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伝 言

人生の中で何度かご縁をいただいて、この「役」をやらせていただく機会があります。簡単に言うと「伝言役」とでも言いましょうか。

正確に言うと伝言役の伝言役。つまり「伝言役代理」みたいなものですね。人間だけではなく動物やその他なども含めて、亡くなった方などからご遺族などへのメッセージの伝言役です。(その伝言役の伝言役)


現代では死に対しての不明点が多く、そのため特定の学術や宗教の教義や、科学、医学などの不完全な見解などによる偏見や誤解もあり、また人間の感覚としても命に対する観念の衰えが著しいため、生まれ生きて死するという摂理に対し理解が及んでいないのが現状です。

理解されない方がいても構いませんが、一言だけ言うとするならば、死とは、その本人にとっては「還る」ということです。


しかし現代人の多くは、この「還る」ことへの認識がないのでしょう。昨今では終活なんていう言葉もありますが、葬式の準備だとかお金のことだとか、ある意味で形骸化されてしまっている空蟬の現世の観念に添った物質的な終了点、または任意整理のようなものを大切にしがちです。

遺族のことを考えれば、確かにそれらも大切なことではあるのかもしれませんが、人が生きてこの世を去るということが、そんなことで整理がつくものでしょうか。


動物の存在自体や魂自体は人間よりも遥かに位が高いこともあり、死ぬとそのまま即あの世へと帰りますが、人間はしばらくの期間「見返る」ための有余なのでしょうか、生きてきた世界と今から還る世界との間のようなところに存在します。

人は死を迎える時、魂が主体としてすべてを思い出し悟ります。目が覚めるとでも言いますか、自分に戻ると言ったほうがわかりやすいかもしれませんね。

この時点では三次元的な物質としての体は持ちませんが、心や意識としてはまだ無我な状態のような存在ではなく、より世俗的な言い方をすれば、無欲な状態のようなものです。


私は思います。そのような状態になっても、やはり愛情をはじめ生前の感情が絡んだ後悔や人情故でしょうか、人というものは死してもなおどうしても伝えたいことがあるものなのだと。

内容によっては、こうも思います。死んではじめてわかること。死したからこそ、どうしても伝えたいこともあったのだと。


その伝言を、その方が伝えたい相手であるご当人にだけに伝えます。


経験では、伝言を伝えると皆、結果的には安堵の心を吹き返してくれるかのように感じます。

これは余談ですが、実は、こういった伝言役に与かる時、伝わるだろうか?余計に誤解されないだろうか?そういうことを必ず思い、躊躇するんです。

実際に、伝えるべきことの本質がずれてしまったり、時にご当人の大切な大きな将来への警告のような伝言も、この世だけにおける人間本位な見誤った概念による偏った平和思想や平等思想的解釈で都合良く自己完結し、ただ感傷的な悲劇や人生物語のような話に認識されてしまい、その本質を軽く捉えられたり、本意とは違う誤った解釈で認識されてしまうことも残念ながらあります。

仕方が無いのです。どんな事柄でも受け取る側の認識力の範囲内でしか、人間とは判断できない生き物なのですから。これは現世での「思考」という壁なのです。そのような誤解を避ける為にも、前もってかなり悩みますし、とても躊躇するのです。

しかし、たとえどう思われたとしても、伝えなければと思い、そのまま伝えます。そこに私の私感や考えは必要ないからです。あくまでもただの伝言役なので、ただ架け橋や仲執り持ちであろうと努めます。


前述したように、伝言を受け取った方の安堵していただけた姿を見て、やっと私は伝えてよかったんだなとホッとします。

この伝言がもしもなかったなら、伝える側も受け取った側も、どうだったであろう。それを考える事自体が無意味な干渉なのかもしれませんが、私も人間ですから、その後の生活の中でふと思いを馳せてしまうことがあるんです。

あの伝言がなかったなら、双方とも生きていられない程辛かったのではないだろうかと、伝える側で言うなら、死んでいられない程に。そのように思うことも多いです。

それ故に、死についても、生についても、いまのこの世に対して思う事も多々あります。


そして、人間のそのような個人的な伝言とはまた違い、動物は、死を利用して人間へメッセージを残すことがあります。そういうことはまた、いつか機会があったならなにかの形で表すこともあるかもしれません。

今日は、たまにそんな「伝言役」というご縁に巡り会うことがあるんです。というお話でした。


答えの無い思いがあります。

しかし、結果は、伝えてよかったのだろうといつも感じています。


そして人とはそういうものだとやはり思います。

こういうご縁に接する度に、いまをいかに生きようかと、私には思えてきます。


そしてこうも思うんです。


自分は、伝言のない死に方をしようと。

そうしていまを生きようと。


20151029 4:00(20180703再編集)




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