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記事一覧
無数の過去が乗り移る体、記憶の協定、8月に入りました
「多世代人格」ということばを想起する。社会福祉施設「よりあい」代表の村瀬孝生さんが書いていた。人の体の中には「すべての世代のわたし」が生きているのではないかと。年輪のように。わたしもそう感じる。わたしたちの体は無数の過去が乗り移るようにできている。認知症による乳児返りまでいかなくとも、マドレーヌを紅茶に浸すとよみがえるたぐいの入口もある。「過去は物質の中に隠れている」とプルーストはいう。「体の中」
もっとみる自分と自分でないもののあいだ、虚実の均衡、二つになる一つのもの
前回(日記1020)、予告した内容を適当に済ませたい。日記882(「現実との拮抗力~」)とも関係する。書こうと思っていたのは、「できないことが練習によってできるようになる過程」のふしぎについて。そこでは現実と虚構の均衡が起こる。以上、おわり。いや、もうすこし展開すべきか……。伊藤亜紗『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)を読んでいるとき思いついた。この本のプロローグに「技
もっとみる2022/07/13. どこで恥ずかしくなったでしょう、リアリティの破れ目、本当の恐怖
7月13日(水)
「クイズ! どこで恥ずかしくなったでしょうか?」を見た。「人間はどこで恥ずかしくなるのか? それは他人にはわかるのか? 恥の概念にせまるクイズです」と概要欄にある。深く考えても浅く楽しんでもおもしろい。すばらしいクイズ。人間はどこで恥ずかしくなるんだろう。
「見てる人が見えなくなるとすごい恥ずかしい」という古賀及子さんの発言がもっとも示唆的だと思う。「不安になると恥ずかしくな
おままごとのジレンマ、リアリティ、平等、書くこと
為末大の『熟達論』(新潮社)を読んでいた。
以下の箇所が私的に示唆深かった。
自分の感覚では、ここで例示されたごっこ遊びの「相反する姿勢」は「遊び」にとどまらない。もっと広く、社会性の話だと思う。たとえば何かしら書類と向き合うとき、「こんな紙っぺらになんの意味があるんだ」と疑いだすと、むなしくてやる気が起きない。かといって、「この書類を落としたら人生が終わる!」と気負い過ぎてもプレッシャーで作業
金のインゴット、ほんものとにせもの、一回性と複数性、あと挨拶だいじ
2024年1月1日(月)
部屋の整理をしていたら、11月の文学フリマで吉川浩満さんから「金のインゴットです」と手渡されたオマケが出てきた。謎の購入特典。適当に「おお、うれしい!」などとリアクションして受け取ったものの、これがなにを意味するのかわからずにいた。小さな金のインゴット。まさか本物の金ではあるまいし……。まあいいやと放り出して、そのうちに忘れていた。
まじまじ眺めると、「FINE GO
現実との拮抗力、「感動」の基本構造、生きてるって実感
動物行動学者の日髙敏隆と竹内久美子は対談集『もっとウソを!』(文藝春秋, 1997)の中で,「どんな大理論でも必ず修正されたり覆されたり,もっといい見方が出てきて『ウソ』になる可能性がある.しかし,その理論が出された時点では正しかった.したがって科学とは,その時点におけるもっともレヴェルの高いウソである」と述べている.
腹痛の「なぜ?」がわかる本 書籍詳細 | 書籍 | 医学書院
気になる
肯定と否定、自由と不自由、ないはずのもの
古本屋で「人生を肯定するまなざし」と書いてある背表紙を見かけた。たしか井上ひさしに関する新書だった。中身の話はしないので、ぼんやりした記憶のままつづける。気になったのは、「人生を肯定する」というフレーズ。もともと誰の人生も肯定されているように思う。わざわざしなくても、途方に暮れるほど。わたしたちは、つねにすでに生きてしまっている。気がついたら肯定されていた。
たぶん、人間の価値観は否定や禁止の道