1 挨拶
皆さん、こんばんは。
本日は更なる新たな軍事哲学と経営哲学を学び得ることが出来ましたので、拙作と文献と共に、皆さんにご紹介させて頂きます。
2 更なる新たな構想
今現在、自分は以下の戦争と平和の哲学小説である拙作を創作中です。
『墨子』をはじめ、「武経七書」(『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』)と『孫臏兵法』『兵法三十六計』等、また近現代西洋の軍事学、そして『人民戦争』という戦争論等を独創的に研究しつつ、拙作を創作中です。
今晩と明日の午前中に、以下の極めて優れた研究書を精読・熟読・味読して、明日の午後中から、執筆活動を再開します。
そして、様々な研究と思索を積み重ねていく中で、自分は、改めて暴力に戦争は人類、いや、生命の宿命の一つであると同時に、それらを受容しつつも克服していくのが、兵法の極意ではないかと、深く痛感しております。
自分は将来、新しい『論語』を完成させては出版することを志しております。
自分は将来、新しい『易経』を完成させては出版することを志しております。
自分は将来、新しい『孫子の兵法』を完成させては出版することを志しております。
前述のように、古の先王達や先哲達の「笏」という権威に碩学は陶磁器の如くであり、そして今現在の私達各個人の「符」という権利に向学は良き栄養食品の如くでしょう。
確かに陶磁器は、美しい「器」であり、素晴らしい「形」であり、そして含蓄に富んだ「芸」です。ですが、「食べる」(自ら誠に学び知る)には「飲食」等が必要不可欠にして重要不可欠です。ですから、良き栄養食品は、豊かな「具」であり、素晴らしい「品」であり、そして生命力を富ませる「物」です。「食べる」(学び知る)こそが本であり、「飾る」(他から教わってはそれに倣う)のはあくまでも末ではないでしょうか?つまり、以下のことが大切でしょう。
また、現代では、「人権」という概念が、法的にも社会的にも文化的にも、欧米や日本では長く深く浸透しておりますが、国民にして人民、そして個人である私達人一人一人は、もっと享受している人権を、正しく善く、そして知的に主体的に行使していくべきではないでしょうか?
民主主義・自由主義・多元主義・個人主義…これらの要は、思うに拙作『社会善』の副題の通り、「思想並びに良心の個人的かつ主体的な実践」ではないだろうか?
自分は在日ベトナム人であり、生涯に亘って自由ながらも重責や危難等に満ち溢れた孤高な道を歩み続ける哲学者としての利己的で個人主義の考え方と生き方、こよなく愛する祖国ベトナムと第二の祖国ベトナムに対して、生涯に亘って利他心・公共心・忠誠心、そして愛国心を以て、貢献・献身・奉仕するという道とその考え方と生き方を懐き続けます。
これが、自分の祖国ベトナムの近現代史から引き出した一つの大きな教訓であり、自分の最も大切な教えの一つです。ですから、拙作『社会善』にはこうあります。
利己心と利他心・私利私欲と公利公益・自由と愛国は、十二分に善く両立させる事が出来ると、自分は心の底から誠に信じており、そして生涯を掛けて率先垂範して参ります。
さて、思うに、愛国心と言う概念は、日本とベトナムでも、「軍民転換」と「軍民両用|《デュアルユース》」を実施していくべきでしょうか?日本では、侵略戦争の正当化や美化に用いられ、ベトナムでは、祖国防衛の強化と深化に用いられましたが、これからは、そのような暴力に悲劇の産物だけではなく、徳行に喜劇の産物、そう、例えば、民族意識の高揚や改善や、国家発展の実現や継続等にも用いられていくべきではないでしょうか?
どうして家族や学校、団体や組織を「誠に」愛しているからと言って、他の家族や学校、団体や組織を排撃や攻撃することになりましょうか?
どうして家族や学校、団体や組織を「誠に」愛そうとするのは、不況時や犯罪被害、崩壊寸前や迫害を被る時だけになりましょうか?
どうして祖国を「誠に」愛しているからと言って、他国を侵略したり、また、どうして祖国を「誠に」愛そうとするのは、侵略戦争を被る時だけになりましょうか?
大切なのは、以下のようなことではないでしょうか?
さて、愛国心の「軍民転換」と「軍民両用|《デュアルユース》」と同じように、あの『孫子の兵法』が様々な分野、取り分け「経営学」に転換と応用されているように、自分はまた、軍事学を経営学に転換させ、なおかつ、善き両用を実現することに貢献する拙作を創作することを志しました。そして構想したその拙作が以下の通りです。
まだまだ自分は、不徳で、浅知浅学・未熟未満です。だからこそ、学んでは、更に学んで、常しえに学び、徳を修めては、知も学も深めて、熟慮断行する円熟した人に成ります!
3 結語
今から、入浴して、明日の午前中に軍事学の研究活動を完了させて、午後から戦争小説の執筆活動を再開します。