#写真
かゆみ、痛み、ころび、ほころび
蚊に刺された患部をどうしているか。わたしは極力なにもしない。かゆみがおさまるまで待つ。最初はムズムズするが、そのうち忘れてなんともなくなる。気にとめない。出来事の多くについて、こんな態度でいるのかもしれないと、ふと思う。たとえば「好き」という感情。これって、かゆみにとてもちかいのではないか。
触れたくて仕方がないところ。適度に触れると、気持ちがいい。しかし強くやりすぎると痛みに変わる。弱く触
2月4日(月) 世界が滲み出してしまわぬよう
四海、波穏やか。
どうすればなんもかんもみんな綺麗に得心がいって終わるのか、みたいな「最終回答」を探している気がします。自分の考え方の核には「終わらせること」が、ずしんと重い腰を据えながら鎮座して動かない。答えなんか得られはしないのだろうとわかっていつつも、暗闇の中で薄明の射す時間を幻視している。夢見ている。夢見る頃を過ぎてもなお。
納得できない物事には圧倒されます。気圧される。ときに迫り
日記707 適度に姿を消さなければ
正しくありたい。でもぜんぜん正しくなんてなれない。その循環。あやまつ自己を視野に収めつづける。正しくあろうとする方法として。「知る」ためには、無知の自覚が不可欠であるように。すなおに「知らなかった」とおどろくこと。
わからない。保証のなさだけが、ことばを発する動機なのだと思う。疑い深い不信心な想いがことばとなってあらわれる。信じたい。でもぜんぜん信じられない。その循環だとも言える。語るたび裏
日記705 信じることのはじまりにむかって
9月18日(水)
菊地成孔さんと名越康文さんの対談をみる。かれこれ「vol.13」らしい。twitterで告知にふれて反射的にチケットを買った。過去にいちどだけ、ずいぶん前に参加した記憶がよみがえる。初期のころ。「そんなにやってるんだ」と、すこし驚く。好評なのだろう。なにしろおもしろい。
拡散的で開放的なおしゃべり。頭の中に広い空間をつくってくれる。芝刈り機でブンブン掃除してもらえるような
日記690 白いもの
暗闇の境で地球は白を通過する。やがてあたりは黒くなる。たぶんこの世界にある境目という境目はことごとく白い。善と悪の境も、過去と未来の境も。白にはすべてがあって、すべてがない。そこで人は視力を失う。そんな色のように思う。ことし初めに読んだハン・ガンの小説『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳, 河出書房新社)を思い出す。
もしかしたら私はまだ、この本とつながっている。揺らいだり、ひびが入
日記689 櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展@Gallery AaMo
5月15日(水)
櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展へ。東京ドームのそばにある、Gllery AaMo。5/19(日)まで、すでに終了。杉作J太郎さんのパネルがお出迎えしてくれた。でも撮影を忘れる。惜しい。
アウトサイド。周縁でひたすらなにかをつくっている人々。芸術家なのか。表現者なのか。その自覚はあったりなかったり。なんだかよくわからない。そんな人々による「作品」をアウトサイダー・キュレ