外国語を教える「順序」が違うじゃん?
大学生になってから、英語の理論を勉強し、フランス語の中級文法を学びはじめた時にあることに気づいた。
それは今までの、そして外国語学習それ自体の、もしくは日本における外国語教育の「矛盾」みたいなものかもしれない。
しばし、大学生の夢想にお付き合いいただきたい・・・。
必要であり、必要でない
外国語を勉強する時にまず行われるのが、その外国語の表現や、単語、文法を母語と対応させて覚えることだ。
単語を覚えるにはこのプロセスが不可欠になってくるし
文法には母語には存在しない考えや使い方があるから、やはり母語となんとか対応させることは重要になってくる。
先ほども書いたのだけれど
大学に入り、英語の理論や考え方、フランス語の文法に隠されている観念、これらを勉強するうちに
「母語」との対応は必要であるが、必要ではないと思ってしまった。
例えば、
「a,an」を単に「一つの」と覚えてしまうと、英語の解釈が難しくなってしまったり
フランス語の「il」が「彼」ではなかったり、
最初の段階で教えてもらったことが、理解の一助にはなってはいるが
深い理解の為には逆に理解の妨げになるという経験を二言語連続でしてしまったのです。
故に
確かに必要だけど、必要ではないと私は感じたのです。
順番が違うじゃん?
ここで私は外国語学習に当たって、
学習する「順番」を変えた方がいいんじゃないかと思いました。
初級とか初めの段階だと
簡単な文法や法、動詞の活用を勉強します。
私はこれがいけないと思ったのです。
最初の段階で、文法の体型をつらつらと説明するだけ、母語と無理に対応させようとするから、外国語の解釈がどんどん歪んでいくのです。
最初にすべきなのは、その言葉に隠れている「理論・考え」を教えることだと思います。
「なんでこうなるの?」
「理由はいいから、とにかくこうなるの」
これが良くない。
英語の場合
「a,an」が「一つ」なのは、英語には「数意識」が影響を与えているから(もっと具体的な理由がありますが)
という風に根拠を持って文法や法を教えてあげることが重要だと思います。
でもムズカシイ
でも問題なのが、初学者にはこの外国語特有の理論や考えを勉強するのが
簡単ではないということ。
だって日本語にはないのですから。仕方ない・・・。
でもだからと言って、語彙や文法や法をホイホイを「こうだから!」と投げ込むと勉強する側もただの作業になってしまうのではないかと思ってしまいます。
学問や勉強はどうあるべきか
特に外国語学習に関して
それが単に味気の無い記号の体系を勉強することになってしまうのは、学問や勉強が「大衆化」されすぎてしまうからだと思います。
多くの人達が、勉強することができる状況は賞賛すべきだとは思いますが、
勉強が「消費」される対象になっている側面もあるのではないかと考えられます。
「消費」としての側面が強いからこそ
勉強や学習が「カリキュラム」にさえ沿っていればいいと思われてしまう。
これは「勉強」「学問」に対して失礼なんじゃないか
と
今日も大学生は惟る。
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