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日記の転載

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かゆみ、痛み、ころび、ほころび

かゆみ、痛み、ころび、ほころび



蚊に刺された患部をどうしているか。わたしは極力なにもしない。かゆみがおさまるまで待つ。最初はムズムズするが、そのうち忘れてなんともなくなる。気にとめない。出来事の多くについて、こんな態度でいるのかもしれないと、ふと思う。たとえば「好き」という感情。これって、かゆみにとてもちかいのではないか。

触れたくて仕方がないところ。適度に触れると、気持ちがいい。しかし強くやりすぎると痛みに変わる。弱く触

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その死にも似た、一瞬のために

その死にも似た、一瞬のために



写真を撮っています。相変わらず。
静かにしていたくて。

写真は静かです。
撮られたものは静かになる。

「富士山」と、ことばを添えてtwitterとinstagramに投稿しました。「海苔じゃねーか」と思って、ひとりでひとしきり笑って、おしまい。でも他人から「海苔じゃねーか」とつっこまれたら、「富士山」で通そう。誓って。あまのじゃくに。

コンビニおにぎりの海苔。はじっこが途中でこんなふうに

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日記717

日記717



卵のパックに、花びら。ひとひら。いかにしてこうなったのか。わからない。ただ「見つけた」と思う。こんな瞬間によろこびがある。あまりに些末で、自分でも笑ってしまうけれど、わけもなくうれしい。

ゴミといえばゴミだ。というか、見るからにゴミでしかない。でも洒落ている。ちょっとだけ。ゴミだって洒落込むのだ。それも、おそらくは、偶然に。いたずらっぽく。なかなかこんなことはない。ありふれているようで、滅多

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2020年、三が日

2020年、三が日



1月1日(水)

大晦日まで、ごまかしごまかし動いた。元日の朝、糸が切れたように動けなくなった。目が覚めてもまだ意識の届かない場所に身体が転がっていた。西暦何年だろうがどうでもよかった。気怠い。時間をかけて全身に意識をつたえる。朝らしい。2020年らしい。外は白み始めている。遠い未来に無理やり連行されてきたような気分だった。身体だけが2020年にいた。

おぼつかない足取りでゆらゆら起き出す。

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一回性/円環性 わかる/わからない

一回性/円環性 わかる/わからない



12月15日(日)

夜に渋谷の書店、BOOK LAB TOKYOへ。トークイベント。登壇者は臨床心理士の東畑開人さんと、人類学者の磯野真穂さん。「〈病むとは何か〉を考える」という表題。twitterで告知に触れて、立ち見席のチケットを買った。売り切れる前のすべりこみ。

立ち見は望むところだった。なんせ家でも多くの時間を立って過ごす。日頃から無駄なストイシズムを発揮している。おかげでいくらで

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2月4日(月) 世界が滲み出してしまわぬよう

2月4日(月) 世界が滲み出してしまわぬよう



四海、波穏やか。

どうすればなんもかんもみんな綺麗に得心がいって終わるのか、みたいな「最終回答」を探している気がします。自分の考え方の核には「終わらせること」が、ずしんと重い腰を据えながら鎮座して動かない。答えなんか得られはしないのだろうとわかっていつつも、暗闇の中で薄明の射す時間を幻視している。夢見ている。夢見る頃を過ぎてもなお。

納得できない物事には圧倒されます。気圧される。ときに迫り

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宇宙のはじまりは

宇宙のはじまりは



宇宙のはじまりはたぶんちょっとした嘘で、それが収集のつかないところまで拡大した結果として、現在の世界があるのだろう……。などと夜中にシャワーを浴びながらぼんやり思う。陳腐な由無しごと。いかようでもありうるお話。始原の嘘が拡大しつづける。これから先も。

