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書評『神様に願う時、幾億もの星を見上げて』

1 作品紹介

 皆さん、こんにちは。今回は、浅野夕雪先生の作品『神様に願う時、幾億もの星を見上げて』の書評を、各文献の紹介や拙作の紹介等をも踏まえて、著述させて頂きます。

 ちなみに、浅野夕雪先生、ラストシーン、バッドエンドかと勘違いさせてのハッピーエンドでしたけど、動揺し過ぎて、立ち上がって足をぶつけてしまいました!どうしてくれるんですか?!(笑)

2 作品の概要

 『神様に願う時、幾億もの星を見上げて』の概要は、相貌失認を患う女子高生の羽田美月と、別の高校の教師の葉山圭の恋愛小説です。(教師と生徒の恋愛は大好物ですわ、マジで)

 さて、相貌失認とは、家族や友人などよく知っている人の顔を見ても、それが誰であるか分からなくなる脳機能の障害です。どうも、声や体格、服装など顔以外の特徴によって人物を特定することが出来るようです。

相貌失認はどんな病気?
相貌失認とは、人の顔がうまく認識できないという病気です。有病率は2~2.5%といわれており、意外と多いことがわかります。
主な症状としては、相手を顔ではなく声や歩き方で判断する、直前にあったばかりの人でも場所が変わると分からなくなってしまう、映画などの人物のすじがつながらない、などが挙げられます。著名人にもこの症状を抱える人もいます。

相貌失認の症状
失顔症とも言われる相貌失認に現れる症状というのは、顔の鼻や目、口といったパーツを認識することはできますが、その顔が誰であるという区別ができなかったり表情を読み取ることができないといった認知機能障害を現します。
近しい人の顔は認識できることもありますが、病気が悪化すると自分自身の顔さえも分からなくなってしまい、鏡を見た時にパニックになることもあります。

相貌失認の原因
人間は視覚情報を眼球でとらえ、それを視神経を通じて大脳の視覚中枢へと投影します。
その視覚中枢に投影された情報を、その周辺の脳機能によって形や色、また人の表情などへと認識をされる処理が行われます。
相貌失認には先天性のものと後天性のものがあり、後天性の場合は、この視覚中枢に出血や梗塞、腫瘍などの原因によって処理できなくなってしまうのが主な理由になります。
高齢者では脳梗塞などの血流障害、比較的若い人では交通事故などの外傷などが主な理由の一つです。
先天性のものは胎児期の脳形成の過程などで人の顔をすばやく認識する機能が低下することが原因です。

相貌失認の検査と診断
知っている人なのにその人の顔を見ても誰だか分らなくなってしまう相貌失認は、仕事内容によっては仕事に支障をきたす場合もありますので、早めに検査をする必要があります。
検査方法としては、知っている人の写真を見せてその方の名前を答えてもらったり、顔以外でその方を判断している可能性がありますので、髪型や洋服、持ち物などを隠してその方が誰なのかを答えてもらったりする方法があります。

相貌失認の治療方法
先天性の相貌失認は治療が確立されておらず、根本的には治らないとされていますが、トレーニング療法で症状の改善が期待できます。
一方で後天的な相貌失認の場合には、原因となる疾患を治療することで治る可能性があります。

3 作品の要点と感想

 思うに、「どうして知らないの?」や「なんで分からないの?」等という言葉は、相手を責めたりする言葉としてではなく、相手を理解するための言葉として、用いていくべきだと、小説を読んで、改めて深く思いました。『論語』(学而 1:16)に「人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふるなり。」とありますが、この簡単明瞭な言葉の実践の困難さは、本当に思っている以上に遥かに甚だしいものです。
 そして、この小説の中での、一部の警察官の事情聴取の際の態度に失言(馬鹿かお前は)・園長の言動(…難しいものですよね…)・羽田ちゃんの両親の言動(心配するのは当然の親心ですけれど、冷静に話し合いましょうよ…)・PTAの人々の糾問(うるせえ!邪魔すんな!)、そしてバッドエンドに仕掛けた男子高校生(お前は本当に論外)等からも、やはり、「どうして知らないの?」や「なんで分からないの?」等という言葉は、相手を責めたりする言葉として使うと、やはり、「口は禍の元」となってしまうものです。
 だからこそ、日常の言語並びに概念、社会の常識並びに通念の枠外や例外等、そして自分自身の知識不足や理解不足について、不断の向学を以て学び知っていくべきでしょう。

私たちこの世の生き物すべてを、片やアメーバへ、片や統合失調症患者へ結びつけるパターンとは? 日常の思考の前提を問い直し、二重記述、論理階型、散乱選択といった道具立てによって、発生も進化も学習も病理も包み込むマインドの科学を探究したベイトソン(1904-80)。そのエコロジカルな認識論の到達点を自ら語った入門書。

世界が私たちに認識できるものである限り、それは私たちの認識する通りのあり方をしているのではないか? この素朴な見方を理論的に整備するために、本書では自然種の一般理論を構築し、世界を実在的対象からなるものと捉える見方を擁護する。またこの理論を認識にも適用し、知識の自然化を目指す。科学哲学の俊英による理論的冒険!

