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「自分が何者か」の欠損と自己疎外

小難しいタイトルにしてしまった。
もっぱら最近のカウンセリングのテーマなので、私のアウトプットのために書きます。


最近どんな悩みをカウンセラーに打ち明けても、この「自分が何者であるか(アイデンティティ)の欠損」「自己疎外」というワードに行き着く。くそぉ、またか。と思う。

私がずっと頭を悩ませてきた自分のあり方について書いてみる。

数年前と今の自分は「人が変わりましたか」というほどに自分も、その周辺も大きく変わった。というか、意図的に変えようとした。

これまでって、

  • 外から見られたときの自分を高めたい

  • 見られている自分に合わせていく

  • きれい、かっこいい、憧れる、尊敬する、と思われたい

  • 「持つこと」が富であると思う

  • 自己実現、市場価値をあげることで自分を安心させる

のような生き方をしていた。私はこの生き方でなんとか自分を生き抜いてきたし、それなりに大変だった子供の頃の生活をサバイブしてきた。だから否定するつもりもない。

ところが、東京の小さな空を見上げるたびに思うことがあった。

  • なぜかずっと自分が自分じゃない

  • むなしい、さみしい、満たされない

  • 地元に帰りたい(本当の自分に帰りたい)

どれだけ仕事で成果をあげても、可愛い綺麗と持てはやされても、たくさんを持っていて自己実現に向かう同士のようなパートナーができても、ずっと埋まらないものがあった。

「見栄」みたいなものから解放されたかったのだ。「見かけだけ」というと聞こえが悪いが、私はいつだって私を私以上のものとして演じることに徹していた。なんだかそれに疲れてしまった。ずっと自分に嘘をついている感覚で、空っぽで満たされなかった。

自分だけで自分の存在を確かめることができなかった。

誰かの評価がないと自分が成立しない。そのためなら手段を選ばない。相手に好かれる自分を演じることには慣れていた。

そういう、「自分の価値を外の世界をコントロールすることでまかなう」みたいなことを「自己疎外」と呼んだりする。

自己疎外の例えでいうと、依存症(摂食障害しかり)、浮気、不倫、万引き、などとにかく「自分のことは自分でコントロールできないけど、外の世界のとある対象物ならコントロールできるからそれで自分の存在を確かめてます」といったところ。少しむずかしいね。

そういう自分の生き方に疑問を持ったのだと思う。疑問を持っていた自覚はないけど、どこかで気づいていたのだと思う。

あぁ、ここから抜け出したいと思った。

  • ありのままの自分で行きたい

  • 本当の自分を受け入れられたい

  • 等身大で嘘をつかずに生きていたい

  • 傷ついてきたことを認めてあげたい(ケアしたい)

  • 本質に近づくことで生きやすくなりたい

  • 不完全なままで人とつながりたい

  • 自分の感情を自由に表現したい

私が当時無自覚ながら渇望していたことである。その表出のひとつが、Uターン移住だった。この地なら、息を吸える気がする。本当の自分に近くいられる気がする。東京から帰省するたびに感じた「町から包容される感覚」みたいなものを求めて、地元に帰ることにした。

地元に帰ると、自分の溝を埋めるように親に「子供時代をやり直させてくれ」と懇願した。毎日お弁当を作ってもらって、遅すぎた反抗期みたいなものも少し経験した。運がよくボロボロの私を受け止めてくれる居場所にも出会って、そこが心地よくて、「あ、今生きてるなぁ」と感じることが増えた。(知っている人もいるかもしれないがオフィスキャンパスというコワーキングスペースのこと)

離婚のことは書くと散々長くなってしまうので割愛するが、彼の生き方と私がこれから守りたい生き方の溝が埋まらずに離別した。彼は東京で自分を高めることに価値を感じる人だった。競争の世界で生き続けると言った。

さぁ、ここから自分の人生だ!といけばいいのだが、そんなに都合のいい話はない。

私はこれまでの生き方で「自分が何者であるか」を自分で説明できてこなかったので、自分の人生も何も、自分とはなんぞやという問題にぶちあたったのだ。

  • 「ありのまま」「等身大」「戻る自分」がいない=アイデンティティがない

  • 自分の力だけで立てない(他者からの承認がないと自己確認ができない)

  • 適切に自分の感情を表現することができない

そんな自分がいた。そんなときに助けてくれるのが、そう。摂食障害という自己疎外だった。なぜこのタイミングで再発?とずっと思っていたが、今なら納得できる。自分の中で自分を確認できないから、食行動(過食して嘔吐する)をコントロールすることでなんとか自分を保とうとしたのだった。

私は未だに、これまでの生き方に捉われている。それが苦しくても楽だったから。空っぽの自分に気づかなくてよかったから。

定型なら思春期に発達すると言われる「アイデンティティの創出」を今、やろうとしている。ここから自分を育てる。自分が何者かを自分で説明できるように、今の幸せを尊重したい。今手元にあるものを大切にしたい。

「アイデンティティをつかめると自己疎外から解放されるよ」とカウンセラーに言われた。そんな簡単なものじゃないともわかっているけど、いつか摂食障害に頼らない日がくるといいなと思いながら日々戦って生きている。

そんな最近のカウンセリング記録でした。私の備忘録につきあってくださった方はありがとうございます。

アウトプット大事だ!

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