評論「竹取の赫野姫、古事記の佐久夜毘売」(市民文芸ふじのみや第46号随筆部門優秀賞作品)

日本最古の小説「竹取物語」。
話の主役であり象徴である女性「かぐや姫」には、多くのモデルがいる。

古事記に登場する「迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」あるいは「賀具夜媛命(かぐやひめのみこと)」(双方は別人)、また百済(くだら)の人という説もある。
突如現れ、そして消えたという経緯には自然とあてはまるだろう。

一方で、富士の祭神であり、古事記でも重要な役割を果たす「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)」が正体とする説もある。
富士山に祀られ民を守る女神と、竹から現れやがて月へと帰った姫。
二人が同一の存在であったと確証されるだろうか。

一、富士の神第一の呼称「浅間大神(あさまのおおかみ)」

元々、富士に祀られる神様は「浅間大神」と呼ばれた。
これは平安時代初期にいた貴族「都良香(みやこのよしか)」の著作「富士山記」によるものである。

「富士山記」には主に富士山にまつわる歴史や、富士山が如何に雄大か、如何に美しいかなどの情景描写、評価などが記されている。
その中に、富士に居られる神に関する記述もある。

「山名富士 取郡名也 山有神 名浅間大神」

原文を訳すと「山の名は富士といい、富士郡から名付けた。
この山には神が居り、名を浅間大神という」と、このようになる。
浅間大神は、いわば富士の山の神そのものを差すが、厳密には当時すでに富士山頂にも建立されていた浅間大社の祭神のことである。

歴史は垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代まで遡る。

書物「富士本宮浅間社記」には、垂仁天皇三年(紀元前二十七年)に、第一の浅間神社が富士山麓に建立されたとある。
当時の富士山は活発に噴火を繰り返す活火山で、麓は人も寄らず荒れ地になっていた。
浅間神社の建立以後は僅かながらも落ち着き、人が住むようになったという。

だが噴火は依然として多く、平安時代初期に起こった延暦(えんりゃく)大噴火(八〇〇年)を機に、坂上田村麻呂によって富士山頂に遷座(せんざ)される。
以後は噴火を静める意味で、山頂から周囲に至るまで幾多の浅間大社が建立。
現在に至る。

浅間の名、その直接の意味を読み解くと、

「浅」……「あさい、うすい、水のすくない」
「間」……「はざま、あいだ、ひっそりとしずかな様子」

などとなる。
また「アサマ」には南方の古語で「爆発」「火を噴く」という意味があり、アイヌ語でも同様の意味合いを持つ。
国内外問わず、こうした古語は物の命名によく用いられたという。

ルーツはさておき、活発に噴火を繰り返す富士山を言い表すために名付けたのだろう。
不気味な静けさを持ちながら、突如として火を噴く山は、今ほど科学の理解されていない時代の民には恐怖でしかなく、神の怒りと例えられたのである。

二、富士の神第二の呼称「赫野姫(かぐやひめ)」

浅間大神と呼ばれた富士の神はその後、「かぐや姫」と名を変える。
鎌倉時代には粗方完成したという、富士にまつわる幾多の書物「富士山縁起(ふじさんえんぎ)」には、富士の祭神は赫野姫(他に赫夜妃、爀夜姫とも記載)とある。

奇しくも現在「さくや姫」として祀られる神様は以前、今の誰もが知る「かぐや姫」と呼ばれた時期を経ていたのである。

まずは名の解釈を先にして、竹取物語との関連性を読み解く。
冒頭にも述べたが、竹取物語のかぐや姫には多くのモデルがいる。
その理由と、また富士の祭神も同じ名であった理由の大きな一つに、「かぐや」という言葉の意味がある。

古事記に登場する二人のかぐや姫は名をそれぞれ「迦具夜」「賀具夜」と表記する。

「迦」……「であう、めぐりあう」
「賀」……「よろこぶ、ねぎらう、になう」
「具」……「そなわる、つぶさ、こまやか」
「夜」に他の意味はなし。日の沈んだ後の、暗い間のことを差す。

意味として、山や火を直接連想しないことがわかる。
迦具夜比売命と賀具夜媛命ともに女神であり、美しく繊細であり、また幸をもたらす存在としての名を付けられたと解釈できる。

