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エッセイ 弁当箱

 尼崎に居た頃です。しかも40年以上前。

 私の弟の友達のタカシは、単車に乗るのは上手いのですが、どうもあかんたれで、高校は行ったかどうかは定かではありませんが、せっかく仕事に就いても、ことごとく長続きしませんでした。

 それがようやく、母親の古くから付き合いがある人の紹介で、かなり条件がよい仕事が決まり、今度ばかりは本人も、えらくやる気マンマンでした。

 タカシのお母さんは、タカシが「要らん」と言っても、息子のカラダを思いやり、毎朝弁当を作ってタカシに持たせました。

道端で私と会うと

「ようやく息子が、ええ仕事につけて、一安心です」と、嬉しそうによく言っていました。

 ところがタカシは、これまた早々に会社を辞めてしまったのです。

 けれども、喜んでせっせとお弁当をつくる母親に、タカシはどうしても本当のことを言えませんでした。

 だから毎朝、会社に行く時間にちゃんと起き、弁当を持って出かけ、適当に時間をつぶし、昼になると公園で弁当を食べ、夕方になれば、何食わぬ顔で帰宅したのでした。

 そんな擬装が、長く続くわけがありません。

 問題は、どんな状況で発覚するかです。

 このあたり、銀行の金を使い込んだ女子店員にも言えます。

 でも…そこが…そこの真相が、実は記憶が曖昧でして……タカシが公園で弁当を食べているのを偶然その場を通りかかった母親が見た、とか、会社から電話がかかってきた、とか、給料日にタカシが給料袋を落とした、とか……他の時のケースとこんがらがって、どれがどれだったかわからないのです。

 ただし、はっきりと記憶しているのは、その事実を知った後に、母親が私に見せた顔でした。

 それは、落胆…情けなさ…悲しさ…あわれさ…恥ずかしさ…それらすべてを煮詰めたような、いつ死んでもおかしくないほど強烈な顔でした。

 あっ! 思いだしました。バレた原因は、タカシが自分の弁当を、友達にあげたんです。

 それを夕方、その友達から弁当箱を回収して、いつものように何食わぬ顔をして帰宅したら、母親が弁当箱を洗おうとして異変に気付きました。

 普段と違い、食べたあとの弁当箱が綺麗に洗われていたからです。

 もちろん、それは友達の最低限の感謝の表れだったのでした。

 その時に、母親の女の勘が働き、もしやという可能性でカマをかけたら、タカシは動揺してすぐにボロを出したのでした。

 正座をさせて事情聴取してみると、タカシが公園で弁当を食べた日数は、母親のかすかな期待を大きく裏切るほど多い、つまり、かなり早期に会社を辞めていたということが判明しました。

 ここ、にさんにちではなく、ずっとずっと前から、母親は騙されていたのでした。

 毎朝毎朝、母親は早起きして我が子の弁当を作ったのでした。

 私はこの歳になって、自分でこさえた弁当を完食し、その場で軽く洗います。

 家に持ち帰って、蓋を開けた時のニオイが嫌やからです。ただそれだけの理由です。

 でも、弁当を食べるたびに、なぜか、
「にいちゃん」と、人懐こく私を呼ぶ、タカシの顔を思いだすのです。

 10年ほど前でしょうか?

 法事か何かで帰阪したさい、弟の口から、タカシが会社からの帰り道、自分で運転していた車が事故って死んだと知らされました。

 40代の、働き盛りだったはずです。 了

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