見出し画像

最後のラーメンと共に終えた青春


返ってこない日常はノスタルジーだ。日常とは当たり前の連続だから、機微には鈍感になるし、失われた後のことを想像するものは少ない。だからと言って、その為に現状を噛み締めて生きるのは多分違うし、噛み締めたとて、きっとノスタルジーに昇華される運命なのだ。人は失うまで、失えないから。

高校時代、私達は放課後にラーメンを好んで食べた。大抵は地元の家系ラーメン。新店舗ができれば開拓し、クラスに広めた。2年生のころだったろうか。最寄り駅前に家系ラーメンの新店舗ができた。味はそこそこだったが、利便性から、我々はちょくちょくその店に通った。

特進コースにラーメンを広めたのは私だった。やれ、豚骨は食えないだとか、脂がきついだとか、ラーメンなんて食べたことないだとか、そう言う奴らを美味い家系に連れて行き、片っ端から黙らせた。結果、コースの男子内で、ラーメンは単なる食事を超越した存在となった。

ラーメンは、喜びであり、探究するものであり、そして、我々を繋ぐ媒体でもあった。私達のくだらない日常の中に、放課後ラーメンが侵入したのだ。我々のコースは、少人数故に、個々のつながりが強かった。故に、ラーメンは我々の中で文化になったのだ。

毎日がくだらなくて楽しかった。しょうもない話をしながら教室の後ろで弁当を食べ、夕方まであーだこーだ言いながら放課後の教室で勉強し、またくだらない話をしながら電車に揺られ帰宅。そして偶のラーメン。美味い美味いと言いながら、店を出て、次回行く店や、期間限定の他店舗のラーメンの話をしながら帰る。なんてことない、普通の光景だった。

だが、そんな日常もいつか終わる。二月二十八日、我々が最後に制服を着て集まる日だった。なんとなく、駅近の家系に足を運び、大して並ぶことなく入店。各々のカスタムラーメンを楽しむ。ただそれだけだ。

そう、ただそれだけのことなのだ。しかし、今まで日常だったそれは、その瞬間、非日常になろうとしていた。各々が心のどこかで、もう今日という日が来ないことを察していたのかもしれない。

終わる。終わるのだ。食べ終われば、この日常も、彼らとの生活も、くだらなかった日々も。

それに耐えられず、私は一枚の写真を残した。

高校の最寄り駅のラーメン屋にて


早く食べ終わった私は周りを見渡す。皆まだ麺を啜るなり、スープを飲むなりしている。

いつも私は食べ終わるのが早いが、皆心なしかゆっくり食べているようにも感じた。だが、それでもラーメンを平らげるのなんてあっという間だ。その時は来てしまう。

丼をあげ、店主に礼を言い、店を出る。そして思わず言ってしまったのだ。「これで最後だったんだな。」


別に泣くようなことじゃない。ただこのメンバーでラーメンを食べるのが最後なだけだ。まだ、ノスタルジーに浸る時でもない。ただ、実感し難いが、日常の終わりを確かに感じて、我々は狼狽えていたのかもしれない。


駅前で解散。各々の帰路に着く。我々の青春はここでおしまい。次の青春の1ページはきっと、別の人がいる。我々の青春は、最後のラーメンと共に幕を閉じた。

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?