 そして、物語の最後の

必ず見つけ出せ

 という言葉は、哲学者として思うに、言語・概念、そして学習を有する我々人間の力を権化でしょう。「在る」(存在する自分と他者)を「有る」(関係を築く)へと変えていくことが、「見つけ出す」ということでしょう。相手を「見て」何かを「引き出す」のではなく、自分自身を「見詰めて」あらゆる力を「出す」のです。少し主旨が異なりますが、以下は、我々人間と他の生命との「在る」と「有る」の一つの事例です。

5月の末。 連続で降った雨のせいで巣が崩れ、落ちてしまったカラスのヒナ。 このままでは死んでしまうと思い、今にも亡くなってしまいそうな一匹を保護。 その後、元気になって大空へ飛んでいくまでのストーリーをまとめました。
※怪我をした鳥獣を見つけた場合は、管轄の保健所に連絡をし指示を仰いでください。
※親鳥が近くにいる事があります。その時はそっと見守ってあげてください。
※この動画はヒナの連れ帰りを推奨するものではありません。

動画の概要蘭

このカラスは一生忘れないと思います。素晴らしい愛に包まれて育ってこれた事や沢山の愛情を受け大きくなれた事。本当にありがとうございました。優しい方に拾われ良かった。

崖の下のぽにょ

 コミュニケーションは、脳を有する数多くの生物にとって、重要不可欠な生命活動であり、同類、そして時に異類同士の絆を育み深める道でもあるのです。

対人関係理論にもとづく看護理論を構築
本書では、看護を精神力動的な特性をもつものとして考え、人間関係論を展開する。人間行動の理解に役立つ理念を、よりわかりやすい知識として看護婦が活用できるよう、看護場面における具体的な事例や図表を豊富に引用しながら解説。

「ヒトの言語」の形成は「大腸菌のエサ探し」から始まる!? 「動物はなぜ行動するのか」という伝統的な問いに対する回答を求め、生物学と心理学の共通領域〈動物行動学〉の世界を一望し、豊富な文献紹介を織り込んだ入門書。

4 拙作の紹介

 さて、拙作の方でも、丁度、「学習」・「知識」に関する話を著述し終えたばかりでした。少しご紹介させて頂きます。なお、喋る猫と人間が、共に寿司を食べながら、交流しているシーンです。

ズン「秘訣と聞くと、何かの神霊・秘伝・威力等を想像しがちですが…なる程、桜町の秘訣は、人間の言語・理性の活動・自然の理法、という在り来りの存在を、確りと『学び知る』、ということですね。なんか…その…何と言うか…ああ、『普通』こそが、至難の業なんでしょうね…」

ニャー助「そんなもんですよ。科学は言うまでもないのですが、巫術・魔術・忍術等、そして魂・霊・神等も、決して超人的・超自然的なものではありません。先哲の格言に、『神は、道へと化わることよりも遠大なことは無く、福は、禍が無いことよりもよりも長大なことは無い。』とありますが、これはつまり、神とは他ならぬ、奮励努力しては学び知り続けることであり、道へと化わるとは、自然に再び帰りつつも、生命として成長や進歩し続けることであり、そして、禍が無いことこそが、まず何よりも長大な福であり、また幸運であり、そのことを悟ることが本当に大切であり、そしてその他の諸々の福は、外界から享受するものではなく、神へと道と化わることで生じるものである、ということです。」

ミン「『学んでは、更に学んで、とこしえに学ぶ。』・『足るを知る』、ということでしょうね…本当に深い話です。」

ニャー助「そうですね。ところで、『学ぶ』という活動は、私達人類だけに限らず、脳が在るほぼ全ての生命の本能にして質素ですが、有害な質素の一つに、『いつまでも思って知るだけで、学びしろうとしない。』というものがあります。だからこそ『学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ。』を果たしては、っては、って、る。』を果たすことで、ようやく『常しえに知る』のです。」

ズン「『しる』というのは、そんなにも含蓄のある言葉だったんですね!」
ニャー助「そうです。まず何よりも、『領る』即ち『自分自身の心身の領有』を誠に完遂してこそ、初めて本当に『学ぶ』ことが出来、次に、『治る』即ち『自分自身の苦痛や病弊等を完治』を誠に完遂してこそ、初めて本当に『更に学ぶ』ことが出来、そして『学んでは更に学び続ける』を誠に完遂すれば、遂に『常しえに学び』、それと同時に『常しえに知り』、こうして『学び知り続ける』が誠に完成するのです。

