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海と空とときどき涙。〜トリプルハンデを持つ私のドタバタ移住日記〜


2024年夏前、とても軽率に港町に移住した。これは3つの障害を持つ私のドタバタ移住記録である。自己嫌悪と自己開示を繰り返しながら周囲に恵まれて暮らす一人の移住物語を書いておきたい。怖いけど、諦めなくていいこともあるよ、世界は思ったよりも怖くないよ、ということが一人でも多くの人に伝わったらうれしい。


私には3つの障害がある。すべてが精神障害と呼ばれる類で、ADHD、双極性障害、摂食障害というトリプルハンデを持つ。おっちょこちょいという表現では済ませられないミスで日常はドタバタだし、1日3回適切に食べるということが私にとって何よりも難しい生理行動である。


私には障害があるが、夢だってある。いつか心理士のいるサードプレイスを作りたいのだ。願わくば、それは週末だけ運営される隠れ家ゲストハウスのようなものにしたい。

海の目の前でゆったりと流れる時間にただ佇むトキを創りたい。私がかつてそうだったように、「ハードルが高い」「”患者”になることに抵抗がある」のようなカウンセリングへの抵抗感を減らすことを裏目的に(ともう表に言ってしまったが)、旅行の延長線で、自然や人に会いにいくように自分を見つめ直す機会を作りたいと思うのだ。


そんな障害と夢がある私だが、普段は大阪の旅行会社に勤めている。ツアーの企画をしたり、現地で取材をしたり、時にはクリエイティブのモデルをしたり(笑)となんだかんだ楽しく働いている。
梅田駅のホテルのカフェで、面接時間に20分遅刻してきた虹色Tシャツとサンダルの社長の、少年のような目を見て

「あ、ここや」

と思った日からもう2年が経とうとしている。
私の面接だというのに、縄文時代の人間がいかに豊かな暮らしをしていたかとか、現代人はいかに枯渇して本来の輝きを失ってしまっているのかという話を2時間ほど聞かされた。テーブルに置かれたピザの表面は油が分離してカピカピだった。「やばい会社やったわw」と言ってもいい状況の中、あの日の謎の直感には自分に感謝している。


感謝していると言えば私の働き方の話もしておきたい。私は今、時短正社員という立場で仕事をしている。入社当時はフルタイムの正社員だったのだが、どうも生活と体調を両立しながら働くには、苦しい部分があったのだ。どれかを諦めなければ1日をやり過ごせなかった。
私は精神科の薬をいくつも飲んでおり疲労を感じやすかったり、一度疲れると回復に時間を要したりする。その疲労の蓄積は双極性障害の症状にも大きな影響を与える。一方、摂食障害で食へのこだわりが人一倍強く、時間や食事内容にもある一定のルールがある。わがままだと言われるかもしれないが、私にとっては必須事項である障害への対処を行いながら、フルタイムで働き続けるのは、ずっとプルプルと爪先立ちをしている状態なのだ。


小さな会社なので、当時は人事担当もおらず誰に相談したらいいかもわからないまま、副代表に相談してみた。「考えてみる」と返答があり、その2ヶ月後には就業規則を変えて時短勤務をさせてもらうことが叶ったのだった。恵まれているという言葉以外に何も出てこない。「やりたいことをやりたいようにやりなさい」という社長の言葉とその言葉に共感して入社したメンバーの姿勢に救われた。みんな、いつもと変わらず「わかさま〜おはよ〜」と声をかけてくれた。(うちの会社はあだ名で呼び合っていて、私はわかさまと呼ばれている(笑))障害と私を切り分けることなく、私のままですっぽりと包んでくれた気がした。


移住して仕事をしたいと思ったのは2023年の秋ごろだ。いつかやりたいと思ってた夢だけど、今の仕事と繋げて考えたほうが自分にとっても将来のお客さんにとっても可能性が広がるんじゃないかと思うようになっていた。メンタルヘルスの問題をメンタルヘルスの領域だけでやっていては、それは持続可能なものでないし何より利用する側のハードルが高すぎる。もっとラフに、自分のことを自分ごとにできる時間を作るということが身近にあってもいいんじゃないか。そう思ったときに、自分が旅行会社に勤めているということを思い出した。