〈わたし〉とは、何億年もつづく巨大な嘘のうえに浮かべられたちいさな嘘だった。卑小な裸の弁明。生きることで嘘を引き受け、嘘がまた増殖する。いいわ

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日記708

日記708



とあるイベントに行った。人がおおぜい集う。その写真を知人に見せると、「人がおおぜいあつまる場所で、誰もいない写真ばかり撮ってる」といわれた。自分でもそう思う。「なんのイベントかまったくわからない」とも。

写真はほとんど無思考・無目的で撮る。無目的性だけが本義。のはずが、ふりかえってみると共通性があって、一定の視覚の枠組みがほの見える。おなじ目的のもとに、おなじひとりの人が撮ったのだろうなと思

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日記707 適度に姿を消さなければ

日記707 適度に姿を消さなければ



正しくありたい。でもぜんぜん正しくなんてなれない。その循環。あやまつ自己を視野に収めつづける。正しくあろうとする方法として。「知る」ためには、無知の自覚が不可欠であるように。すなおに「知らなかった」とおどろくこと。

わからない。保証のなさだけが、ことばを発する動機なのだと思う。疑い深い不信心な想いがことばとなってあらわれる。信じたい。でもぜんぜん信じられない。その循環だとも言える。語るたび裏

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日記706

日記706



9月23日(月)

9月はトークイベントに、2回。気分が落ちているとき、専門家の話をゆったり聞くと活気づく。行き詰まりがちな意識の消化が促進される。勉強にもなるし、ひとつ良い対処法をみつけたと思う。十代のころは閉じこもって深夜ラジオの録音をえんえん聞いていた。それの延長か。

都甲幸治さんと五十嵐太郎さんのトーク。神保町ブックセンターにて、「現代建築と現代文学」。アメリカ文学研究者の都甲さんが

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日記705 信じることのはじまりにむかって

日記705 信じることのはじまりにむかって



9月18日(水)

菊地成孔さんと名越康文さんの対談をみる。かれこれ「vol.13」らしい。twitterで告知にふれて反射的にチケットを買った。過去にいちどだけ、ずいぶん前に参加した記憶がよみがえる。初期のころ。「そんなにやってるんだ」と、すこし驚く。好評なのだろう。なにしろおもしろい。

拡散的で開放的なおしゃべり。頭の中に広い空間をつくってくれる。芝刈り機でブンブン掃除してもらえるような

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日記693 逃げたい、かくれたい

日記693 逃げたい、かくれたい



こまめにブログを更新しなくなると、とりこぼす事柄が増えます。メモの断片だけがかさんでしまう。雑な走り書きの日々。時間が過ぎてメモを読み返してもピンとこなかったり、もうそれについて思いを巡らせる熱量がなかったり。ただ霧散した時間なのだなと思う。

通り過ぎてしまうことは惜しい。しかし立ち止まる暇もない。過ぎていくものは、忘れてもよいのだと思う。というか書こうが書くまいが、いずれにせよ忘れる。きっ

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日記690 白いもの

日記690 白いもの



暗闇の境で地球は白を通過する。やがてあたりは黒くなる。たぶんこの世界にある境目という境目はことごとく白い。善と悪の境も、過去と未来の境も。白にはすべてがあって、すべてがない。そこで人は視力を失う。そんな色のように思う。ことし初めに読んだハン・ガンの小説『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳, 河出書房新社)を思い出す。

 もしかしたら私はまだ、この本とつながっている。揺らいだり、ひびが入

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日記689 櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展@Gallery AaMo

日記689 櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展@Gallery AaMo



5月15日(水)

櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展へ。東京ドームのそばにある、Gllery AaMo。5/19(日)まで、すでに終了。杉作J太郎さんのパネルがお出迎えしてくれた。でも撮影を忘れる。惜しい。

アウトサイド。周縁でひたすらなにかをつくっている人々。芸術家なのか。表現者なのか。その自覚はあったりなかったり。なんだかよくわからない。そんな人々による「作品」をアウトサイダー・キュレ

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