竹取物語における「月」
竹取物語は、竹に始まり月にて終わります。
かぐや姫は竹取の翁に自らを「月の都の住人であり、月の定めによってこの国へ参ったとし、そろそろ迎えが来る」と明かしました。
その後、本当に月の方から使いの者が百人ほどやってきて、成す術もなくかぐや姫は帰ります。
この月に対する解釈というのはとても多く、竹取物語の本性のようなものを探る上で大事な部分です。
月詠命/ツクヨミノミコト
竹取物語を絶対に日本の話であると仮定すれば、月というのは古事記における月詠命(ツクヨミノミコト)とされます。太陽を表す天照大神(アマテラスオオミカミ)と、海や風を表す素戔嗚命(スサノオノミコト)とは兄弟の間柄にある三貴神のひとつです。
「月詠からやってきた」と訳したら何とも曖昧な言い回しになりますが、月詠は夜を司る神なので、かぐや姫の身を引き受ける役目だったとすれば何となくの意味合いにはなります。あるいは月を経由して天上界へ帰るものとすれば、まあ筋書きとしては悪くありません。
小説咲夜姫では、かぐや姫を木花開耶姫に見立てているので、彼女にとって月詠は旦那(ニニギ)の婆ちゃん(アマテラス)の兄弟となり、近しい関係です。富士の伝承では月へは帰らないので、ただ見上げるだけの対象でした。
余談ですが、月詠の性別は不明とされます。
月天/ガッテン
仏教上でも、月は崇める対象とされてきました。
月天とは、インドから伝わる十二天のひとつと数えられます。日本でも馴染みのある帝釈天や毘沙門天などを含む、方角を示した「八方天」に、天地を示す「梵天」「地天」を加え、さらに加えられるのが太陽を表す「日天」に、月を表す「月天」です。
月天は元々、古代インドのバラモン教の神様であり、後に仏教へ取り入れられます。またバラモン教は今のヒンドゥー教の礎ともなっています。
神道やキリスト教やイスラム教と異なり、仏教には決まった教典がないので、解釈は無数にあります。ただ世界中のあらゆる宗教と同じように、古来から月を格別なものとする決まりはあって"竹取物語における月"と"仏教における月天"の関連性についても否定できるところはありません。
また仏教はインドから中国を経て日本へ来たので、もしその方の伝承が関わっていたと定義すれば、嫦娥奔月もまた無関係ではなかったとされるような気はします。竹取物語よりも古い話だといわれ、月を巡る説話です。
月へ帰る理由
月が何なのかはさておき「どうして月にかぐや姫が帰るか」の協議は、ほぼほぼ結論らしいものが出ています。というより竹取物語の写文にずいぶんと詳しく書かれてあります。
見合いを散々断り、噂を知った帝が現れ、その時点でかぐや姫は正体を明かしています。おそらく翁(と嫗)以外の人に明かしたのはそこが初めてで、帝も何となく理解をし、それから文通の日々が三年続きました。その頃、かぐや姫は月を見上げて泣くようになります。
その月を見上げる行為を翁が「月を見ると気分が落ち込むからやめなさい」といった旨の言葉で注意する場面もあり、竹取物語が書かれたその当時でも「月を見上げる行為が気を滅入らせる」という解釈は存在しているとわかります。
今の時代も同じで、人間は朝より夜の方が気分が落ち込みやすいものです。生物学的にも人間は夜行性ではなく、日照時間(またはその人が日を浴びている時間)に対する自殺や精神疾患との割合は顕著だといわれます。夜にいつまでも起き続け、月など見ていては気が滅入って生きていけないだろう、ということです。
そんな夜の象徴といえる月に別の世界があり、かぐや姫がその世界へ帰ることが兎に角として暗い場面なのです。かぐや姫のように美しい女性がこの世からいなくなるというのは、残された人にとっては暗い出来事ですから。使いの者が発した「かぐや姫は元々罪人だから連れて帰るんだ」的な台詞も、月への解釈や別れの場面をより暗くさせるものとなっています。