雨月

しがない社会の落ち零れ。人が嫌い

雨月

しがない社会の落ち零れ。人が嫌い

マガジン

  • アリアンロッドRPG

    主にアリアンロッドRPG2E関連のまとめ。

  • 書く。

    日々の、書き殴り

  • とある日々に。

    とある日々に見た景色。心の向こうに揺らぐ影は白昼夢

  • エンディングノート

    いつか。家族へ

最近の記事

衝動と私。

パートナーにはたくさんの迷惑をかけた。振り返るとそんなことばかりを思う。 付き合い始めたのは二十歳の頃。当時、付き合っていた相手は向上心が強くアクティブな人で、友達に勉強にバイトに忙しい人だった。私の優先順位は低く、選ばれることはなかった。関係性が続かないとは理解していたが別れるに別れられずなんとなく"付き合う"という形式を維持していたところに今のパートナーと出会った。あっさりと別れ、私は今のパートナーの付き合い始めた。 色々なことがあった。主に、私が迷惑をかけたこ

    • 死を超える

      人は終わりに縛られている。一日の終わり。一年の終わり。好きなアニメの終わり。食事の終わり。楽しみの終わり。悲しみの終わり。死、という終わり。私が知る限り、今のところ不死の人間はいない。死は平等に、理不尽に降り掛かる。これに恐怖するのは生き物として当然の防御反応なのだろうと思っている。 私は小さい頃から死がそんなに遠いものではなかった。死の淵にあったわけではないが、田舎ではまだまだ自宅での葬儀というものはあったし、親の仕事柄や地域性もあって老人と関わる機会も多かった。死は

      • ネガティブは悪か。

        ポジティブは善か。そもそもそれはなんだ 私はへそ曲がりな人間だ。子どもの頃からよく言われていた。言われ続けたからそうなったわけではなく、元からそういう性質だったと記憶している。他の人が良いと言うものは疑ってかかるし、悪いと言うものも確かめずにはいられない。他人の言葉なんか信じない。正確には違う。私は私の気持ちが知りたいのだ。 そんな私が、ポジティブは善・ネガティブは悪という常識に疑問を抱くのは当然だ。学校ではポジティブ教育がなされ、言葉の言い換えや思考法を刷り込まれ

        • 私を。書く

          パートナーにお願いして、県が発行しているエンディングノートを手に入れた。以前からエンディングノートを書きたいと思っていたがどんなことを書いていいものか分からず、放置していたので構成を知ることが出来たのは大きい。 県のエンディングノートでは財産について、また介護や看護についての記入欄が多かった。預貯金や有価証券、借金、不動産、クレジットカードや各種引き落としなど確かに重要性は高い。介護や看護にしても本人の意思が表示できるうちに自分の行く末を決めるのは大切なのだろう。 一

        衝動と私。

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        記事

          「テレビで話題のnote!その魅力に迫る!」

          煽り見出しばかりが並び、読む記事のどれもがどこかで見たようなスマートで、実につまらない内容な理由が分かった。 今日はテレビ番組でnoteが取り上げられていた。AI編集長。そんなものがあったのか、と朝からアプリを起動するも混雑していたのか繋がらず。 私は記事を書くのが下手だ。だからAI編集長にお願いをした。テレビ番組でnoteが取り上げられていたのだが、記事の切り口は?と。回答は以下だ。 - テレビの特集番組についての記事を書くことで、読者にエンターテイメントと情報を提供

          「テレビで話題のnote!その魅力に迫る!」

          うつろ。うつろ

          雨降りしきる中。家までたった10mほどだが、車内で雨宿りをする。さっき集落から出てきた車に道を譲ったがため、回り道をしたその数分の間に雨足が強まっていた。そんな日もあるか。そう思いながら、スマホをWiFiに繋ぎ直す 今日も今日とて憂鬱に任せ、もうどれだけ考えて"結論"を出したか分からない生きる意味を思案する。思い悩むことは無駄だと精神科医は言っていたが、私はそう思わない。人が考えることをやめたらただの葦だ。弱くて儚い、かどうかは知らないが。思い悩めるのは人の特権に思える

          うつろ。うつろ

          働かざる者

          食うべからず。この上と下はセットだ。洗濯を畳みながら脳内を整理していた時に見つけた言葉。これはどこから拾ってきたんだっけ。思い返す 幼少期、当然まだ実家にいた頃の話だ。私は小さい頃から"働く"という行為が嫌いだったように思う。当時の労働はお手伝いと呼ばれていた。私は自分の世界に没入するのが好きで、その間は自分ではない"なにものか"になれている気がして。これはゲームに限った話ではなく、おもちゃで遊んでいる時も本を読んでいる時も、集中している時は自分の世界に籠る癖があったよ

          働かざる者

          秋の訪れ。文字

          過去の記事を見返していた。更新日を見るとどうやら秋に書き物をしたくなるらしい。Twitterは年中触っているけれどね 書いたものを見て気持ち悪いなと感じ、たくさんの記事を下書きに戻した。そりゃ嫌われるはずだ。私の鬱陶しさが遺憾無く発揮されていたものね。こうやって日常を送っているのかと思うとそりゃあんた、嫌われるわ。なんて自嘲 久々の記事はどうやって書こうかなんて考えたけど、公開したままの記事を見返してみるとそのどれもが殴り書きしたもの。ああ、私は私が殴り書きしたもの

