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自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? その5   社会人1年目から”大波乱”であった・・・

電気の高校から、実社会へ・・・そこから既に”バブル経済弾けた直後の戦場”となっていた。

就職先が決まるまで、自分の年頃では”とても難航”した。
それは、技術職技能職以外だと、公共事業系(土建関係)しかないと思われていたからだ。
学業成績は良かった方だった(”苦学”生だから、あたりまえ!だった!でなけりゃ!私立の学校みちゃー行けるか?!)し、最低限度の国家資格免許や他の検定認定試験も取るだけとってみたし・・・

当時は、「就職協定」「色盲、色弱不可」など”規制だらけ”の求人票ばかり・・・進路担当の教員など、色々な人達にも相談したが・・・”形だけ”とはいえ、とある工作産業機械メーカーへ・・・

ここで、はっきりと言っておこう!
「新卒で新社会人として入社する時、学校紹介の場合、かならず受からせる!そして、学校教育側と職場側(企業なら企業)との”なーなー談合、野合つながり”は、ある!人事担当の連中を完璧と考えない事!同族企業経営で人事も兼ねている役員関係者も同様!信用は、しない方がいい!!」

担任の教員は
「公務員になれ!」
と、自分に言ってきた!
自分は即答した!
「”中途半端な権力”にしがみつき、その人達がつくった”差別と行動”じゃないの?」
教員は
「なに-?おまえ?何言ってんだ!」
自分
「そうじゃねえのか?じゃー!どう”言い訳”できんだ!”国民優生法、優生保護法、宮中某重大事件”とかは、中央政府の中の”カッペで見栄っ張りな役人”そのものだろ!!!違うんかーーーーーんだらーーーー!!!」

この後・・・自分は、目の前にある机を思い切り叩き付け(今だから言えるが、若気の至りとはいえ・・・ちょっと!”殺意”を持っていたかな?)!”龍と鬼になってしまった自分”となり、後日、冷静になった頃に、話し合いを再開・・・
とあるレンズメーカーやその他、材料メーカーにも求人が出ていたので、数社受けた覚えがある(どれも受かっていたなあ~)。

卒業式の日から数えて、1ヶ月以上前から、学校と就職先の”研修”という感じとなったので、本当に極超多忙な高校生活で終わってしまった気がする。

中学の時の卒業式とは違って、厳かな雰囲気の卒業式だったような気がする(男子校とはいえ、改めて書くが、元軍人、兵隊出身の代表格は、校長と副校長、特に副校長は、当時、硬式野球部部長であり、自分が3年の時、地方大会予選で初めて決勝まで行ったっけ!自分は違う運動部だったが、早朝練習の場所は同じグラウンドだった時がある。しごきはあたりまえだったぞ)。
卒業式の最中は、平穏な時間だったかな?でも、すぐ”研修”へ戻ったよ。


ただ、既に世の中が、平成時代初期の頃であった事から”不動産バブルに狂った大馬鹿野郎ども達”に対する悪い噂を、会社内や卒業生の先輩達、お世話になっている色々な店の人達などから、自分は”不安よりも戦う”イメージを持つようになってしまう事になる(これが平成大不況期になっていくからなあ~)。

もし?身内の中で、大正時代終わり頃から少なくとも昭和30年代生まれや昭和40年代で4年制大学や専門学校を行っていた人達や、右肩上がり経済で、年功序列賃金制度に、はまって昭和時代特有のリーマン社会人生活ばかりしているような家庭・生活環境の人達には”かなり不信感や嫌悪感”を持っている事を正直に書いていくので、あしからず・・・。
自分は、一部の年齢給などの固定給以外は、出来高と歩合給といった実力給制度から社会人生活が始まっているからだ(急遽、入社日に突然、聞かされたし・・・)。話が通用しない!


自営から約25年以上経った頃・・・とある中央省庁のとある官僚と”大げんか”した事がある!
「君達の年代が、一番!”損”だな!」
その後の自分・・・
「”損”ね・・・どういった”損”だ? チクショー!てやんでぇー!」
と、目の前の作業机(部品と加工するための工場特有のモノで頑丈)を
思い切り殴り蹴飛ばした!

「ウワー!たっ・・・大変だー!俺は・・・」

大慌てで”そいつ”は、その場を、立ち去った・・・。

「情けねえ~カマか?餓鬼(ガキ)か?あの!チクショーは!!」

社会人1年目でなくても、これが自分の”社会人生活何十年?人生?”だね。


今回は、ここで、お粗末様・・・!

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