ADHDのいいとこでも悪いとこでもあるが、思いついたら歯止めが効かないのだ。気づいたら祖母の家がある温泉街の役場に連絡をしていた。

「旅行会社で働いている者です!お話ししたいです!」(実際はもう少しちゃんとしてる)

と話す私に二つ返事で「今度町までおいで」と言ってくれたのが、今の直属の上司になる役場の課長だ。
2023年の末に連絡をして、年明けには社長と二人で兵庫県の新温泉町に足を運んだ。小さい頃から毎年正月と夏休みは決まってここに来ていた。「おばあちゃん家のごはんは全部おいしい」と思っていたが、港町でもあるここは魚がとにかく安く美味しく、水が綺麗なのでお米も美味しい。そういや海も近くて山もあって空がものすごく広い。もちろん温泉街なのでいたるところに温泉がある。水着で入れる露天風呂パークみたいな場所まである。そうか、これはおばあちゃんだけでなく、この町の財産だったのかと大人になって気づいた。


1日かけて町内を案内してくれた夜、飲み会の席で「どうします?来ます?」と課長に聞かれた。「私将来こういう夢があって、そのためにここで地域のこと学んで仕事してみたくて」、29歳の青い夢を嫌な顔せず聞いてくれた。「この子が熱量持ってやりたいこと言ってくれたの初めてなんです。やらしてあげたくて。」と酔った社長が隣で何度も嬉しそうに話してくれている。「なんやこの時間幸せすぎやな」とほろ酔いになりながらその夜を終えた。次の日の昼、課長から連絡が来たかと思えば「町長の承認がおりました」と。展開の早さにさすがの私も笑ってしまった。


ちょっと話の展開が早すぎたので補足が遅れたが、「町長の承認」というのは国の制度を使うことに対するものである。地域活性化起業人という制度だ。会社に在籍しながら地方活性のために特定の地域に月の半分身を置いて仕事ができるというもの。私はこの制度を利用して、大阪の旅行会社に籍を置きながら新温泉町で働くという選択肢を取ることができたのである。

おばあちゃんに報告すると軽くパニックを起こしていた。そりゃそうだ。孫が突然町に移住するというのだ。母からはすぐに電話がかかってきた。妹からは「やばwwwww」とLINEがきた。まじでやばいと思う。なんかすんなり決まったっぽいけど、多分これ結構でかいこと決めてもたな、という感覚はあった。


そうこうしているうちに契約の話になった。「6時間勤務でお願いしたくて」と話すと、事情があるとわかってくれ、課長と係長と話をすることになった。一人前が何かもわからないまま、一人前に動けない人間がすみませんという気持ちがびちびちに心を浸した状態で、それでも嘘をつきたくなくてA4の紙に自分の障害とお願いしたい配慮事項を書いた。受け入れてくれるだろうか、こんなめんどくせぇならいらないと言われてしまわないか。あれだけキラキラ夢を語っておきながら自分の巻いた種に後悔という言葉すら見えた。


返ってきた言葉がそんな思いを吹っ飛ばしてくれた。

「誰でも得意不得意はあるから、それがどの程度かはやらないとわからないからやってみましょう」
「既存の箱にどう当て込むかじゃなく、どれだけこちらが柔軟に動けるか考えます」

自分の障害をお荷物だと思わなくていいと伝えてくれたようで、かといって過度に期待をされているわけでもない。その心遣いに胸が熱くなり、帰りに大好きなケーキを買いに行った。


契約書には「勤務時間は、役場の定刻に準ずる。特別な事由がある場合は町長の承認を得るものとする」という記載があるが、特別な事由として受け入れてくれることが決まった。奇跡みたいなことの連続で、いろんなモノとコトとヒトが動いてる。できるかどうかわからない、でも私はこの波に乗るしかないのだと地面をぐっと踏み込んだ。トリプルハンデがあるならトリプルパンチを持って戦いたい。


