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読まずに死ねるか(2022)

三年ぶりに「ぺぺ古本まつり」が開催された。この間に、三年もの空白の期間があったとは、そんな風には、まったく思えない、相も変わらぬ、いつも通りの「まつり」の雰囲気であった。いつまで経っても売れずにあちこち旅をして回る古本は、さらに塵や埃に塗れた古い古本になり。売れた古本のスペースを、新たにまた古い古本が埋め合わせる。並ぶのは、どこもかしこも古本ばかり、わずか三年ばかりの月日では、それぞれどうなるということもないのだろう。売れる古本と売れない古本が、刻一刻とさらに古い古本になりながら、ぐるぐるぐるぐると巡り巡るばかりである。

開催期間は、三月三十一日から四月十二日まで。今年は久々に「まつり」が開催されるという情報をキャッチしてからは、いつ行こうか、何回行こうかなどとカレンダーを見ながらあれこれ考えて、計画を練ってその日がくるのを待ち構えていた。三月二十七日の夕方ぐらいまでは。それからの約半月ほど、わたしはこれまでの人生の中でかつて経験したことのないほどに、最も困難で厳しい日々を生きることとなった。もはや、「まつり」に参加してあれこれして楽しむどころの話ではない状況ではあったのだが、過ぎてみれば期間中に三度ほど「まつり」会場を訪れて可能な限りじっくりと古本を見て回った(三月の終わりに母が他界し、その翌週に叔母がまるで後を追うように身罷った。「まつり」開催期間中、二度の通夜と告別式があった。それでも三回も古本を見にいっている。世間の目は、そんなわたしのことを、親不幸者だとそしるであろうか)。あれは何だったのだろう。それでも、しっかりと「まつり」に参加することだけは、わたしに諦めさせなかったものというのは。これだけは、何に代えても譲れない何かであったということなのだろうか。本当にとてもとても(特に精神的に)厳しい毎日であった。いや、だからこそ、自分を自分に繋ぎ止めておくために、努めてそこに足を向けたのかもしれない。こんなことでは、これぐらいのことでは、決して変わらない確固たる自分というものを、それをすることで見せようとしていたのかもしれない。そして、そこに行くことで、これからの自分にとっての大事なものやこれからの自分にとっての進むべき道を指し示す指針となるようなものが、何か見つかるのではないかというような気もしていた。明らかに、この時期は、わたしの人生にとって、大きな分岐点であった。そのことだけは、どう見ても間違いなさそうである。それと、久々の「まつり」の日程が重なったことも、わたしが負っている宿命みたいなものであるのではなかろうか。

いろいろと困難な日々が続き、やっと久々に「まつり」の会場に足を踏み入れることができたのは、四月の五日のことだった。ぱっと見て回ったところ、あまりぐっと高揚感を煽られるような本は、いつもよりもちょっと少なかったように思われた。これには、こちらの酷く翳りがちだった精神状態も大きく関係していたのかもしれないが。それにしても哲学書や現代思想に関するものは、以前に比べてぐっと割合が減ってきているのではなかろうか。はたしてフーコーはどこにいたのだろう。フッサールもソシュールもメルロ=ポンティもちっとも目に入ってこなかった。わたしの目には見えなかっただけで、どこかに紛れ込んでしまっていたのだろうか。それでも、ちっとも欲しくなる本がない、ということにはならないところが「まつり」のよさである。じっと本に目を凝らしていれば、それまではちっとも気が付かなかった一冊が、急に視界にずさっと飛び込んできたりする。さっきまで全然見落としていたその一冊を見落としてしまわなくてよかったという気持ちで、ぐいっと手に取る。ざっと中味と内容をチェックする。価格を確認する。欲しいと思える本が瞬時にして見つかる。中には、総合的な評価で思い悩んで、渋々元の本の並びに戻すこともある。だが、そういう本も、次に行く時までには、とりあえず買っておきたい本へとランク・アップしていたりする。そして、もう一度行った時に、また実際に手に取ってみて、しっかりチェックしてみてから、また戻すか戻さないかを決める。今回は、そのように二度目の正直で購入した本が、二冊ほどある。

