見出し画像

#57 INFJの私が生きやすくなった森博嗣の新書5選


あからさまに、前回のリバイバルである。
同じことをして、ビューの伸び具合に再現性があるのか、確かめたくなったのである。

※ってことで1週間様子見したけど、「スキ8」で止まったので、タイトルを「森博嗣の小説を1冊も読んでないINFJの僕が次に読むべき森博嗣を夢想する」から「INFJの私が生きやすくなった森博嗣の新書5選」に変更してみた。



はじめに

あなたは、森博嗣もりひろしを知っているだろうか。

私は、知っているけど、知らない。

なぜなら、小説家としての森博嗣の作品を一度も読んだことがないからだ。

ファンとしては、怒られるべき存在である。

そんな私が、次に何を読むべきか、夢想した。


私が読んだ5冊の森博嗣

小説は読んでないが、新書は読んでいる。

INFJである私のとっておきを、
この記事を見つけてくれたあなたに伝えたい。


1.「やりがいのある仕事」という幻想

幻想水滸伝っていうゲーム、好きだったな。

未来への不安は、生きていることとほぼ同じで、常に、どんな状況でもある。それがない人間は、はっきり言って馬鹿だと思う。

森博嗣


私はかつて、不安障害になるほど、不安であった。
ようするに私は、馬鹿ではないと。


このように未来が不安になるのは、今が良い状態だからだ。悪い状態なら、未来のことなど考える余裕もないはずだからである。したがって、まさに今、未来への投資をすべきだと思う。

森博嗣


まさに今、noteをつづり、自己分析し、
未来への投資をしている。
これを読んでくれている皆さんと、同じである。


どんな仕事でも、恥ずかしいことはない。恥ずかしいと自分で思っているから、悩んでしまうのだ。どんな仕事をしているかなんて、誰にも関係のないことだ。誰を意識して悩んでいるのか、と考えた方が良い。

森博嗣


大変にサッパリしている人である。
多分、森博嗣にとっては、INFJとか生きづらいとか、わけがわからないだろう。
でも、そんなの関係ねぇ。好きだ。


2.人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか

このタイトル、びっくりじゃない?

残酷な言い方になるし、身も蓋もないことを書かなければならないが、つまり、抽象的思考を身につける方法というものは、具体的にはない。こうすれば間違いなくできるようになる、という方法は存在しない。したがって、教えることなんてできない、と僕は現在考えている。なにか画期的な手法を、いつかふと発想できるかもしれないから、絶対に不可能だとは書かないが、今のところ、まだ僕にはその発想はない。

森博嗣

なんということだ。
この答えを探して買った読者に対して、
なんとも残酷なセリフを吐いている。
なのに、好きだ。


健康は、思考を支えるためにある、と僕は思っている。

森博嗣

僕もそう思った。
もはや、健康が全てである。
一度、精神が崩壊した人にはわかると思う。


知識を詰め込む教育も、その知識に意味があるのではなくて、覚える行為、頭を使うことに価値があるのではないだろうか。それはまるで、地面に鍬を入れて耕すようなものだ。頭は使うほど、土壌が豊かになる。問題は、どうやって種を蒔くのか、である。

森博嗣

これが俗にいう、種蒔き問題である。
農業従事者だけの問題ではない。


3.自分探しと楽しさについて

自分探しは、旅をしなくてもできる。
でも、旅への憧れは消えない。

結局のところ、「自分」というのは、「他者」以外という概念として捉えられるものであって、周囲の人や物を観察して、それについて考えたとき、その視点、その思考がすなわち「自分」なのである

森博嗣


周りの人あっての、自分である。
noteにゾッコンの今がまさに、これである。
自己分析の鬼と化したnoterに贈りたい。


4.勉強の価値

「読書の価値」に次ぐ、ハートフルな新書である。

子供のときから、考える癖をつけることが良い教育のように、僕は考えている。謎を謎のまま幾つも抱えて、ときどき思い出す。そのうちに、あるときふと正解を思いつくことがあるだろう。そういう幸運な体験を、子供にはさせてやりたい。

森博嗣


私も、子供にさせてやりたい。
こんなお父さんが欲しかった。
好きである。


相手の知識不足が判明しても、それを攻撃するのではなく、丁寧に説明し、「知ったうえでも意見は同じですか?」と尋ねれば済む話である。

森博嗣


これは、座右の銘である。
このスタンスは、簡単そうで難しいのだ。
noteではほとんど見かけないが、自分もふとしたとき、感情的にならないようにしたい。


5.悲観する力

NF型に突き刺さりそう


この本は、私にとってバイブルかもしれない。
だからあえて、途中までしか引用しなかった。
有料記事でよく見かけるやつである。


悲観というのは、可能性のパトロールのような思考であり、

森博嗣


悲観というのは、実は素晴らしいのだ。
いわゆる"楽観"という概念を履き違えていた。


やりたくない仕事を我慢してやる、というのがどっちつかずの中庸であり、ほとんどの人は多かれ少なかれ、そういったバランスを保って生きているように見える。この自己をコントロールできることが、

森博嗣


背中を後押ししてくれる。


自分を騙してまで、「嫌なもの」を「楽しいもの」にすり替えるなんて、正直な人間にはできない。自分の気持ちを変えることにエネルギィを使う方が無駄であり、

森博嗣


まさに、嘘をつけない私のことである。

そろそろ、INFJやINFPの人はウズウズしてきたのではないか。どうだろうか?


「みんなで輪になって一緒に」と考えている人ほど、他者の心ない発言を見過ごせない。また、そういった粗を探すことで、「絆で結ばれた理想の社会が実現できる」「自分のやっていることは正義だ」と感じ

森博嗣


炎上してしまう原理がわかる。
モヤモヤしていたものが、ハッキリと目に見えてくる感覚が生まれてくる。


現在自分が考えること、あるいは努力していること、行動していること、それらは、すべて未来の自分のためになるものでなければならない。今、やっておかないと、未来の自分からは感謝してもらえない。他者の評価を得ようと考えていると、

森博嗣


とにかく元気が出る。
森博嗣風に言うと、エネルギィが沸く。

僕は、どうしようもなく森博嗣が好きだ。

このように考える人に、私はなりたい。



夢想するまえに

他にも引用したいことが山ほどある。
しかし、著作権という壁が、私をここに踏み止めてくれている。ありがとう。

これらは全てKindleで読んだが、Kindleにはコピー制限があるので、コピペではなく、私が手入力で引用した。iPhoneで。

そうこうしているうちに、私自身が読みたくなってしまった。記事をリバイバルする前に、自分の思考をリバイバルしたくなったのだ。


次に何を読もうか考える前に、
先に挙げた本を再読しようと思う。

珍しく、ビューがどうだとか、どうでもよくなってしまった。これが、書くということの恩恵なのかもしれない。

ここまで読んでくれたみなさんも、スキを押すのも忘れて、今からKindleストアにいこうとしているのではないか?


そうであれば、私も本望である。ありがとう。


よって、すまないが、ここで終わりにする。



【関連】気に入ってくれた人へ!ドン引きするほど大量の読書術本をまとめております!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?