ある日私は障碍者になった~(7)<正しさ>との葛藤
毎日雨続きで1日生きるのがやっとの状態です。季節の変わり目、梅雨は身体の調子を崩しやすいので皆様もお気をつけください。
この間、自分の中でモヤモヤしていたことに、主治医を含め、サポートしてくださる方からの御助言を頂いておりました。時間をかけて何か1つすとんと腑に落ちたことがあるので書きます。
少し前のことになります。
”精神病お断り”
「ひきこもり生活、こんなんじゃダメだ」「たのしいってどんなだっけ」
日常を少しでも取り戻そうと、以前から会員になっていたカルチャースクールの月間スケジュールを見て、気に入った講座を1つ選択して申込みました。それから数日して、このご時世ですから当日発熱したりしたらキャンセル料はどうなるのだろうと会員規約を読み始めました…やめときゃよかったんです。
「精神病」があると会員として認められないというところで目がとまりました。精神病といっても、あまりにざっくりしすぎていてよくわからないので問い合わせたところ、「周囲に危害を加えて迷惑をかける可能性のある人」という回答を頂きました。
私はこれを差別と感じてしまいました。「○○病のこういうところが困る」というわけではなく、ざっくり一括りに排除されたことに悲しみと怒りを同時に感じました。過去の判例や法務局の情報をネットで突貫工事で調べて抗議すると同時に、私自身が会員の要件を満たさないことに気付かなかったことを詫びて退会しました。「他の人はやさしく迎え入れてあげてください」という言葉を残して。規約は後日改変されました。
私はどうするのが<正解>だったのでしょうか?
「たのしい」という感情を取り戻すための行動から「たのしい」を手放す真逆のことをしています。
主治医等の助言【助言その①】
就労支援センター利用にあたっての事前面談で、自分の不得手、苦手なことをお話するなかで、ダイレクトにこのエピソードをお話しました。
「僕も<正しいこと>を言うときに、すごく嫌な言い方をすると親から注意されたことがあります」
支援職の方はさすがだなと思いました。この一言で私が、自分が思う<正しい>を振り回し、誰かを傷つけたり不快にして、結果として人間関係を破綻させて孤独に陥る負のサイクルに気付かされました。
主治医等の助言【助言その②】
<正しさ>に拘ってしまうのは、私の抱えるトラウマにも起因するところがあるので広く全般的な生き方として主治医にも相談しました。
「<社会正義の実現>イコール<自分の心の平静>」になっていないですよね」「忘れろというわけではありませんが、<一旦棚上げ>しておくのも手だと思います」
何かスルーして見て見ぬふりをすることに罪悪感を感じてしまう私は「忘れなさい」と言われると反発するクセがあります。10人に相談して9人が「忘れなさい」と助言してくれたなかで、10人目に「棚上げ」という心の整理方法を教えてもらって私はやっと納得しました。
私の学び
これが私の生きづらさの1つ。
なんでもかんでも体当たりして砕けていたら、身が持たないことはわかっていても「つい」やってしまう。そうやって私はいつも生きるエネルギーを使い果たしてしまうのです。無意識にやってしまうことについては、意識して一呼吸置く必要があります。いままで助言してくださった方々もそれを指摘してくれていたに違いないのですが、それの助言を受け入れる余地を私が持ち合わせていなかったのだと思います。
【助言その①②】を頂いたことでいつものパターンからやっと抜け出すきっかけを学べた気がしています。時間をかけて生き直しに挑戦してみます。
【マガジンにしています】
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