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新しい雨

雨が嫌いだった。
傘をさしても靴の中までびちゃびちゃに濡れて気持ちが悪いし、ヘアアイロンでまっすぐに伸ばした髪もうにゃうにゃと軸を失う。そして何より暗い。鬱々する。
日課である朝のウォーキングができないと知った私は、ベッドへと潜り眠いふりをして、ふて寝してしまうのだった。


今年の梅雨も憂鬱だなあ、と5月あたりから梅雨を思い気分が下がっていた。
いよいよ雨マークが週間予報に並んだとき、どこか梅雨のない場所へ逃げたいとすら思った。北海道は梅雨がないと言ったっけな。


大阪の鉄筋コンクリートマンションに住んでいたころ、窓越しにうつるベランダをバシバシと乱暴に扱う雨が嫌いだった。ザザザ、ジャージャーと音が鳴る。コンクリートも彼に反発するように、両者は交わることなく分離し、そこにただ佇む。
雨はそこに落ちることを望んでいなかっただろうし、この地も雨を受け入れる余裕はなさそうだった。


移住して2ヶ月目に梅雨が来た。
初めて港町に雨が降った日、私は新しい雨に出会った。私は雨に心を寄せていた。
好きと言ってしまうには少し悔しい。ただ、こういう日があっても良い。これはこれで日常の彩りになると、彼に対して思った。


木造の一軒家に滴る雨音はあたたかい。温度があるのだ。
木と合わさるように、しとしとと、ぽとぽとと、音がする。雨粒を吸った木は息をするように香る。森にいるような、大きな自然を体現する香りだ。
私は彼が包む部屋にいると安心する。家に一枚の羽織を被ったように、温度と重厚感を持つ。私は守られている。


雨に濡れた港町も好き。
雨が染みてコントラストが強くなり、色がはっきりと見える細い道。一方で、奥に見える空と海の境界線は濁っている。どこまでも海で、どこまでも空。


そんな雨に出会うと、びちょびちょの靴やうにょうにょの髪は、なんだかどうでもいいことのような気がする。それよりも大切なことが、雨の中にある気がするのだ。


雨が好きだ。私は私の町の雨が好き。
思えば、嫌いは好きになり得るからおもしろい。興味のないものはずっと興味ないのだから。

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