更に、古事記は日本最古の歴史書物であるから、竹取物語の方が古事記に登場する二人の「かぐやひめのみこと」から着想を得たと見る方が自然であろう。
物語の結果として山や火とも関連付けられるかぐや姫であるが、子のいない老夫婦が出会ったかぐや姫へ抱く感情は「喜び」であり、印象はただ「美しい」ではなかろうか。

一方で、富士の祭神が直接その名に成ったというのが、古事記のとは異なる、もう一人のかぐや姫である。

祭神のかぐや姫は表記が複数あるが、意味は全て同じになる。

「赫」「爀」……「あかい様子、かがやく、てらす、いかる」
続く字は「野」「夜」と、「姫」「妃」とされる。
野と夜に関しては照らされる対象の意であり、野は大地、夜は天空を表す風だが意味に大差はない。

偶然に出逢い、喜ぶべき、夜闇や広野を美しく照らす姫様となり、一方で怒りの心も持つ。
かぐや姫の名にはそのような意味があり、竹取物語に出てくる美しい姫と、活発に噴火を繰り返す山の神、どちらにも適している。

偶然にも竹取物語のかぐや姫と、富士の祭神の赫野姫が同名になったとしても、何ら不思議ではない。

だが、両者には決定的に違う点がある。古事記のかぐや姫は竹取物語以前、富士山縁起の赫野姫は竹取物語以後に書かれた。
古事記の方は竹取物語への着想になったと推測できるのに対し、富士山縁起は竹取物語をより富士への関わり深いものへと解釈する意図が見られるのである。

三、富士山と竹取物語

なぜ富士の祭神は、浅間大神から赫野姫へと名を変えたのか。
当然に竹取物語が関係しているので、物語の大筋を見れば多くを知ることができる。

まず、竹取物語は原文がすでに存在していない。
執筆されたのは平安時代初期頃とされ、同じく平安時代の中頃に記された「源氏物語」の中に「物語の出(い)で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁(おきな)」との一文があることなどから、いわゆる創作小説の第一作目だといわれる。

また、舞台に関しての記述がなかった故、時代または地方によって筋書きは微妙に異なる。

一般に知られる竹取物語のあらすじは、
・竹取の翁が、竹の内から小さな女子を見つける。
・翁はその後、竹林にて金を度々見つけ、瞬く間に裕福な身分となる。
・同時に女子は異常に速く成長し、美しい姫と変わる。
・姫は見合いをするが上手く運ばず。
・姫は自らが月から来た人であると明かす。
・翁と別れた後、追ってきた帝へ不死の薬を託し、姫は帰って行く。
・帝はそれを要らぬとし、不死の薬を最も高い山の上で焼き払う。

このようになる。
物語には多種多用のメッセージや教訓がちりばめられており、現在でも多くの芸術創作の手本とされる。
姫と出逢って以降に翁が裕福になる、姫が瞬く間に成長し美しい女へと変わるなどの現象。姫が別世界の者であると明かし帰って行くという結末に至るまで、神話とも違わない不可思議な筋書きである。
解釈によってはファンタジー・SFなどともいわれるが仕方はない。

物語の最後に記述される日本で最も高い山とは、当然にも富士山のことである。
月へ帰った場面を最後にかぐや姫がいなくなるので、後述ともされる不死の薬や富士山の記述について、現代ではそれほど知られていない。

そして一方、駿河の国には、富士にまつわる竹取物語が存在する。
富士山縁起の一種「神道集」の内の一話「富士浅間大菩薩事」中に詳しく記述されている。

その内容というのが、
・昔、駿河国に子のいない老夫婦が住んでいた。
・夫婦は竹林で女子を見つけ、赫野姫と名付け育てる。
・赫野姫は国司と結ばれる。親代わりの夫婦はその頃、没す。
・赫野姫は自らが富士の神、浅間大菩薩であることを明かし、帰って行く。

竹取物語の写文と称して違いないほど、話は酷似していよう。
この話は最後、国司も姫を追い、共に富士の神へ成ったともある。

よく知られる竹取物語との相違点は、姫が元の世界へ戻るために富士山を上ったことである。
日本で最も高い場所から月へ帰ったか、別の元いた世界へ帰ったか定かでないが、最高峰の山を女の身で上り、追ってきた国司とともに消え、赫野姫は富士山の神様として崇められるようになったという。

竹取物語が執筆されたのは平安時代初期。
対してこの「富士山縁起」は、鎌倉時代には存在したという。
平安から鎌倉時代までの約四百年の間に、それまでに富士の神をかぐや姫と改めようとする働きかけ、あるいは説の提唱などが行われたのは明白であろう。

