見出し画像

摂食障害再発を「たまたまです^_^」とは言えないので

毎度いつぶりだという更新になってしまう。

摂食障害が再発して1年経った。治った治ってないの境界線なんてどこにあるのかわからないけど、いつだってわたしのすぐ隣は崖だと思いながら生きている。


こないだ、久しぶりに講演会で摂食障害の話をした。自慢のように聞こえるかもしれないけど、人前で摂食障害について話すことは慣れている。(こいつ誰だという方は過去の自己紹介とか見てください)でも今回は少し話が違った。

「摂食障害が寛解した人」として人前に立ってきた。やれ治るきっかけや回復者からのメッセージなどを求められる立場にいた。数年間、その立場でお金を頂いていた。だが、私としては治るきっかけなど10人いれば10通りあるし、回復者から当事者のメッセージなどそんな上から物申すようなものはない、というのが回答になる。役に立たなくて申し訳ねぇ!と思いつつ、摂食障害において答えの提示や断言は絶対に行いたくないし、行われているのを見るのも好きじゃない。残念だけど普遍的な答えは存在しない。


そんな使いづらい寛解者から「摂食障害が寛解して再発した人」という更に分かりづらい人間になってしまった。「普通に食べたい」というセリフをまた口にするときがくるのかと何回も泣きながらトイレで餌付いていた。


再発した話をすると今度は再発したきっかけを聞かれる。当然の流れである。「たまたまです^_^」では話にならないので真面目に書いてみようと思う。どん。


人は常に外部からの刺激を受けて過ごしている。その刺激を自分が持ち合わせている武器で対処していき、今日を終わらせ明日の準備をしていく。日々はそういう小さな戦いの繰り返しだったりする。刺激というものはしばしばストレスと呼ばれるし、武器というのはコーピングとも呼ばれる。


ある日、自分の武器では戦えないほどの大きな怪獣が襲ってきたとする。自分の手札とにらめっこをしては、あれやこれやと武器を駆使してみるかもしれない。だがそれでも勝てない。知らない技が振ってくる。かわせない。怪我をする。


怪我をしていることがわかればまだマシな方だ。人間の頭は案外バカなもので、同じ刺激を受け続けると簡単に感覚が麻痺してしまう。何も感じないままに大怪我をして、血がダラダラと滴ってしまうことも多い。


そういう「自分では対処できない(気づけない)ストレス」をどうにか対処できたように錯覚できるのが自傷行為の魅力であり、罠なのだ。食べないことや、胃にものを入れて吐き出すことは、自分でできる最大のコントロール(対処)。さしあたりその大きなストレスに耐えるには、自分の中の小さな世界で刺激を生み出し、対処することが手っ取り早い。


すこし難しい表現をすると、外部からの刺激(受動性)への対処(=能動性。コーピング、主体性、自己効力)が足りなくなると、窮極の能動性(自傷行為)が発生する、という感じである。(むずず)


そんなわけで、話を戻そうかい。きっとわたしは自分の手札では戦いようのない大きな怪獣に襲われたのだと思う。摂食障害の治ったと治らないの差ってそこまで大きなものではなくて、意外と簡単に行き来ができてしまうものなんだとも思う。その行き来が遠くなる時期だってあるし、うんと近くまで来てしまうときもある。そのときの環境や心と体の健康状態でもちがうだろう。


この話(はたまたイチ寛解者が再発した話)を聞いて、案外身近だなと安心する人も絶望感を抱く人もどちらもいると思う。


やはり自分の抱えている病は治るものであってほしいし、治った人からは希望のメッセージなどを頂きたいものである。


わたしだって「摂食障害は完治します!」と言われて目を輝かせて努力してみたい。とはいえ、そんなきれいごとを言っても明日の自分を生きるのは自分なので、明日のために今何ができるかの繰り返しなんだと思う。摂食障害って人生病ですねってよく聞くけど、特効薬も魔法もない地道な戦いって意味なんだと思う。


日々サバイブでネタはあるので、また近々。といいつつきっと日々病と戦ってたらまた時が過ぎそうです。

自分なりのペースで摂食障害ともこの活動とも折り合いがつくところでやっていこうと思う。気づけば無理をしたり足掻いたりしがちなので、できることを少しのエイヤー!とともに。


いつもサブ垢でわちゃわちゃ言ってますので、気軽に絡んでください。

ではでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?