無数の過去が乗り移る体、記憶の協定、8月に入りました
「多世代人格」ということばを想起する。社会福祉施設「よりあい」代表の村瀬孝生さんが書いていた。人の体の中には「すべての世代のわたし」が生きているのではないかと。年輪のように。わたしもそう感じる。わたしたちの体は無数の過去が乗り移るようにできている。認知症による乳児返りまでいかなくとも、マドレーヌを紅茶に浸すとよみがえるたぐいの入口もある。「過去は物質の中に隠れている」とプルーストはいう。「体の中」と「物質の中」、両者の相互作用において発現するものかもしれない。記憶は体と空間の狭間をただよう。
いま目の前をコバエが飛んでいる。ちょうどこんな虫みたいに、記憶も飛んでいるのだと思う。ゆだんするとすぐに見失う。そしてまた、どこからともなく飛んでくる。コバエの比喩はあんまりだから、鳥にしておこうか。ベランダにやってくる小鳥たちのように、ふとあらわれて、ふといなくなる。でも、つねにどこかには潜在している。記憶もそういうものだと思う。あるいは埃でもいい。いつもそのへんを舞っている。しかし目にうつるのは、光が射したときにだけ。
ただよっているのは自分の記憶のみではない。わたしたちの体は無数の過去が乗り移るようにできている。すべては他人の記憶のような気もする。どこにいても、どんなことばも、よそよそしい。人ではなく、なにか、もっと遠くからきているような気もする。とおいとおい意識の沖で眠っている魚たちの見た夢がわたしたちかもしれない。そんなふうに思うと、むしろ人々に親しみがわく。なんでもいい。星もない夜、ふるい湖の底で浮遊するいくつもの微生物たち。かれらの描いた夢のひとつがわたしかもしれない。深い水底の暗がりであなたがわたしを思い出すあいだ、ひととき、ほんの束の間だけ、時を間借りして生きています。ささやかなべん毛のゆらめきがわたしの歩みをつくります。静かに夢見られている意識を、まぶたの裏でやわらかくはぐくみながら、きょうも糠漬けを混ぜたり焦げついたフライパンを磨いたりします。金曜日の夜。あすは土曜日、あさっては日曜日です。
(気を取り直して)
記憶とはなんだろうか。わからないなりに、ひとつの家を想像することがある。人は圧倒的な過去の量塊に押しつぶされないように記憶の棲家を建築するのだと思う。住宅とおなじで、経年により建て付けが悪くなる。量塊の風雨にさらされて、いまを保持できない。べつの記憶にさらされることが、しばしば「忘却」と呼ばれる。その場合、いまとは異なる「べつの記憶」をもとに、いまを建てなおそうとする。
記憶は習慣から成るとベケットは書いている。おおきくいえば「モロー反射」も「ルーティング反射」も人類の習慣だろう。棲家は習慣形成の基地になる。外界の環境から身を守る。不可侵性を保証する。と同時に、外へひらかれたものでもある。ベケットの文章を引用する。
家に住まうにも無数の協定が必要になる。認知症のお年寄りとお話をすると協定が協定どおりにいかない。そこに創造性を感じる。ほつれた記憶の協定を絶えず結びなおそうとして語りが弾む。創造している。それはいわゆる健常者でも変わらないのだと思う。
先日、介護施設にいる祖母と面会した際に、なにげなく「お茶飲む?」と尋ねたところ、祖母は静岡の友人の話をしはじめた。やがて伊豆の親戚へと話がうつり、もういない祖父の話、虫がきらいという話を4回転半ひねり決めてから、足がむくんでいるせいで歩けない話にみごと着地。
質問にはこたえてもらえない(耳に届いたかも定かではない)けれど、なにも忘れてはいない。追想がぴょんぴょん駆け回っているような印象をもつ。そこにあるのはむしろ、記憶の過剰だろう。ちょっとしたきっかけで、ひとかたまりの過去があふれかえる。水道管が破裂したみたいに、どばどば。とめどなく。
とはいえ、さいきんわたしの名前を忘れる。「誰?」と言われたこともあるが、数分後には思い出す。おそらくゲシュタルト構築に時間を要するのではないか。「孫」という関係を思い出さなくとも、「なんかいつもそばにいた奴」ぐらいの存在の仕方はすぐに引き出せるようすだった。それでじゅうぶんだと思う。
わたしが誰かなんて、どうでもいい。「誰だかしらないけれど、なんかいつもいるね」。そのぐらいの距離感が自分としては、いちばん望ましい。というより、自意識と合致する。わたしは自分で自分のことを「誰だかしらないけれど、なんかいつもいる奴」と見ている。自分のことを誰もしらない。自分自身でさえ。そんな場所に自意識が根を張っていた、いつの間にか。 そういえば、上記の村瀬氏はこんなことを書いていた。
「わからなさ」を十二分に味わって、と。「その人」のみならず、たぶんご自身に対する「わからなさ」も抱えているのだと想像する。他人への対し方は、自分への対し方と深いところで通じている。自意識とは自己のなかの他者が自己を眺める意識でもある。その他者との相互作用によって、自己は変容していく。
手放すことは心地よい。「わかる/わからない」というフレームをできるかぎり手放したい。そうして、ただ信じていたい。こう書くといくぶんロマンティックに響くが、信じることは村瀬氏がお年寄りと接するなかで見出した「漏れ出してきたものに仕方なく関わりたい」に近いと思う。自分にとっては、このうえなく具体的な営為だ。考えなしの盲信ではなく、あれこれ試したすえの諦念や仕方なさが基底にある。「わかっている」ほうがずっと抽象的で現実味に欠ける。
必要でも不要でもなく、しらずしらず拾った欠片が思いがけない絵のなかにはまるときがある。とくに必要でも不要でもなく生きている、自分自身そんなもんかもしれない。
祖母と面会するとき、いつもすれちがう入居者のおじいさんがいる。窓辺に、ひとりたたずんで身じろぎもしない。まるで世界全体を眺めるように、ただの一点を見つめている。虚空をみつめる、あの眼差しに触れて思う。ちいさな欠片を全体と信じてしまう。そんな思い違いを「美しさ」と呼ぶのだと。
他方でこんな詩も思い出す。
きっとそう、「美しさ」は死を孕んだものだから。夕焼けの、その前で立ちつくすだけでは死んでしまうのだから。その姿はしかし、美しいものであるのかもしれず、それを首肯せずしてなにが詩だろう、なんて思うこともある。ほとんど厚顔無恥と言っていいほどに。生きるだけが人の営みではないのだから。それがどんなに残酷であろうとも。
谷川の、美的価値をあまり信じていないっぽいところが好きです。自分が詩人であるということさえ信じていない。それこそが、この人の美点(殉じるところ)だと思う。だからこそ「生きているということ」をうたえる詩人なのだと思う。
さいきん、夕暮れがきれいです。鈍器で打たれたような赤紫色を通過して夜になります。すこしだけ立ちつくして、すぐに歩き出します。うっかり死んでしまわないように。わたしは美的価値を、ちょっとだけ信じてしまうときがある。この一瞬が、すべてに変わってしまう。それでは生活できないのです。
暑い日がつづきます。酷暑には決まって、内田百閒の随筆を思い出します。「芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であつた。餘り暑いので死んでしまつたのだと考へ、又それでいいのだと思った」。それでいい。実存的不安とか、そんなのどうだっていいのです。あまりに暑いのです。適当にだらだら過ごしましょう。暑中お見舞い申し上げます。8月に入りました。
にゃん