以下が、今回の「まつり」の結果である。期間中に三回行って計十一冊。妥当なところか。何を基準にどこが妥当な線になるのか、ちっともよくわからないのだけれど。

久保田万太郎「浅草風土記」(角川文庫)
駒田信二「江戸小咄 古典を読む 19」(岩波書店)
池原昭治「続 川越の伝説」(川越市教育委員会)
暉峻康隆「江戸の素顔」(小学館)
関敬吾「昔話と笑話 民俗民芸双書」(岩崎書店)
西原柳雨「川柳から見た上野と浅草」(光文館)
安藤鶴夫「落語国・紳士録」(青蛙房)
安藤鶴夫「歳月 安藤鶴夫随筆集」(講談社文芸文庫)
柳宗悦「柳宗悦 妙好人論集」(岩波文庫)
三遊亭圓生「圓生古典落語 1」(集英社文庫)
木下華声「芸人紙風船」(大陸書房)

まあ、見るからにそれっぽい系づくしである。強い偏りを感じる。だがしかし、今の自分には、もはやこういう方向性しかないような気もする。それが、まさに目に見える形で表されている。潔いといえば、潔い。われながら、実にわかりやすい性質だな、とは思う。

大抵の場合、家に帰ってから、その日に買ってきた本について、ちょっと調べたりする(その場で本について調べるのは、古書に関して目鼻の利かない素人くさい行いであるような気がして、ちょっぴり口惜しいのだ)。すると、新しく文庫版が出ていたり、ほぼ同程度の値段で古書通販に出ていたりすることが判明し、何となくだが、がっかりしてしまったりする。
その反対に、買わずに帰ってきてしまった本について、思い出しながら調べてみると、通販価格が結構高くて「まつり」の方がお買い得だったことがわかったり、SNSで検索してみると、そこそこ評価の高い名著であることがほんのりとわかったりする。そして、早くも、次に行った時にまだあったら買おうかななんて心に決めてしまったりする。
だが、その前回には買いそびれた本を目がけて再び「まつり」に行くと、いくら探してももうどこにもなかったりする。これがまた、結構その間にそこそこ無駄に心が揺れ動いてしまっていただけに、余計にがっかり感が強く後を引くこととなる。
また、その反対に、売れずに残っていた本は残っていた本で、再度価格を確認してみて、やっぱりちょっと高いかなあと、あらためて逡巡の念が怒濤の如くぶり返してくるのに直面させられたりもする。やはり、どうしても「まつり」で一冊五百円以上の本だと、思わず躊躇してしまいがちなのである。
しかし、「まつり」もかつてのような百円や二百円の本を山ほど買い込んでうはうはする、いわゆる「まつり」感のある「まつり」ではなくなってきつつあるようにも思われる。古書の価格が、じわじわと上がってきているのだろうか。お値打ち感のある古本が少なくなってきているのか。それとも、ただ単にわたしがじわじわと老人化しているだけなのであろうか。
いずれにせよ、最初から目ぼしい本があってもなくても、再訪してみて目をつけていた本があってもなくても、結局のところ何となくだがもやもやがそこはかとなく残るというのが、やっぱり「まつり」の醍醐味であったりもする、のである。