5月の頭に住む家が決まった。海の近くの一軒家だ。一人で住むには少々広すぎるが、ほのかに潮の香りがするお城に心がときめいた。
とはいっても、一人暮らしも私にとっては大きなチャレンジなのである。大学卒業以来、一人暮らしを経験していなかったのだ。トリプルハンデを抱えての移住生活。どれだけ海が広かろうが、空が青かろうが、魚がうまかろうが、不安なのは不安なのである。
29歳にもなって「一人で暮らせるかしら」なんて恥ずかしい悩みかもしれないが、私は本気だ。

何よりも怖いのが、摂食障害の症状が悪化しないかだった。私には過食嘔吐という症状がある。自分の力でどうしようもないストレスが私を襲うとき、私は大量の物を食べて吐き出すという発作が出てしまう。新しい環境で新しい仕事で新しい場所に住む。その中で私は適切に食事をとるということができるのだろうか。その不安の中で、わずかな自分への期待だけで契約書にサインをした。それは期待を込めた私の覚悟のようなものでもあった。


ニトリから配達予定日が送られてきた時には驚いた。引越しの10日ほど前に荷物が届いてしまう設定になっていたのだ。引越し前に必要最低限の家電を買って、引越し日に届けてもらおうと思っていたのだが何故か間違えた。「何が起こったかわからんが間違えた」みたいなことは日常茶飯事である。学べほんまに。努力していないわけじゃないのだ。何度もチェックするし、これでいけると思っても、幾度となくこういう小さそうで大きなミスを繰り返す。日々「ADHDやめたい」の繰り返しである。大家さんに連絡をして事情を説明すると、代わりに受け取ってくれると言ってくれた。「今日の日本海の夕日も綺麗でしたよ」と添えられていた。すみませんすみませんと自分を責めた傷に、じんわり浸透していくあたたかさ。こうして私の家電たちは無事に届けられ、無事に引越し作業を終えられた。


引越し日に隣の塩山さん(仮名)に挨拶に行った。「通りの紹介をしてあげるけーな」と、10軒近くのお宅に連れてくれた。「若いわねぇ」「心強いわねぇ」などと言われながらヨックモックのシガールを配り歩いた。この町では29歳は若いらしい。空き家も数軒あったけど、消滅可能都市と言われる割に暮らしがよく見える町だなと思った。潮風に揺れる洗濯物や軒先に置かれたプランターに咲く花が愛おしく感じた。


次の週から役場での仕事が始まった。またまたヨックモックのシガールを配りながらぺこぺこと挨拶をして回った。大箱を買ってしまい余ったので、二周挨拶した。感覚過敏や視線恐怖があるので、後ろに人がいない席がいいという配慮希望を伝えさせてもらっていたのだが、希望通りに配置してもらえた。安心して余ったヨックモックを食べた。名前を覚えづらいので、座席表をもらって机に貼った。ここで働くんだと意気込んだのも束の間、なんとまぁ体調変化が起きることになる。


仕事は右も左もわからなかった。洗濯機でぐるんぐるん回されてるかのように、自分がどこに向かってるのか何のための作業をしているのかがとにかく掴めなかった。仕事がどういう流れで動いているのかわからない、お金の流れもわからない、誰にどんなお伺いを立てて、建前と実際はこうしてああして、ということが何もわかっていなかった。今でこそわからないことを羅列できるのだが、当時の私は何がわからんかもわからんわい!!という状態。それもそのはず、得意の企画ライティング業務から超苦手分野の事務業務に移ったのだ。とにかくケアレスミスが酷い。誤字脱字は毎回のごとく事業者さんや関係者さんの名前の漢字まで間違える。どれが正しいファイルか分からなくなるほどFinderの中は踏み場のないゴミ屋敷のように散らかり、それがまたミスを増やした。負のスパイラルだ。多くの仕事を振られているわけではないのに、自分で自分の仕事を増やしてしまう。尻拭いだけで1日が終わってしまう。人間をやめて宇宙に行きたい。これらをADHDを言い訳にしたくない。できない自分も本当は認めたくない。でも、もう何も回っていない。ごめんなさいで頭の中が埋まって動けなくなる。そういや、最近海も見に行けていない。


