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可能性を既成概念で制限しない #93 出る杭は打たれる

自分の考えを、堂々と言えない。あるいは、言わない人が多くなっているように感じています。
それでいて、ネット社会を典型として、匿名であることを良いことに、過激な誹謗中傷を展開してしまいます。

その理由ですが様々あるようです。

私は家業の関係から良く杭打ちを手伝いました。
杭は指定の高さに合わせて、杭打ち用の大きく重い木槌(掛矢)やハンマーで打ち込みます。
当然ながら出すぎていたら打ち込みます。

出る杭は打たれる。

転じて、出過ぎた振る舞いで目立つと目を着けられて良く思われなかったり、何らかの制裁を受ける事情を表現しての言葉です。

私自身は、これまで、社内で、正しいと思うことは、妥協せず、自分なりに主張し続けて来た方だと思います。
正直、それが原因で、2度の降格と2度の左遷を経験しています。
正に出る杭は打たれました。

角を矯めて牛を殺す

これは、牛の曲がった角を見栄え良く直そうと手を加えているうちに牛を殺してしまうことです。
転じて、些細な欠点(小極)を直そうとして、逆に全体(大局)を損なってしまうということです。

先程の杭打ちですが、出すぎていたら打ち込めば良いのですが、むしろ、打ち込みすぎると、やり直しが出来ないので厄介です。

私の場合、私の欠点を認識していながら、可能性も信じてくれる上司がいました。
その上司たちに共通するは、却下する際も、その理由を明確に伝えてくれたことです。

私も却下された理由が分かると、次には、その根拠を改善した形で主張するこもができました。
すると、主張する回数が増えて行くのと合わせて、受け入れられることも増えて行きました。

自分自身の体験からも、まずは、組織が決して、「出る杭は打たれる」「どうせ、何を言っても却下される」「意見すると目を着けられる」などの考えが蔓延るようなものであってはならないと思います。

モチベーションとは誰でもない自分自身で上げるもののはずです。
決して、他人に上げてもらうことに依存するものではありません。
ましてや、上がらない原因を他人の責任にしてはならないはずです。

対して、主張する人を後押しする言葉として、出る杭は打たれるを皮肉って、「出すぎた杭は打たれない」という言葉があります。

確かに出過ぎた杭であれば、杭の頭が高くなり、先ほどの大きく重い掛矢を持ち上げることが出来ないことから叩きたくても叩けません。

しかし、私は、これは、少々、乱暴に思います。
解釈する人によっては、自分の都合の良いように受け取ってしまうからです。

何より大切なのは、その出た杭の主張には、論拠があるのかです。
論拠もなく、感情的な自分勝手な主張では却下されて、あたりまえです。

ところが、しかし、却下された理由を自分にはないと捉えてしまうと、出る杭は打たれるを風潮し、更には、出すぎた杭は打たれないを自分勝手に解釈して、主張されたら、それは、既にモンスター社員となってしまいます。

また、「1度意見したら却下されたので、もう2度としない」「意見するとやらせられる」などの様に消極的な人材になって欲しくあえりません。

私は、これも乱暴な投げかけではありますが、出る杭は打たれるのであれば、打たれ強くなって欲しいと思っています。
常識に漠然と流されるのではなく、自分自身の考えを論理的にまとめて主張すべきです。
また、組織としては、属する個々の可能性を既成概念で抑制することなく、それを受け入れられる体制づくりが大切かと思います。

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