またここでいわれる「浅間大菩薩」とは、神仏習合としての浅間大神の別称である。

菩薩とは仏の次の境地を意味し、要は仏教における位を示す。
鎌倉時代にかけての当時、日本古来の神社神道にインドまたは中国より伝来した仏教が混ざり合っていた。
布教を勧める宗派と当地の民俗信仰がこのように反応することは、世界では珍しくない。

すると富士の竹取物語は仏教による意図で成り立ったかというと、また定かでない。
浅間神社はこの頃より浅間大社と名を変え、広く神仏習合を受け入れたが、いわゆる仏教寺とは成っていないからである。
祀られるは古来の神であり、元は浅間大神であった。
曖昧ではあるが、その曖昧以上にも以下にもならない。

大菩薩と名乗った経緯はさておき、こうした二つの竹取物語は、何よりその結び付けに大きな矛盾がなかったことが、今日まで富士を竹取物語の舞台と考える説、また富士の神をかぐや姫とする伝承につながっている。

四、富士の神第三の名「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」

平安時代より「浅間大神」を経て、鎌倉時代には「浅間大菩薩」または「赫野姫」となった富士の神。
だがその後、今に伝わる「木花之佐久夜毘売」へと、神は再度名を変えている。

これは江戸時代の学者「林羅山(はやしらざん)」の著作「丙辰紀行(へいしんきこう)」に記述されたのが初めとされる。
彼の提唱によって富士山の神はまたも名を変えたのである。

林羅山は、徳川家康と代々将軍に仕え、幕府設立やその後の政治、学問にも多数関わった人物である。
思想としては「朱子学(しゅしがく)」いわゆる儒教を根本とする学問、後は神道を重視した。
徳川家ひいては幕府の意向があったかはさておき、彼によって富士の祭神は神道上の祖先でもある木花之佐久夜毘売に変えられた。

だがこの変更は、今にしてみれば円滑で自然であろう。
木花之佐久夜毘売は、天孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の子を火中で出産した逸話などから「火の神」とも称えられる。
度々噴火を起こす富士山の象徴として相応しかったのである。

まず、木花之佐久夜毘売とは誰人か。
登場するのは日本最古の歴史書「古事記」である。
重要な役割を担う存在であるが、記述はそれほど多くない。

そのあらすじを紐解くと、

・天孫瓊瓊杵尊は笠沙(かささ)の岬にて、美しい娘と出逢う。
名を尋ねると娘は「神阿多都比売(かむあたつひめ)、またの名を木花之佐久夜毘売」と名乗った。
天孫はその美しさに心を奪われ、求婚する。
木花之佐久夜毘売の父である大山津見神(おおやまつみのかみ)は喜び、木花之佐久夜毘売の姉である石長比売(いわながひめ)とともに天孫へ娶らせる。
だが天孫は容姿の醜かった石長比売を返し、木花之佐久夜毘売だけを貰った。
そのことを大山津見神は怒り、天孫へ告げる。
「我が娘二人を貴方へ奉る故は、石長比売を遣わせば貴方の命は雨降り風吹けども永久(とこしえ)なる石の如くあり、木花之佐久夜毘売を遣わせば貴方は木の花の咲くが如く栄え増します。木花之佐久夜毘売だけを貰う貴女の命は、ただ木の花の様に短く儚いものとなるでしょう」

と、ここまでが登場する前半部分である。
天孫と木花之佐久夜毘売が出逢ったといわれる笠沙の岬は架空の地であり、鹿児島県西方にある同名の島の名付け元だという。
また父親の大山津見神は、広く日本中の山々を司る大神である。

この話部分には、いわゆる外見と内面を秤にかける皮肉な教訓が込められている。
美しいものは儚く、醜くとも永いものがある。
美しさだけを手に取った天孫の業はむしろ愚かとされ、彼のせいで神の子孫である今の天皇家の人も我々と同じく短い寿命になったといわれる。

そして天孫の妻となった木花之佐久夜毘売は、彼の子を身籠る。
その懐妊と出産を巡る話が後半部分となる。

・天孫は木花之佐久夜毘売の腹の子を、国津神(くにつかみ)(天に住む神に対し、地の神を表す)の子ではないかと疑った。
しかし木花之佐久夜毘売は、
「我が妊(はら)みし子、もし国津神の子なら不幸になりましょう。もし天神之御子(あまつかみのみこ)(天孫の別名)の子なら幸ありましょう」
そう言い、戸のない八尋殿(やひろどの)(広い屋敷)を造り、中に籠った。
そして火を点け、火中で子供を出産した。
天孫の子であったから、火中でも無事に産まれたのだという。

