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竹取物語と源氏物語

竹取物語が執筆されたのは平安時代初期頃といわれます。

写文しか残っていないのになぜ平安時代頃にできたといわれるのかは難しいところで、現在では源氏物語が手がかりとされています。


源氏物語について

源氏物語は、紫式部が成立させた長編の物語です。全編で100万文字くらいあり、400文字の原稿用紙に換算すると約2千枚以上にもなります。

またこのように古い文献は、執筆や完成とはいわず"成立"といわれます。執筆とは作者が紛れもなく書き記した文章であることを示すのに対し、成立とは編集なども含めて書物をまとめたことを示します。

源氏物語は紫式部が書いた(生涯唯一の小説)といわれて誰もが知っていますが、実は絶対に紫式部が書いたものとは証明できていません。他にも多くの方が関わった、長年かけて出来上がったなどといわれ、確実に執筆された物と限らないので成立といわれるのです。また原文も残っていません。

ただ特性だけみると、ほぼ紫式部の作品だと思えますね。女性的な話ですし。

見立紫式部図-Parody_of_Murasaki_Shikibu,_Author_of_The_Tale_of_Genji_MET_DP124517

源氏物語における竹取物語

竹取物語が最古の小説であるといわれるのは、源氏物語の中に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」との一文があるからです。

この一文だけは有名なのですが、実はそこかしこに竹取物語についての記述が散らばっていて、紫式部が竹取物語の影響を少なからず受けていると解釈されます。

そして途中にあるのは「かくや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに」 との一文で、前後の展開などあるが要するに”正体のわからない相手や物事がまるでかぐや姫または竹取物語のようだ“と比喩します。

さらに続いて「いかなるもののひまに消え失せんとすらむと、静心(しずこころ)なくぞ思しける」とあり、”正体がわからぬ上その内に消えていなくなってしまうのだ”と記述。源氏物語の中にかぐや姫が登場するのではなく、美しくも得体の知れない女性は「かぐや姫のようだ」と例え、その内に消えていなくなることを「竹取物語のようだ」と例えられているそうです。

桐壷更衣論

またひとつ、源氏物語と竹取物語に関する興味深い論文が残されていました。奇しくも静岡の論文です。1988年の靜大国文に掲載された横井孝教授の「桐壷更衣論 : 『源氏物語』と『竹取物語』のあわいに」にて、源氏物語との関連性を指摘されています。

※「あわい」とは「関わり」などの意味。

掻い摘むと、源氏物語一部二部の主役である光源氏(ひかるげんじ)の母親"桐壺更衣"(きりつぼのこうい)が竹取物語のかぐや姫であるという内容です。

桐壺更衣は光源氏が幼い時に亡くなっています。生前には帝から寵愛されていたことで周囲から妬まれ、嫌がらせを受け続けていました。いわば殺されたようなものです。

かぐや姫と桐壺更衣には共通する点がいくつもあり、妬まれるほど美しかったこともそのひとつ。竹取物語ではかぐや姫に嫉妬する女性は現れませんが、仮に帝へ嫁いだ先の場面が描かれたなら、桐壺更衣のような目に遭っていたともいえるでしょう。

中世の太子伝記「聖徳太子伝正法輪」一節「聖徳太子九歳口伝」の章にあるいわゆる"竹取伝承"のひとつにおいては"かぐや姫は帝との子供をもうけている"といった記述もあるらしく、ではその子供こそが光源氏であり、竹取物語と源氏物語は要するにつながっている話なのだとも考えられます。

「昔、欽明天皇ノ御時、駿河国ニ竹作ノ翁ト申ス者有リキ。……竹を最愛シテ家ヲ竹ノ林ノ中ニ作テ侍リケリ。而ニ、軒近キ竹ノ枝一鶯ノ卵子ヲ三ツ生メリ。其中ニ金色ノ卵子一ツ有リ。不思儀ニ思テ、是ヲ取リ温メテ七日ヲ過ギテ見侍リケレバ、厳シキ姫君ナリ」

程ナク成人シテ十二三歳ニ成ラレケレバ国司此由ヲ帝王ニ奏聞シ奉ル。時ノ帝ハ人皇三十代欽明天皇ノ御事也。天皇迎へ取リ御シテ、一ノ后ニ祝ヒ奉リ給ヒキ。寵愛極リ無クシテ、三歳ノ春秋ヲ送り給ケレバ御懐任有テ、厳シキ妃宮ヲ儲ケ奉リ給ヒキ。其後、赫妃、人界ノ機縁尽テ帝ニ別レ奉リ給ケル時、天皇ニ申給様、「我レハ元ヨリ人関界ノ者ニテ侍ラズ。

この引用されている竹取伝承では、竹取の翁の暮らす場所をはっきりと駿河の国だと書かれています。また赫妃(かぐやひめ)が帝との子供を妊娠した後に正体を明かして別れを切り出すという、竹取物語らしい突拍子のない展開です。