衝動と私。

 パートナーにはたくさんの迷惑をかけた。振り返るとそんなことばかりを思う。

 付き合い始めたのは二十歳の頃。当時、付き合っていた相手は向上心が強くアクティブな人で、友達に勉強にバイトに忙しい人だった。私の優先順位は低く、選ばれることはなかった。関係性が続かないとは理解していたが別れるに別れられずなんとなく"付き合う"という形式を維持していたところに今のパートナーと出会った。あっさりと別れ、私は今のパートナーの付き合い始めた。

 色々なことがあった。主に、私が迷惑をかけたことばかりが思い返される。衝動をコントロールできない期間は長く続いた。なんのせいにも出来ないことだが、それでも自分を分析する。同性と友好な関係性を築けないこと。対人関係が苦手でまともに働けないこと。人との距離感が分からないこと。共感できないこと。人を信用できず相談できないこと。人を受け入れられないこと。たくさん。苦しかった。たぶんそうは見えないかもしれないけど。涼しい顔は元々、表情は作られたもの。私は自分に苦しめられ、自分を苦しめてきた。

 私はずっと、人の真似事をして生きてきた。自分の欠損は分かっていたし、それが問題になることも把握していたので他人を模倣して、目立たないように。自分の傍に誰をおくか。誰を模倣するか。それが大きな意味を持つことをよく知らないでいた。正しくは、それを理解するまで長い時間を要した。

 父は私を"普通である"と信じたかったらしいが、私の実感として、私は普通ではなかった。それは良い意味ではない。いわゆる"ちょっと変な子"だ。私は私の位置を計測したくて…つまり、私が普通なのかそうではないのか、正しく位置付けしたくて病んでいる人たちと関わりを持ってきた。結果的に私は知らず知らずのうちにそちらへと傾いた。そりゃそうだ。私は人を模倣する生き物だから。それが衝動の制御には悪影響だった。


 今現在、私は①人に興味を持たない、②人と関わりを持たない③特に異性は忌避するというルールで生活をしている。私は私の衝動を御する術を持たないので、それが起こる前から根絶やしにすることを選んだ。この選択は正しくない。自分を社会から断絶するからだ。だけど私の生活は穏やかだ。なんの刺激もなく、ただ死を待つばかりの日々。穏やかで、退屈で、安心で。これ以上を望むことは無い。

 私が小学生の頃から胸に抱いた目標、"生き抜く"はこの分なら達成が可能だろう。パートナーには数え切れないほどの迷惑をかけたし、今もかけている。お陰様で私は幸せだ。惜しむらくは、君の幸せを成就できそうにないこと。だからせめて、君の役に立ちそうな"私の欠片"だけは散りばめてから去ろうと思う今日この頃。

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