 ところが、圧倒的大多数の人々は思って知るだけで、『領る』と『治る』が滅多に無いのです。ですから、思う人は確かにまあまあ多いのですが、考える人は極稀であり、ましてや、問う人となれば、滅多にいません。それと同様に、知る人は確かにまあまあ多いのですが、学ぶ人は極稀であり、ましてや、究める人となれば、滅多にいません。

ズン「ああ、僕は『学んでも思わなければ、これは則ち“罔然ぼうぜん”であり、思っても学ばなければ、これは則ち“危殆きたい”である。』という先哲の箴言を聞いたことがありますが、どうやら…ああ、えっと、とにかく、本当に『領る』と『治る』は大切ですよね!」

ニャー助「…学んでも思えないのは、『領らない』からであり、思っても学べないのは、『治らない』からであり、そして、学び思えても行えないのは、『知らない』からですよ、ミンさん・ズンさん…
 『知らない』のは、本人達の問題や責任等だけではなくて、環境の問題や責任等でもあるのです。だからこそ、教育や行政に研究等が存在するのです。ですが、『領らない』・『治らない』のは、ほぼ本人達の問題や責任等なのです。本人達が『領ろうする』・『治ろうとする』をしてこそ、ようやく初めて環境の問題や責任等が生じ、そしてそこから環境が本人達を助勢や助成等できるものですぞ、ミンさん・ズンさん…」

 そうです、羽田美月ちゃんは確かに、知らない、いや、知れないことが多々あります。だからこそ、周囲の人々の理解や協力が必要不可欠です。でも、その周囲の人々の理解や協力を得るには、本人もまた、たくさんの苦しい思いを克服し、そして、不断の努力があったからこそ、周囲の人々の理解や協力を得、そして大好きな愛する人である葉山圭先生との絆を得たのです。以下がその一つの場面です。

人は大切なことに気付かず見落としてしまうことも多い。
それを神様はきっと、何度も何度も教えようとしてくれている。
時にそれは、痛みを伴うこともあって……。

まだまだ私にも気付けていないことは多い。
相貌失認になって感じたことや、私がこれからしていかなければいけないこと、それをこれからも探していこうと思う。
障害を持っていても、他の人より大変とか辛いとか、そういうことではなくて、どんな人にも同じように大変なことも、辛いことも、苦しいこともある。

それに気付けただけ、私はきっとレベルアップだ。

 「神様」とは?それには色んな答えがあると思いますが、拙作を引用させて頂くと、

『神は、道へと化わることよりも偉大なことは無く、福は、禍が無いことよりもよりも長大なことは無い。』
ーーー

神とは他ならぬ、奮励努力しては学び知り続けることであり、道へと化わるとは、自然に再び帰りつつも、生命として成長や進歩し続けること

 となります。ちなみに『神は、道へと化わることよりも遠大なことは無く、福は、禍が無いことよりもよりも長大なことは無い。』という言葉と内容は、『荀子』の言葉を通釈して引用した言葉であり、そしてその詳解となります。

 君子曰:學不可以已。青、取之於藍,而青於藍;冰、水為之,而寒於水。木直中繩,輮以為輪,其曲中規,雖有槁暴,不復挺者,輮使之然也。故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則智明而行無過矣。
 故不登高山,不知天之高也;不臨深谿,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。干、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。
 《》曰:「嗟爾君子,無恆安息。靖共爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。神莫大於化道,福莫長於無禍。

荀子 : 勸學 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

【青は藍より出でて藍より青しの解説】
【注釈】「藍」とは、染料に使う藍草のことで、藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となる。その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意のことわざ。荀子の言葉で、学問や努力により持って生まれた資質を越えることができるということ。「青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し」に基づく。

青は藍より出でて藍より青し - 故事ことわざ辞典 (kotowaza-allguide.com)

 周の戦国時代末期の偉大な倫理学者、荀況の書。荀況は、孟軻(もうか)とは反対に性悪説の基礎に立つが、だからこそ礼法を重んじ、教育をもって人は改善されるべきだと説く。荀況の学は、孔・孟の礼論を発展させ、長く後代に大きな影響を与えた。また、その門下から秦の宰相・李斯(りし)や法家思想の代表であった韓非(かんぴ)らを輩出した。一方で、儒教では忌避されることもあり、清代で再評価が進んだ。荀況が諄々と説いた学説は孟子とあわせてまた精読を必要とする古典の一つ。

4 結語

 以上となります。皆さんもぜひ、夕雪先生の作品『神様に願う時、幾億もの星を見上げて』をご覧くださいませ。

 夕雪先生、素敵な作品、誠にありがとうございました!

…寿司、食べたい…

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。