宝永山について
富士山というと、他県に住む人は一つの大きな山をイメージすると思いますが、実はいくつか連なった山を抱えています。
"側火山"(そっかざん)といわれるその山は、大きな山が山頂の噴火口ではなく別の場所から噴火することでできます。富士山も大きな山なので、噴火は頂上の火口ではなく側面から起こり、側火山ができました。
その一つが"宝永山"(ほうえいざん)です。富士山の南東側に位置し、どこから見るかによって形は違って見えます。富士宮など富士山の南側にある街からは、富士山の右側にこんもりと盛り上がって見え、静岡のもっと東側や関東の方だと正面にあり、北側に位置する山梨の辺りや西側からだと見えません。
山の噴火は大体、地震と一緒に起こります。宝永山も江戸時代の元号「宝永」の時に宝永大地震が起こり、その四十九日後に宝永大噴火が起こってできました。宝永四年、1707年のことです。
自著"小説咲夜姫"では、物語の途中に宝永地震が起こります。街はどこも潰れ、人々は皆非難します。
宝永地震に比べると、宝永大噴火は大した災害ではなかったといわれます。宝永地震は三百年前の周期にあたる南海トラフ地震で、日本での史上最大の地震だったといわれます。マグニチュードは推定9前後。理論上の最大級です。
宝永大噴火以降、富士山は一切まともな噴火はしていませんが、それは宝永地震ほどの大きな地震が起きていないからかもしれません。
また作中にも書いたように、小説咲夜姫では宝永山を一つのイメージとしています。富士山と宝永山の並ぶ姿が、まだ幼子だった咲代さんが甚六さんの着物の裾を掴んでついて行く光景にも見えるのです。
宝永山を正面に見える裾野市にあるソファのブランド"マニュアルグラフ"さんでは、宝永山ソファなる商品があります。可愛いデザインですよね。自分もいつか買います…!