山口歌糸

神奈川県川崎市出身、静岡県富士宮市在住/文章に携わる仕事をずっと続けています。

山口歌糸

神奈川県川崎市出身、静岡県富士宮市在住/文章に携わる仕事をずっと続けています。

最近の記事

先達について

ずいぶん前になりますが、修験道における御師について書いてみています。 自著の小説咲夜姫では、富士山の修験道の人として御師が登場します。舞台は江戸時代になっているので、登場する時期は合っています。 先達(せんだつ。「せんだち」「せんたつ」などともいう)とは、主に修験道の指導者を指します。広義な意味があるそうですが、山岳修験の道には先達が置かれるというのです。 じゃあ御師と何が違うかというと、名前です。昨年頃に富士山世界遺産センターを訪ねて先生からお話を伺った際、静岡の表口

    • 修験について

      先日、自宅から、富士の麓にある村山浅間神社まで歩いて行きました。距離にして5kmほどらしく、行きは登り坂なので中々の道程です。 自分は日頃から文章を打つ仕事ばかりなので、運動不足は常でありますから、こういった機会に足を使うのは有難いことです。行きの山道ではアオダイショウの幼蛇が雑草の葉の連なるところで昼寝をしていました。帰りは雨に降られました。山の天気は変わりやすいのです。 修験とは修験(しゅげん)とは、山で修行をする行者のことです。 古くから、山には神様(仏教でいえば

      • 望月

        望月(ぼうげつ)とは「月を望み見ること」でもあり、一方で「満月」という意味もあります。 静岡県だけで特に多い名字として「望月」「杉山」「佐野」があります。 個人的な話では、小説咲夜姫を編纂してくれた人も佐野さんで、富士宮にある書店の人も佐野さんで、また別の書店の人も佐野さんでした。 また静岡へ移住した当初に勤めた会社では、部署ごとに望月さんと杉山さんがいました。何となくこれらの名字の方は、たぶん地元の出身なのだと思うようになります。 静岡では、月を見上げると同時に富士

        • かぐや姫の香り

          かぐや姫の美しさを示す表現の内には"光輝く様"がよくいわれます。かぐや姫は漢字では輝夜姫とも書かれ、夜闇も照らされるほど美しいというのが写文の通りです。 ただその名前の音にはどこか香しい(かぐわしい)意味があるともよくいわれ、かぐや姫は良い香りがする人だというのはことごとく言われてきました。 現代の感覚では化粧品や香水があるからこそ美しさに香りの要素も含まれるものですが、竹取物語が書かれた奈良時代や平安時代の頃ではそのようなものは一切なく、香木を使ったお香が一般的でした。

        先達について

          富士北麓に伝わる竹取物語神話

          以前に富士山かぐや姫ミュージアムへ行った際に買った書物で、興味深い記述がありました。竹取物語の珍しい伝承です。 東泉院富士山縁起 富士市にある東泉院は長らく閉ざされた寺院であったといいますが、この書物のあとがき(かぐや姫ミュージアム木ノ内館長著)では昭和六十年頃から少しずつ調査が始まったようです。当時のことがどこか懐旧の情のように綴られています。 そしていま富士市から出ている富士山の竹取物語は、室町時代の1560年頃に書かれた富士山縁起が大元といわれます。竹取物語の大元

          富士北麓に伝わる竹取物語神話

          宝永山について

          富士山というと、他県に住む人は一つの大きな山をイメージすると思いますが、実はいくつか連なった山を抱えています。 "側火山"(そっかざん)といわれるその山は、大きな山が山頂の噴火口ではなく別の場所から噴火することでできます。富士山も大きな山なので、噴火は頂上の火口ではなく側面から起こり、側火山ができました。 その一つが"宝永山"(ほうえいざん)です。富士山の南東側に位置し、どこから見るかによって形は違って見えます。富士宮など富士山の南側にある街からは、富士山の右側にこんもり

          宝永山について

          かぐや姫と見合いをした五名の正体

          かぐや姫の結婚を取り巻く場面の解説です。竹取物語の中でかぐや姫は帝との結婚について暗に受け入れ、三年間の文通を行ないますが、それ以前に大規模な見合いの場面があるのはよく知られています。 かぐや姫の見合いの場面についてこの場面では一般的に五人の偉い方がやってきて、かぐや姫から無理難題を押しつけられ、その挙句に誰も敵わず、かぐや姫は独身のままこの場面を終えます。 この場面には、かぐや姫の美しさを助長すると同時に、文学としての教養やいわゆる頓智(とんち)が感じられると同時に、時

          かぐや姫と見合いをした五名の正体

          竹取物語における"不死の薬"について

          竹取物語の性質を考える上で「不死の薬」は欠かせないものと思います。紆余曲折ある筋書きの、本当に最後の部分が"帝へ不死の薬を渡す場面"です。 不死の薬の渡し方竹取物語の写文では、不死の薬は帝へしれっと届けられます。写文や言い伝えの種類によっては、直接手渡す場面もあり、使いの者を介して届けさせる場面もあります。 その時点でかぐや姫の迎えは到着しているので時間の猶予はなく、帝はそれを貰ってかぐや姫を見送るのです。 不死の薬の場面は、かぐや姫のおとぎ話としてはあまり重視されず、

