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私を。書く

 パートナーにお願いして、県が発行しているエンディングノートを手に入れた。以前からエンディングノートを書きたいと思っていたがどんなことを書いていいものか分からず、放置していたので構成を知ることが出来たのは大きい。

 県のエンディングノートでは財産について、また介護や看護についての記入欄が多かった。預貯金や有価証券、借金、不動産、クレジットカードや各種引き落としなど確かに重要性は高い。介護や看護にしても本人の意思が表示できるうちに自分の行く末を決めるのは大切なのだろう。

一方でやや少なめに感じたのは個人の思い出や大切な人たちへのメッセージ記入欄だ。最期に別れの言葉を…なんて機会に恵まれる人はそう多くないと思う。そんな時、これが書いてあれば自分の没後にでも伝えたかった気持ちが伝えられる。やはり言葉は偉大だ。だからもう少し多くスペースをとっても良かったのではと思いながらも、予算の都合を思えばこんなものか。書きたいのなら別に、個人単位で書けばいいわけだし。

そんな風なことを考えながら家族への思いを認める。書いているうちに泣いてしまった。私はいつか、当然なのだが、いつか死ぬのだ。この幸福な生活はそれをもって区切りを迎える、のだと思う。家族と、ずっと過ごしたいと思うが、それは今のところ叶わないだろう。現状、死に瀕しているわけではないが、それがいつ、唐突に訪れるのかは分からない。そう思ったら涙が出た。

 ごく短い文章を書き終え、見直し、すっきりとした気持ちでノートを閉じた。安堵。自分が死んでも、もしかしたら文字が、私の思いを伝えてくれるかもしれないという希望が持てたことは思いのほか大きかった。だがあれでは足らないとも思った。書かねば。私を。

 私が得たもの。感じたこと。伝えたい感謝。生活の便利。伝えたいこと、たくさんある。私の命はそう長くないが、伝えないままでは死ねない。そう感じた。

 "私がしたいこと"の欄には"家族と楽しく日々を過ごす"と書いた。それくらいしかなかったが、私にはそれで十分だ。私の、生まれ持った家族は家族として機能しておらず、私は家族というものを理解せずに育った。だから自分の、"自分が家族と思える家族"が欲しかった。それは奇跡的に叶ったわけだ。私の望みを叶えてくれた家族には感謝しかない。だから私は、彼らの"役に立つ私"を遺さねばならない。

 したいことが見つかるというのは嬉しいことだ。エンディングノートは自分の今を見直すきっかけになる。

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