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竹取物語における"不死の薬"について

竹取物語の性質を考える上で「不死の薬」は欠かせないものと思います。紆余曲折ある筋書きの、本当に最後の部分が"帝へ不死の薬を渡す場面"です。


不死の薬の渡し方

天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。又、あるは不死の薬入れり。一人の天人言ふ。「壺なる御薬奉れ。きたなき所のものきこしめしたれば、御心地悪しからむものぞ」

竹取物語/角川書店編

竹取物語の写文では、不死の薬は帝へしれっと届けられます。写文や言い伝えの種類によっては、直接手渡す場面もあり、使いの者を介して届けさせる場面もあります。

その時点でかぐや姫の迎えは到着しているので時間の猶予はなく、帝はそれを貰ってかぐや姫を見送るのです。

不死の薬の場面は、かぐや姫のおとぎ話としてはあまり重視されず、むしろカットされたりもします。謎を残す終わり方は、小説としては面白いですが、子供に読み聞かせる話としては気味が悪いのです。ましてそんな得体の知れない物を渡すことよりは、かぐや姫と別れなければいけないことの方が重大ですから。

かぐや姫の目的

かぐや姫の目的という観点から考えると、いくつか言われはあります。

例えば「かぐや姫が自らの美貌とそれに群がる愚かな男達の姿を周囲へ見せ、身分など下らない、女性は崇高な生き物である」と示している、ともいわれます。

またもう少し視野を広げると「かぐや姫は人間よりも優れた神様のような存在であり、人間がいくら何をしようと敵うはずもないのである」という、信仰心の植え付けに近いような話ともとれます。

ただやはり信憑性の高いのは、筋書きに沿って迎えの使者から告げられる「かぐや姫には罪があり、償えたので帰る時が来た」ということと、またその後に起こる「不死の薬を託す行為」です。この二つは同じ場面なので、どこか繋がりはありそうなものです。

そうして自分が以前に思いつき、まとめた随筆文では「かぐや姫は木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)であり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の罪を代わりに償うためにやってきて、不死の薬を帝へ託した」といつ仮説を説明しています。

瓊瓊杵尊の罪とは、磐長姫(イワナガヒメ)を突っ返したことで神の家系を不死身で無くしたことです。帝とは瓊瓊杵尊の子孫でもあり、彼に不死の薬をまた飲ませれば、神の家系はまた元通りに不死身の存在となれます。

罪の内容をそう考えると辻褄はすんなりと合いますから、すると不死の薬を渡すことはかぐや姫の目的であり、竹取物語においても重要な場面なのだと思えます。

不死の薬とは

人類の歴史は、寿命によって常々制約されてきました。どれほど若く美しい人でも年月が経てば老人になり、そのうちに死にます。どれほど勉強しても、頭が良くても、寿命が来ればそこまでとなるのです。

それが自然の摂理であるという言われも大昔(それこそ紀元前くらい)から宗教を通じて明らかにされています。また時の権力者が不老不死を求めて奔走するという話へとつながり、有名なところでは秦の始皇帝が配下に不死の薬を探しに行かせたという話もあります。

以前にも少しふれたのですが、始皇帝の方士であった徐福(じょふく)が"日本へ渡り、そこで富士山へ登り、不死の薬を探した"などという言い伝えもあります。ただ始皇帝と徐福の逸話は派生し過ぎて、何が何やらわかりません。

しかし以前に自分が富士宮の図書館の資料を漁っていた時、富士山に伝わる不死の薬に関する記述を読んだことはあります。残念ながら失念しましたが、とある果物です。富士山には昔からそのような伝説があり、名前の由来(※富士山=不死山)通りに不死を司るとは言われてきたそうです。

するとどうでしょうか、
「かぐや姫から受け取った不死の薬を富士山で燃やさせた話」、
「富士山には元々から不死の薬が自生していたという話」、
「後に富士の祭神として奉られる木花開耶姫の話」、
「始皇帝が不死の薬を探し求めた話」、

これらに妙な関わりは感じ取れ、竹取物語の中に不死の薬が登場する理由には、"竹取物語以前から言い伝わってきた様々なものが影響した"と考えられます。