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包み

 無職のまま一年が過ぎ、11月も暮れ。私は、自宅のだだっ広い廊下にいた。クリスマスプレゼントを二つ、包装するためだ

 花柄の、オレンジと青の包装紙はこの家に元々あったもの。たぶん生前に、おばあさんが買って使っていたものだろう。どんな気持ちで、この包装紙を手に取っていたのだろうか。知る由もない、というやつだ

 長辺のサイズを合わせ裁断し、包む。折り目を付けながらクルクルと回す前に、短辺のサイズを合わせていないことに気付く。包装紙はだいぶと余り、この先の苦戦を知らせていた

 スーパーにいた頃だ。青果勤めだった私は慣例で、フロアの作業を習っていた。青果は他の生鮮部とは違い作業のウェイトが品出しに片寄るため暇と見なされていた。生鮮部の中で唯一手当がない部署で、雑用をせねばならない部署でもあった

 スーパーの稼ぎ時、盆前。私はフロアチーフから包装の仕方を習っていた。教え方が、クソ下手だった。私は元々、長さや大きさの感覚…空間認識能力が乏しい。このサイズの物を包むのにこれくらいの大きさが必要で…なんて分からないのだ。サイズ合わせのコツのようなものを教えてくれれば良かったのかもしれないが、チーフはキャメル包みとは…とやって見せただけだった

 話しは逸れるが私はこのチーフが嫌いだった。周りが言うほどブサイク、ではないと思ったが、傲岸不遜な態度がお下げ髪となんともミスマッチで。ブサイクだと陰口をきかないだけ私の方が他より、彼女のことを評価していた…のかもしれないが。ともかく、嫌いだった

 彼女の教え方で上手く包装が出来るようになるわけもなく。とはいえ私は覚えが早く、サイズ合わせさえなければ包装のスピード自体はあっという間に実戦レベルになった。…まあ、あんなもの誰だって出来るけど

 クリスマスプレゼントを包みながら思い出していたのは当時のことだった。チーフやフロアの連中からの陰口。店長のパワハラ。指示を聞かず指揮の低いパート。自分が嫌われていたということだけがどんどん浮かぶ。普通に仕事をしているつもりだったのに

 サイズの合わない短辺をハサミで切り、歪な切り口を中に押し込めて隠す。隠すことだけが上手くなってしまったのはさながら私の人生そのものだな。そう思いながらテープを貼る

 二つ目のプレゼントは大きすぎて包めなかったので斜めに包装して大部分を隠した。粗が丸見えで、これもまた自分の人生を比喩しているようだと感じた


 パートナーは朝から義父母たちの部屋の障子の張替えをしていた。座敷の障子の破れが気になるからと張り替え、それが義父母の目に留まり今回依頼されたらしい。一枚千円だ。パートナーは"別にいらないのに"と言っていた。そういう人だ

 私は何をやっても上手くいかないと思っているし、実際やることはどんどん裏目に出る。思った結果が出ないわけだ。パートナーと私の才覚には大きな隔たりがある。—この家に来た時のことを思い出す

 この家に来るとき私は、私なんかがこの家に入っていいのだろうかと思った。田舎の家だが、全盛期には見渡す限りの土地を持っていたという家柄だ。医者や弁護士や、地元の大企業の役員や…そういう人たちの集まり。私はこの家となんの縁もゆかりも無く、なんの能力もない。劣等感で潰れた


 あれから…そうか、八年経ったのだ。それでも私は今も劣等感に苛まれて生きている。この家に来たのが私でなければ。この家はきっと一層、華々しくあっただろう。私のようなものが来たばかりに

 プレゼントを包むのはその劣等感から逃れるためだ。人の笑顔が。幸せそうな顔が。私が赦されるために必要で。そのために行っているに過ぎない。私の行動の全ては、私が赦されたいがためだ

 私は果たして、生きているのだろうか
 私が生きることは、悪なのだろうか

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