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”便利慣れ”が、不便を作り出している

常に”便利”が良く、”不便”が悪い?

私たちの生活は時代の変化とともに
確実に便利になっています。

昔なら考えることができなかったモノが
今では当たり前になっている。

それだけ、便利なモノで溢れている社会です。

そのため、少しでも便利になって欲しいと思いますし、不便だと感じるモノゴトを生活から排除しようと考えたりするかもしれません。

確かに、時間は限られていますので、時間を有効的に使いたいと考えているのであれば、できる限り自分が知っている便利なもので囲まれていた方が、効率よく物事を運ぶことができると考えます。

ただ、私は、何でもかんでも
自分を便利なもので囲む必要はないと思っています。

さらに、時には、不便かもしれないことに触れておくだけで、いろんな感性を自分の中に入れることができます。

むしろ、社会を生きていくのであれば、
そちらの方が大切ではないのかと思っています。



時には、アナログ的な生活を挟んでみる

時間的なことを考えたら、便利だと感じることをした方がいいですが、あまりにも便利なことに浸かりすぎると、本来人間が持っている感覚の部分まで失ってしまうこともあります。

そのため、週に1回くらいは、不便なことも生活に取り入れてみることで、自分だけが持っている感覚を大事にすることができます。

例えば、「通勤を通える範囲から徒歩に変えてみる」とか、「機械を使っていたことを自分の手でやってみる」など、すべてがオートになっていたことを自分の肌感覚が感じられるような要素を含めることによって、新しい発見につながってくるのです。

私も電車を使わずに、歩いて目的地まで行くことを試したことによって、歩きを経験しなければ得ることができなかったこともあると感じて、アナログ的な要素の大切さを感じました。

一度にすべてを変えるのは難しいと思いますので、生活のどこかでスマホを手放してみるとか、あえて不便だと思うことをやってみて、自分がどのように感じるのかを経験してみてください。




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