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エッセイ全般

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#エッセイ

エッセイ 魔女

エッセイ 魔女

 網戸に小さな小さな、カマキリがいた。

 カマキリといえば、まず連想するのが、メスのカマキリが、交尾中にパートナーを殺して食べるという話。

 カラダの一部でもくわい(怖い)けど、全部である。なんと頭からムシャムシャと。

 食われるオスからしたら、たまったもんじゃない。

 どうやら、この"至上の愛"ゆえに捧げられるオスの自己犠牲は、生殖や子供の成長におおいに役立つのだとか……。

 そういえ

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エッセイ シャネルの5番

エッセイ シャネルの5番

 実は、今日、非常に、胸が痛い。
 そしてその原因は、はっきりと わかっている。

 昨日、昼寝をしていて……ちなみに私は、寝がえりをうった時に、シャツがカラダに絡んで首がしまるのがうっとおしいので、冬でも夏でも、肌着を脱いで布団にもぐる習性があるのだ……。

 トランクスは、はいたままなのだが、これが不思議と、寝ているうちに必ず、無意識に脱ぎ捨てるようで……。

 要は、だいたいが、スッポンポン

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エッセイ 洗脳

エッセイ 洗脳

 来訪者の忘れものを届ける機会があった。

 その相手の家のすぐ近所に、山口だが、関西風を名乗る🐙タコ焼き屋がある。

 派手な看板を見たとたんに、私の🐙タコ焼欲に火がつき、横山ノックのように、口が🐙蛸になった。

 とあるイベントのために仕込んだお好み焼き系の具材が、残っていた。
 けれども、さすがに、🐙蛸 はない。

「コンニャクで代用や!」

 ところが、冷蔵庫の奥で、風当たりが悪か

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エッセイ 仙人修行

エッセイ 仙人修行

 今は、山口市内に下りてきたが、数年前までは、人里離れた 萩の山奥で暮らしていた。

 私が取り組んでいたのは"仙人修行"であり、名刺にも、「仙人見習い」と、記した。

 具体的な取り組み、つまり、トレーニングは、客観性を持たない独自の表現になる

『 有酸素修行 』である。

 もちろん、さしあたっての目標は、仙人代理……もしくは、副仙人、仮仙人、準仙人……つまりは、仙人の一歩手前である。

 

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エッセイ その時

エッセイ その時

 老いて痴呆が進んだ父を引き取ってから始まった奇妙な同居生活も、何だかんだと言ううちに、一ヶ月を越えた。(※ 2012年)
 
 父を人間として一切認めない潔癖性で、民芸系の陶器よりもウェッジウッドを好む、現在長期別居中の妻が、わざわざこんな古民家を訪ねてくるはずがないうえに、ここは、いまだ携帯電話が圏外なこともあり、非常に安らかな環境が維持できている。

 認知症以前に、父はもともと極度のわがま

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エッセイ 絶妙のタイミング

エッセイ 絶妙のタイミング

 身のまわりのものがどんどん進化してゆく。

 ほんの少し目を離している隙に、とんでもなく加速したことに気付かされた時、焦りや不可思議な嫉妬と共に、そら恐ろしささえ感じることがある。

 たとえば、人類を月に立たそうという夢の実現のために、文字通り天文学的数値計算が必要になったNASAが使ったという大型コンピュータは、当時小さなビルほどの大きさがあったが、今では手のひらにのると言う。

 この激変

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エッセイ 水筒を買う

エッセイ 水筒を買う

 この歳になって水筒を買ってしまった。

 出先で自家製の「ヨモギ生姜湯」が飲みたいからである。

 お昼過ぎに何となく、欲しいなあと思いながらインターネットの画面を見ていると、

「あと25分以内に注文すれば本日中にお届けします」と驚くべき表示が現れた。
 
 私が棲む場所は、口が裂けても腐っても都会とは言えない。山口と萩の中間地点の山間部で携帯電話の電波もわざわざ迂回して通るほどである。

 