          竹取物語における"不死の薬"について

          竹取物語と源氏物語

          竹取物語が執筆されたのは平安時代初期頃といわれます。 写文しか残っていないのになぜ平安時代頃にできたといわれるのかは難しいところで、現在では源氏物語が手がかりとされています。 源氏物語について源氏物語は、紫式部が成立させた長編の物語です。全編で100万文字くらいあり、400文字の原稿用紙に換算すると約2千枚以上にもなります。 またこのように古い文献は、執筆や完成とはいわず"成立"といわれます。執筆とは作者が紛れもなく書き記した文章であることを示すのに対し、成立とは編集な

          竹取物語と源氏物語

          竹取物語の写文

          竹取物語は、既に原文が現存しません。"単に書き写しである写文"と、"校正までされてまとまった写本"が今日まで伝わっています。 後光厳天皇写文 その写文の最古の物が、竹取物語成立から五百年以上の後の室町時代に後光厳天皇(ごこうごんてんのう)によって書き写されたとされます。室町時代の初期から区分される南北朝時代は北朝の第四代目天皇です。 写文の最古が偶然にもそれだったというだけで、北朝やこの時期の天皇に関連があるとは考えられていません。おそらくですが南朝にも竹取物語の存在は認

          竹取物語の写文

          富士高天原王朝

          竹取物語と古事記の関連、木花咲耶姫とかぐや姫の同一について、「ムー」が昔に特集をしていたと聞いたので探してみたら、別の面白い話を知りました。 富士山にはその昔、富士高天原王朝があったといいます。 ムーの三上編集長が語るには、宮下文書(※山梨県富士吉田市にある小室浅間神社の宮下家に伝わっていた文書)に富士の古代王朝があったと書かれ、その王朝こそが記紀に書かれる"日本神話の世界"以前だというのです。 裏付けとして、 「秦の始皇帝から不老不死の薬を取りに行くように命じられた

          富士高天原王朝

          神話世界の構図

          古事記に基づいて世界を大きく分けると、三つの段になります。上から順に、 ・高天原(たかまがはら) ・葦原中国(あしはらのなかつくに) ・黄泉国(よみのくに) です。それぞれ上中下と分かれ、 ・天津神の住む国 ・国津神の住む国 ・死者の国 となります。 葦原中国は元々、乱暴者であった素戔嗚(スサノオ)が追いやられ、後に彼の子孫たちが国として作った世界です。そして素戔嗚の兄弟の天照(アマテラス)の孫である邇邇芸(ニニギ)もまたやってきて(※天孫降臨)、笠沙(かささ)の岬

          神話世界の構図

          台詞が一言もなかった男

          小説咲夜姫は、竹取物語の筋書きに則って進みます。簡単にいうと竹取物語を知っていたらこの小説の展開はほぼ読めてしまうのです。 咲代さんが三年ほどで大人になったので、甚六さんは縁談の頼みを進めていきます。そのために訪れたのは、その町では名の知れた女性で、髪結床の女将でした。 女将は引き受け、美しい咲代さんに相応しい男を探してみようといいますが、どこかから話が漏れてしまい、甚六さんと咲代さんの住む屋敷の周囲には男達がうろつくようになります。婿を探しているなら自分にも可能性がある

          台詞が一言もなかった男

          竹取物語における「月」

          竹取物語は、竹に始まり月にて終わります。 かぐや姫は竹取の翁に自らを「月の都の住人であり、月の定めによってこの国へ参ったとし、そろそろ迎えが来る」と明かしました。 その後、本当に月の方から使いの者が百人ほどやってきて、成す術もなくかぐや姫は帰ります。 この月に対する解釈というのはとても多く、竹取物語の本性のようなものを探る上で大事な部分です。 月詠命/ツクヨミノミコト竹取物語を絶対に日本の話であると仮定すれば、月というのは古事記における月詠命(ツクヨミノミコト)とされ

          竹取物語における「月」

          美しき白竹

          竹取物語に登場するかぐや姫は、正式には"なよ竹のかぐや姫"といいます。なよ竹とは細くか弱そうな竹のことで、竹から生まれたかぐや姫の姿に因んでつけられたといいます。か弱い様子を「なよなよしている」ともいいますね。 小説咲夜姫では、なよ竹ならぬ白竹(しらたけ)をひとつのモチーフにしています。白竹とは元々から白い竹ではなく、炙って白くした竹のことです。 竹細工には、採れたままの青い(緑色の)竹を加工する青竹細工と、白竹細工があります。青竹に含まれる油分を抜く意味もあるので、炙り

          美しき白竹

          竹取物語と神道と仏教

          竹取物語と神道竹取物語にて、かぐや姫に名前をつけたのは御室戸斎部の秋田(みむろとのいんべのあきた)といい、祭事を司る方でした。取り様によっては神主さんのような方です。 また、かぐや姫を育てたお爺さん(竹取翁)は、名前を讃岐造(さぬきのみやつこ)といいます。物語では讃岐造が出世をし、かぐや姫は帝に嫁ぎました。その後すぐに元の世へ帰りますが。 その裏付けとして、古事記には迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)という名前も出てきて、その方は垂仁天皇(すいにんてんのう)の妃でもありま

          竹取物語と神道と仏教