          秋の訪れ。文字

          コード:わたし

          言葉にしなきゃいられない。いい物を書きたい。読まれたい。そんな思いよりも強く強く思うのは"書きたい"ということ。体裁や技法なんか知らない。分からない。私には何かを生み出す才能がない。努力も出来ない。だけど書かなきゃいられない。なんの実りもないデータのゴミ。それが私の言葉。浮かんでは消えて。浮かんでは消えて。実に陳腐でオリジナリティがなくて。すくいようのない言葉た。書きたい。書きたい。書きたいという思いばかりが募って言葉が纏まらなくなる。ある種のパニックを起こす。Twitter

          コード:わたし

          包み

          無職のまま一年が過ぎ、11月も暮れ。私は、自宅のだだっ広い廊下にいた。クリスマスプレゼントを二つ、包装するためだ 花柄の、オレンジと青の包装紙はこの家に元々あったもの。たぶん生前に、おばあさんが買って使っていたものだろう。どんな気持ちで、この包装紙を手に取っていたのだろうか。知る由もない、というやつだ 長辺のサイズを合わせ裁断し、包む。折り目を付けながらクルクルと回す前に、短辺のサイズを合わせていないことに気付く。包装紙はだいぶと余り、この先の苦戦を知らせていた

          憧れは

          なんだ高学歴、言葉も知らねぇのか テレビを観ていて思った 穿ったことを言いたかったのかカッコつけなのか。高学歴な奴は鼻につく。理数系だかなんだか知らねぇが、だったらそれがお前らの生活の、なんの役に立ってんだ 人の評価は数字だ。数値化できない能力は評価されない。評価する側が無能なだけなのに "これでいい"と言った瞬間に人は死ぬ。その先の発展は望めず、そこで終わり。日本の評価システムはとっくに死んだ。いつの時代の教育システム引っ提げてんだって話だ。それにぶら下がる

          誰も見ていないのに

          今日くらい書かなくてもいいや。そう思ってもなんとか形にしてみる。だらしなく生きる私が、何かを変えたくて書いている記事。どうせ誰も読みやしない。読まれない書き物に意味があるのかなと思う。読まれたいなら読まれたいなりに宣伝すればいいんだ。Twitterで?インスタ?他の媒体を使おうか?読んでもらったとして。スキがついて。そしたら私のモチベーションが上がるのだろうか。私はおだてに乗りやすいから、きっとやる気が出る。やる気が出て、ウケを狙って書いて、滑って。人に気を遣って、書きたい

          誰も見ていないのに

          忘却

          書こうと思っていた記事を忘れる。 昨日は記事を書くこと自体忘れていた。 幼少期から認知症の話をよく聞く環境にあった。ボケる。色々なことを忘れてしまう。忘れてしまうだけでなく認知にも問題が出る。自分が自分でなくなってしまうのではないかという恐怖は大きかった。今も大きい。だけどふと思う。人は、忘れることが幸福なのではないだろうか。不幸を忘れたいと願う人は多いだろう。それなら願ったり叶ったりだ。幸福も。いずれ壊れてしまうなら、と思わないではない。これはきっと、抗えない運命へ

          はっと

          明日死ぬなら何をしますか。 食べたかったあれを食べる? 行きたかったあそこへ行く? 会いたかったあの人に会う? 出来なかったあれやこれをする 明日一日じゃ短すぎる? じゃあ一週間後に死ぬなら? 二種間後でもいい。一ヶ月後でも。 ある程度、まとまった時間があるとして。 そしたら、何をする? 私は気付いてしまった。私は、そうなったらたぶん、特に何もしない。いつも通りに過ごす。私が死んでも世界は続いていくし遺された者には生活がある。だったら私のためにお金を

          カレー。まぜまぜ

          今夜はカレーだった。おかわりをよそいながら思い出した子どもの頃。カレーとご飯を均等に食べるのが苦手だった私は、最初に全部を混ぜてから食べるようにしていた。記憶違いでなければ、母に言われてそうしていた。ご飯の白い所はなくなるし、私はその食べ方が嫌いではなかった 父の里帰りについていったある年のことだ。その日の晩御飯はカレーで、私はいつも通り混ぜて食べていた。おじに"おめ汚ねぇ食い方すんなぁ"と笑われた。その場に居た者が私の手元を見て、笑った。母は均等に食べ進められないから

          カレー。まぜまぜ

          3分で書き綴る思い

          政治がつまらないし、生きていることに絶望する。明るい未来なんか見えない。一部の人間が利権を握り私腹を肥やす。人のために何かをしてあげようと思わない。それだけの富と、権力がありながら。それが人間という生き物で、それに囲まれて生きているかと思うと肌が引き裂けそうだ。気持ちが悪い。消しゴムのように。なぞって消せたらいいのに 私に出来ることはなんだ。無力感

          3分で書き綴る思い