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わかおの日記55

水曜日はオンデマンドの授業が1つしか入っていないのでほぼ休みのようなものだが、16時からのアルバイトのために備えなくてはならないという事情があり、全くの休日のような気分ではいられないのだ。

しかし目覚めると、完璧に休日のような気分になっていた。ぼくはオンデマンドの授業があったことすら忘れて、何故かとりあえず映画を見てしまった。今日は映画「ピンポン」を見た。ずいぶん前に、アニメ版の「ピンポン」を見て、ひどく感動したのを覚えていた。映画版は、わずか2時間の中で「ピンポン」のエッセンスを抽出できていたと思う。とてもよかった。

卓球でもなんでもそうだが、結局最後は才能なのである。とんでもなく高いレベルで切磋琢磨している人たちは、みんな何かしらの才能を持っているのだ。だからといって、才能を言い訳にして努力を放棄することは、とても残念なことだと思う。なぜなら、己の非才を嘆いている人の大抵は、才能のせいにできるほどの努力すらしていないからだ。そんなことを、アニメ「ピンポン」を見ながら考えていたなあということを思い出した。

ぼくはそのことを、受験期の追い込まれた段階になってようやく悟ったのだ。受験勉強という狭い箱庭の中では、ぼくはどうやらそれなりの才能に恵まれていたようだった。けれどもそれは、別にぼくの手柄でも美徳でもないのだ。ただそこそこの確率のくじに当たったようなものである。才能があるからこそ、偉ぶってはいけないなあと思ったのだ。「ピンポン」はそういったテーマに対して、残酷なまでに正面から向き合った作品である。

家庭教師に行った。語彙が壊滅的なぼくの教え子が、国語のテストで80点に迫る好成績をだしていた。優秀な生徒からしたら物足りない点数かもしれないが、それでいいのである。自己ベストを更新できたということが肝要だ。彼女の答案には、しっかり勉強した跡がみえたので、そのことが非常にぼくは嬉しかった。

中間テストの反省をしていたさいに、教え子が成績優秀な同級生を「あの子たちは天才だから.......」と評して、自分のハードルを下げようとしていた。ピンポンを見たばっかりのぼくが、そのような言動を見逃すわけがない。「こんな簡単なテストに、才能もクソもないぞ」と言ってあげた。実際その通りだと思う。「才能」なんて言葉に、簡単に負けて欲しくはないのである。

追伸 それにしてもぼくには、数学の才能がまるで無かったと思う。

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