と、後半部分は読んで字のごとくである。
木花之佐久夜毘売は天孫から疑われたことを根に持ち、以後ずっと彼に心を開かなかったという。
また火の中で産まれた子供らは育ち、神となり、今の天皇家につながる血筋となる。

話の表面だけ汲み取れば天孫はひどく身勝手な者とされるが、さておき本筋に戻ろう。
この古事記に登場する木花之佐久夜毘売が、江戸時代の学者である林羅山によって浅間大社の神いわば富士山の神と提唱されたのである。

ではなぜ林羅山は平安時代に記述された姫と同じ名を、更に古く伝わる女神の名と変えたのか。

彼本人あるいは時の権力者による神道の推進と捉えるのは容易いが、林羅山は稀代の天才と呼ばれた人である。
一度聞いた話、読んだ内容を全て覚えたという。
神道と朱子学に重きを置きながらも、合理主義を貫いた。
いわば、目に見えぬ物を信じない徹底された現実主義者だったのである。

それほどの才物が定めるのだから、確証的な理由もあったと考えるのが妥当だろう。
要するにかぐや姫は木花之佐久夜毘売と同一であり、天から下った存在なのだと彼は理解するに至ったのではないか。

仮説だとしても、両者に共通する性質は多くある。

まず、「誰もが目を見張るほどの美形であった」

かぐや姫の元には日毎に大勢の男が訪ね、ある者は恋文で気を引こうとし、ある者は翁へ縁談を頼み込むなどした。
親代わりである翁もかぐや姫の美しさは大層認め、自らの身体が悪い日もかぐや姫の姿を見るとたちまち治ったという。

木花之佐久夜毘売も、余りの美しさに一目見た天孫から求婚を申し出された。
また彼が後に妻の胎児を別神の子と疑ったのには、木花之佐久夜毘売が天孫と出逢う前に多勢の国津神と親しくあったから、などという解釈もされている。

「関わった者へ富と幸福をもたらした」

かぐや姫と出逢った翁は幾度も竹林で金を見つけ、瞬く間に裕福な暮らしを手に入れた。
姫本人は時の権力者や公家から求婚を申し出された。
望めばより多くの者を幸福に、また裕福にすることは造作もなかっただろう。

木花之佐久夜毘売は天孫の子を身籠り、天皇の祖先となる子供を生み育てた。
身分に関すれば貧富とは別次元の高みにある存在といえよう。

「山と深い関わりがある」

かぐや姫が月に帰った後、帝が富士山で不死の薬を焼いたと記述される。
富士の伝承版においてはかぐや姫自身が富士山へ上った。

木花之佐久夜毘売は木と花を司るとされるが、親は山の大神様である。
「元々の自分は山の神であった」と明かす富士の竹取物語の記述と自然に結び付く。
「かぐや姫は、つみをつくりたまへりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。つみのかぎりはてぬれば、かくむかふるを、おきなはなきわめく」

また二人には「罪があった」

竹取物語の原文(写分)によると、かぐや姫が天に帰る際、迎えの天人によって姫が罪人であったことを明かされている。
「かぐや姫は、つみをつくりたまへりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。つみのかぎりはてぬれば、かくむかふるを、おきなはなきわめく」

一方、木花之佐久夜毘売は天孫の結婚を巡り、姉の石長比売に結果として恥をかかせた。
関係も悪くなったとある。
これは天孫の罪でもありつつ、解釈によっては姉を置いて応じた佐久夜毘売も同罪であるといわれよう。
竹取物語の原文(写分)によると、かぐや姫が天に帰る際、迎えの天人によって姫が罪人であったことを明かされている。

「性格」においても、両者は似通った部分がある。

この性質は非常に面白い。
民に対して神を神と思わせない妙な工夫、大衆性を持たせようとする意図もある。

かぐや姫は作中で縁談相手の男性に難題を提示し、ことごとく断ってきた経緯からもわかるように、他者(特に異性)に対しては冷たかった。
短い童話として語られる際に用いられることはまずないが、竹取物語の原作中には翁からその冷たい性格を指摘される場面も存在するのである。