西原柳雨の「川柳から見た上野と浅草」は、最も高い買い物であった。千円。安藤鶴夫の「落語国・紳士録」とこれは、そこそこ古い本で明らかに元々の定価よりも高い、いわゆるプレミア本である。この「川柳から見た上野と浅草」は、昭和九年(1934年)に発行された第二版で、元の価格は一円八十銭。函入り、全体にヤケ、所々にシミはあるが、状態としては、なかなかよい。最初は、昭和四年に中西書房より出ていたようだが、初版も二版もそうたいして相場の価格に違いはない(安くて八百円、高くて三千円、五千円ぐらいから一万円台ぐらいまで)。今から八十八年前の本が、まだまだかなりちゃんと読める状態で、一冊千円というのは、かなり妥当な線の、よい買い物であるような気もする。だが、この八十八年という時間をどう捉えるかによって、その評価も微妙に揺らぐようなところもあるのである。例えば、これが、藤子不二雄A先生が生まれた年だと考えると、つい最近までお元気だった先生の姿が思い浮かんできて、もしかしてそう遠い昔ではないのではないかな、と思えるようにもなってきたりする。ただし、ウィキペディアで調べてみると、「川柳から見た上野と浅草」の第二版が発行された三月一日には、満洲国で愛新覚羅溥儀が皇帝の座に即いている。映画「ラスト・エンペラー」や「映像の世紀」で何度となく目にしてきた、あの満州国皇帝の溥儀かと思うと、八十八年前は途端にものすごく遠い過去のように思えてくるのである。昭和九年と現在の距離感をうまく把握しようとすると、なかなかに難しい問題に突き当たる。しかし、間違いなく八十八年という年月をたくましくくぐり抜けてきた、それだけの歴史のすべてがずっしりと染み込んだ一冊が、私の手元に今あるのである。ただ、もうそれだけで、なかなかの感慨を抱かせるものは確実にある。ある種の古書には、特に、そういうものがある。

今のところ一番気にいっている今回の収穫物は、久保田万太郎の「浅草風土記」である。これは、晩年の万太郎が浅草界隈について書いたエッセーをまとめたもので、2017年に中公文庫から復刊されている。今回入手したのは、昭和三十二年(1957年)に角川文庫から出版された初版本。ちなみに、この年に河出書房が倒産し、河出書房新社が設立されている(ウィキペディア調べ)。昭和三十二年、「浅草風土記」の定価は九十円であった。六十五年後、その初版本は「まつり」にて定価の約三倍ほどの値段で売りに出されていた。比較的入手しやすい文庫本ではあると思われるが、なにせ物が古いのでいわゆるプレミア価格である。だが、この本で最も気にいっているところは、そういった部分ではない。それは、実は、表紙を開いて、扉の裏側にある。その扉の裏の中央に、縦5.5センチ、横4.5センチほどの大きさに切り取られた浮世絵(らしきもの)の一部が、ぺたっと貼り付けられているのである。おそらく吾妻橋あたりの立派な木の橋脚の脇を幾艘もの様々な船が行き交っている風景である。まさに万太郎が回顧する古い浅草の匂いまでが香ってきそうな情景だ。これは、かなり、いきな演出である。だが、元々こうだったのだろうか。つまり角川文庫が一冊一冊に異なる浮世絵(らしきもの)の一部を扉の裏に貼り付けて出版したのか。当時はまだ奥付けの所定の箇所に部数確認のための検印の薄い紙を一冊一冊に貼り付けていたのだから、口絵の代わりに江戸浅草風情の感じ取れるのもを扉裏に貼り付ける作業だって決して不可能なものではなかっただろう。それとも、この初版文庫本の以前の持ち主の誰かが、こうしたいきなことをしたのであろうか。ちょっとよくわからない。ちらっとネットで調べてみたものの、そういう扉の裏に細工がしてあるという情報は全くないようなので、やはり誰かが個人的にカスタマイズしたものなのだろうか。さすがは、久保田万太郎の「浅草風土記」の初版本を手にするような御仁である。さぞや、いきな人物であったのであろう。あ、もしかすると、今も御存命かも知れぬので、あまり過去の人のように書いてしまうのはよくないか。ただまあ、どれがほんと、なのかよくわからないが、この扉裏の細工は大変に気にいった。万太郎が筆した浅草界隈の描写にもとてもよく見合っている。「浅草風土記」の浮世絵添え、これが最高に美味なのである。最上級の一冊だ。こういう特別な一冊との、偶然なのか必然なのかよくわからない出会いがあるからこそ、やっぱり「まつり」通いはやめられないのである。ありがとう、万太郎。

来年もまた「まつり」があるといいが。そのときはまたはせさんずる。

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