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エッセイ 弁当箱

エッセイ 弁当箱

 尼崎に居た頃です。しかも40年以上前。

 私の弟の友達のタカシは、単車に乗るのは上手いのですが、どうもあかんたれで、高校は行ったかどうかは定かではありませんが、せっかく仕事に就いても、ことごとく長続きしませんでした。

 それがようやく、母親の古くから付き合いがある人の紹介で、かなり条件がよい仕事が決まり、今度ばかりは本人も、えらくやる気マンマンでした。

 タカシのお母さんは、タカシが「要ら

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エッセイ シネラマ

エッセイ シネラマ

 おそらく、もう死語になったのだと思う。

【 シネラマ 】という言葉。

 この言葉は「シネマ」と「パノラマ」の合体造語で、1952年に世に出た、ワイドスクリーンに映像を映し出すシステムのことである。

 実はこのシステムを導入している映画館は、世界に10数箇所しかなかったらしい。相当な手間と金がかかったからだ。

 日本には、東京の帝国劇場と大阪のOS劇場だけが、まさに独占上映をしていたが、今

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エッセイ きく問答

エッセイ きく問答

 音楽関係の打ち合わせがひと段落したあとの雑談で、ふと先方……穐本氏が私に言った。

「最近の人は音楽をきいても、きくということをせんでしょ?」

 これでは意味が通じないと悟ったのであろう、すぐにこう付け加えた。

「門の中に耳を書く《聞く》と、耳の横に十四の心と書く《聴く》の違いですよ」

 たしかにそれは、なかなか鋭い指摘である。

 私のように、曲がりなりにも日頃から歌や文章を書く者にとっ

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エッセイ 頑張りましょう

エッセイ 頑張りましょう

 コロナ自粛の今ではなく、5年以上前の話である。

 明日から世間がもれなくゴールデン・ウィークだという日、当時も今と同じ、連休などとは一切無縁の生活をしていた私の右目が突然曇った。

 レトリックではなく、朝起きたら、本当に右目だけが曇り硝子のようになってしまったのである。

 この症状は実は初めてではなかった。

 ちょうどさらに3年半前、富山への出張中にこれと同じのを経験した。

 高血圧で

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エッセイ 高等部の思い出 【隣りの席】

エッセイ 高等部の思い出 【隣りの席】

 中学部の3年生の時の悩みは、今の金欠と同じくらいにわかりやすかった。

 それは、中学部から高等部へ進学できるかどうかの一点。

 私が通っていた中学は、私学のいわゆる名門校で、中高大の10 年一貫教育が売りだった。

 私は小学生、高学年の時は秀才だった。
 さらに、3、4年生の時は天才。
そして低学年では神童。
 幼稚園以前はまさに神の子か妖精と言われた。
 時代が過去に遡るほど、まば

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エッセイ 仮面づくり

エッセイ 仮面づくり

 人間はいくつもの《仮面》を使い分けて生きている。
 ラテン語で《仮面》は、ペルソナ(persona)であり、ペルソナはパーソナリティ(personality)の語源である。
 つまり人格や個性というのは、その人が持ついくつもの《仮面》のことをいうのかもしれない。

 こんな小洒落た知識が、最初から私の頭に装備されているはずがない。やたらと物知りな悪友からの受け売りである。

 私もたくさんの《仮

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エッセイ 歌手について

エッセイ 歌手について

 いい《歌》が書ければ死んでもいいとさえ思う。

 私という人間は生を受けて50余年(※執筆当時)この世に溢れるありとあらゆるものの中で、突き詰めれば《歌》以上に好きなものが他にない。

 ある友人はそれを音楽だという。
 またある者は、ギターやピアノや演劇だと言い、詩や小説、はたまた文学や絵画・彫刻の人も居る。

 けれども私の場合は、やはり《歌》に限るのである。

 《歌》といっても、和歌や短

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