対して木花之佐久夜毘売は、姉との関係や、火中出産の件から、言動や性格が難しかったという解釈は確かに存在する。
物言いは厳しく、意固地な性格と見られている。

このように外見と内面だけでなく、境遇もどこか似た二人。
林羅山がもし単なる主義浸透のために祭神を赫野姫から木花之佐久夜毘売に変えたのだとしても、両者が似通っているという点は余りに都合が良過ぎる。

竹取物語自体が、古事記あるいは日本書記(古事記に続く歴史書。似た記述がある)から着想を得た、例えば古事記に登場するカグヤヒメノミコトから名前を取り、物語の主役をかぐや姫と名付けた、あるいは木花之佐久夜毘売が元々かぐや姫のモデルだった、いやむしろ始めから木花之佐久夜毘売の話として書かれていたとすれば。

・木花之佐久夜毘売は自らの罪のため現世に下り、その罪を償うこととされた。
姫は赤子の姿で現れることで、育ての親と家を容易く手に入れた。
幸いにも拾われた老夫婦は心穏やかで相応しく、また姫が目的のために大人へ急成長することも恐れず、現の出来事と受け入れた。

大人となった姫の美しさは現世に下りても変わらず、人の心を引いて止まなかった。
多くの男達が姫を我が妻にと申し出た。
姫はその男達に無理難題を提示し、自らを娶ることの難しさを広く伝えた。
そうして世で最も力を持つ者、いわば神の子孫の到来を待った。
姫がもし、老夫婦へ本当の目的を話したとしてもきっと受け入れただろう。
彼らは天寿も近く、言漏らすような人でもない。
だが姫は罪の内容までは明かさなかった。
帰るためには神であることは明かす必要があるが、罪を明かして高位を疑わせる必要はなかった。

姫の元へ、ついに神の血を引く者いわゆる皇家の者がやってきた。
彼は他の男と同じく姫に見惚れて我が元へと勧める。
そこで初めて姫は従う。
結婚をきっとしますと約束し、彼が離れてゆかぬようにした上で、姫は自らの正体と目的を明かす。
そして不死の薬を渡した。
姫は償いを無事に遂げられると見込み、元の務めへ戻る。
富士山へ上り、富士の祭神へ戻るのである。

だがここで姫の見込みは違ってしまう。
彼は渡された不死の薬を使わず、捨てることを選んだ。
姫のいない世に喜びはなしと思ったか。
もしくは今後も人の身として生きようとしたか。
どちらかの理由によって、彼は不死の意味はないとしたのである。
前者であれば、木花之佐久夜毘売は自らの美貌によって罪を作り、またその美貌で償いも失敗したことになる。
後者なら、すべきことはした。
だがもう世は人に託されていたための失敗となる。
そうして今も人は皆、人として生き、人として死に続けている。

辻褄を合わせに合わせると、このようになる。
林羅山が行き着いたところも、きっとこれに近いのではなかろうか。

今現在、至って自然に富士の祭神は木花之佐久夜毘売と定められている。
富士の竹取物語の伝承も一方で残る。
だがそれらは結び付くようで付かず、微妙な距離を保ちつつ漂うように存在する。
かれこれ数百年もの間、漂い続けているのである。
竹取物語の原文が現存しないことで、仮説に次ぐ仮説を呼び、物語はまっすぐ伝わったのか、湾曲したのかも確かめられない。
不都合であり、おそらくはどこか好都合でもあったのだろう。

そしてこれら全て、また仮説である。
考察に結末はなく、物語に真実はなく、更にこれ、天孫以上に身勝手な私見であった。
正体が誰であれ、富士には美しい女神が眠り、今もこうして穏やかに民を見守っている。
ただ一つ、この事実を置き、真実は遥か昔に置かれて行った。
今より永久、穏やかなる様に。


※本作は2020年に開かれた「市民文芸ふじのみや第46号」随筆部門にて優秀賞をいただいた作品です。
賞規定に基づき、応募締め切り日から期間(八か月)が経ち、版権が帰属したので転載しています。

市民文芸ふじのみやはコチラ(富士宮市HP)」

また本作はかぐや姫とサクヤヒメに関してまとめた独自の研究論文を応募用に調整したものです。
本編へ興味のある方、出版や共著、研究諸々のご相談は「自分のツイッター」にてコンタクトをお願いします。

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ライター / 個人事務所オフィスウタイト代表
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