解もされづらい。

何日か連続で吐いて、ふと鏡にうつる自分を見た。顔が変わっていた。唾液腺の腫れだろう、耳の下あたりがぷっくりして、顔全体が浮腫んでパンパンだった。

このとき、ようやく過食嘔吐の弊害を痛感する。「あ、身体によくないことをしている」、やっとそう思った。あやふやに辞めたほうがいいと思っていた意志が、「やめる」と固いものに変わった瞬間だった。

それから、食生活をガラリと変えた。小麦粉中心だった生活を、小麦粉を抜いてお米やお芋でカロリーを取るように。食後のおやつは焼き菓子じゃなくて、チョコレートや和菓子に。自分の過食嘔吐ルーティンを思い返して、なるべくルーティンが始まらないような習慣に変えた。そして重要なのが、過度にやらないこと。いつだってクソ真面目な私はゼロかヒャクしか知らないので、今回はカロリーを取ることも甘いものを食べることも許すことにした。進歩である。

それでも、心が不安定な日は満腹が怖くなってソワソワしたり、食事の時間が遅くなるだけで不安になったりした。そのたびに「あ〜このまま小麦粉突っ込んで吐きてえ!」と何度も思った。親やパートナーに何時間もおよおよと話をきいてもらったこともあった。そんな感じで、少しずつだけど、過食嘔吐ルーティンから抜けて今の生活を送れるようにまで回復した。

「過食嘔吐やめる」と決めてから食べていなかった大好きなパンも、今は時間によって食べられるようになった。食後にパートナーとシュークリームを頬張ってしまう夜もある。そのとき、そのときで、自分の心の声を聞いて、食べたいと思うものを一緒に食べたい人と食べる。人一倍、食にこだわりは強いけど、私はそうして食と向き合っている。

摂食障害のとき、「普通に食べたい」とずっと思っていた。一人前がどの程度か分かって、それを楽しいね、美味しいね、って言いながら食事をしたかった。

今の私の食事は、もしかしたら普通ではないのかもしれない。小麦粉はまだちょっと怖いし、主食は芋だし、朝ごはんはバナナと納豆。最近は鴨にハマってダイエーで合鴨パストラミを買い溜めしている。パートナーと同じものを食べられないときもあるし、晩酌で私だけおつまみを食べないときもある。

それでも私は随分と心が自由になった。私は私の普通を見つけて、日々食べて生きている。それでいいんじゃないか、と思う。

今だって太ることは怖いし、痩せている人を見たら羨ましいと思う。どれだけパートナーに「痩せてるよ」と言われても、鏡にうつる自分はそこまで痩せてないように思う。他人に対してはボディポジティブの概念が適用されるのに、自分に対してはいつまでたっても適用されずにいる。

長い付き合いになるんだと思う。でも、うまく付き合えばいいんだと思う。ここで言う"うまく付き合うこと"は、症状の有無とは関係ない。自分を理解して、自分の声を聞いて、自分ができることをして、今できる一番苦しくない方法を取ればいいのだと思う。そうやってゆらゆらしながら、自分の食べ方や生き方を模索していくのだと思う。

私を"摂食障害を完治させた人"として見てくださっていた人には、怖い思いをさせたかもしれない。がっかりさせたかもしれない。だけど、これが今の私のリアル。

"経験"や"寛解"という言葉は使っても、"完治"という言葉を使わないのには、「症状がなくなっても付き合っていくものはある」という意味を含んでいたりする。実際に今回は再発まで至っちゃったわけだしね。

人生は長いので何が起こるか本当にわからない。地獄のすぐ隣に回復があるかもしれないし、寛解のすぐ隣で地獄が待っているかもしれない。その繊細な境界線をいったりきたりしながら、私はこれからも生き続けるのだと思う。

私の体験が誰かの気付きになればと思い、書きました。イチ体験談なので、摂食障害の全てを語っている訳ではないことをご理解ください。

きっと大丈夫、生きていこうね。

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竹口和香

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