当然のごとく適切にごはんが食べられなくなった。スーパーとトイレが親友になって、こりゃほんまに沈んでいくだけやと自分で自分を一人に追い込んでいることを自覚した。障害の有無関係なく、自分が今できていないということを認めないといけない、認めて助けてくれー!と旗をあげて、ごめんなさいだけじゃなくて戦わないといけない。覚悟を決めるのだ。29歳にもなって「足し算ができないよ〜〜〜」と大泣きで母親に電話して、電話越しに私の足し算を見守ってくれたあと、明日ちゃんと上司に謝って戦おうと決めた。夜ごはんのイワシの梅酢煮がおいしかったのを覚えている。


それでもなくならないミス。ミスミスミス。もう大きな海も青い空もまともに見えない。目の前に記号が羅列されてるだけで、頭の中がチャンネル設定がされてない灰色の画面のようになった。泣きながら自宅のデスクでPCを見つめていたときに課長から連絡がきた。

「そのまま走ってください。気にしない気にしない。」

私の涙腺のダムが決壊して、おにぎりを食べた時のセンのように大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。ごめんなさいじゃなくてありがとうと言おう。完璧はできなくても、やれることをやろう。私ここで生きたいんだ。暮らしたいんだ。


お気持ちを元気にしたいときにはよく銭湯へ行く。障害者割引でなんと200円でお風呂に入れるのだ。ここが閉業するまで自宅の浴槽に浸かることはないと思う。受付で障害者手帳を見せると、

「最近よく来なさるやろ?こっちのほうが安いけぇ」

と回数券を案内された。2000円で13回分の綴りだった。破格すぎやろ。何より受付のおばちゃんが覚えてくれてることが嬉しかった。あぁこの町で暮らしてるんやと思わせてくれた。話は逸れるんだけど、ここの銭湯は本当に優しい。鍵をなくしても紛失代は1000円だし、充電はこちらのでお願いしますとコンセントまで解放されている。都会ではありえない光景である。これからもたくさんお世話になる予定だ。鍵はなくさないように努力する。


そうそう、同じ町に住むおばあちゃん家にもよく通っている。この町を走る全但バスは障害者割引で運賃が半額になる。バスで30分ほどかかる距離を150円で運んでくれる。なんて懐が深いんじゃ。この時期は、ナスやきゅうりやトマトをたんまり貰って帰ることになる。おばあちゃんは同じ話を何回もするし、耳が遠いので叫ぶように会話をする。そこに柴犬のはなちゃんがワンワンと吠える。豆柴だと思って買ったらめちゃめちゃ成長して柴犬だったのがわかったらしい。あっちでわちゃわちゃこっちでワンワン、毎度カラオケフリータイムのような消費カロリーだけど私はそんなおばあちゃん家が大好きだ。


港町に移って2ヶ月が経った。たくさんの涙を流してたくさんの愛に触れて、この地が私の中に刻まれて、私がこの地に刻まれていく。そこには愛着とか居場所とか、時には責任のようなものを感じることもある。都会では経験したことのない感覚だった。毎日決まって寝る前に書く日記、そこに海や空の話を書ける日は嬉しい。田舎に移住したら心の病がなくなりました!などという夢物語はない。ただ、障害があってもこの町は私と生きてくれる。


休日に600円のコーヒーを飲みながらファッション誌を読むことはなくなった。こっちへ来て、近くの図書館でおじいちゃんとおばあちゃんの間を「あ、こんにちわぁ」と座りながら江國香織さんのエッセイを読む休日も悪くない。むしろ良い。小学校の図書館を思い出すような、古い紙の匂いに包まれる時間が私の心を豊かにしている。帰り道には海が見える。潮の香りがして、そっと目を閉じる。近所のおばあさんに「おかえり〜どこ行っとったのー」と声をかけてもらう。そういう日々の変化が、今は愛おしい。


夢にはまだ遠い。自分のこともまだままならない。仕事もポンコツ。だけど私はここで暮らしていく。広い海と青い空、潮の風に心を寄せて、今日もドタバタ生きてみる。ありったけのありがとうと数え切れないごめんなさいを繰り返しながら、今日も私は町と人と繋がっていく。


私の移住記録はまだまだこれから。


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