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【出版社退職エントリー】 SBクリエイティブを卒業しました。そして次の目標へ

2022年2月にSBクリエイティブを退社しました。
2014年6月に入社して、8年弱。編集者としてたくさんの機会を与えてくれた、人生でも忘れがたい時間です。とてもすべては書ききれません。とはいえ、次へのチャレンジの萌芽もそこにはあるはずで、時間をとってまとめてみました。何の参考にもなりませんが、一人の人間の記録として読み飛ばしてみてください。


企画会議で撃沈 ー入社〜種まき

前職のフォレスト出版には2年半、在籍した。そこからの転職。
フォレスト時代は初めての書籍編集だった。自由にやらせてくれる風土ではあった。だが、編集のなんたるかが全くわかっていなかった。どうすればタイトルが決まるのか。それこそ、ダーツでタイトルを決めるくらい当てずっぽうだった。売れるはずがない。いろんなチャレンジをさせてもらったけれど、本が売れない肩身の狭さから転職を考え始めた。そんなネガティブな移籍だった。
そんな実績のない自分を「拾って」くれたのが、SBクリエイティブだった。
当時の心境で思い出すのは、「自分は大きくは売れた本はない。けれど少しずつ手応えはつかんでいる。歯車が噛み合えば、きっと売れ始めるはず」というもの。根拠のない確信だった。

しかし、戸惑ったのは、企画会議。企画が通らない。
編集会議で通っても、経営会議で企画が通らない。
著者だって、実績のある人を連れてきているはずなのに。

今も覚えているのは、会議の場でこんなことを言われて追い返されたことだ。「部長がいえないから代わりに言うけど、ダメなんだよ。諦めなさい」
こんなダメ出しを繰り返されて、それを思い出し、夜もフツフツと寝れない日々を過ごす、そんなスタート。

ここで腐らずに集中できたのは、編集長のアドバイスが、企画に寄り添ってくれたから。会議を通す。その目的で地に足をついたアドバイスをくれた。今思うと、ここでの経験で「他者視点」を身に付けられた。「こんなにも情熱を持って企画を愛している自分」を脇に置いて、「何も知らない人たち」を納得させるために、何をすべきか、どんな言葉を並べるべきか。そんな視点を鍛えることができた。
この頃の思い出深い担当本はこちら。

当時、快進撃をしていた本田の所属するミラン。そこに日本人トレーラーがいるという。企画をオファーした。快諾いただき、「現地にくるか?」と言われる。当然いきたい。そこで会社に直訴した。新書1冊つくるのに、イタリア・ミラノまで出張させてくれる会社、サイコーだ。よくもまぁそんなことを言い出したものだ、と今なら思うが、伏線もある。
フォレスト出版の前には「昭文社」で海外旅行のガイドブックを作っていた。海外出張も何度か経験していた。前職のフォレスト出版では、スタートアップ本をつくったときに、シリコンバレーに出張させてもらった。海外であっても、そこに企画があれば行くべきだ、という発想に(贅沢なことに)バリアがなかった。

現地では、ミラネッロというミランのクラブハウスを見学し、試合も一緒にみた。車で移動中に密着して、いろいろと話を聴かせていただいた。本田圭佑の推薦が欲しいと思った。手紙も書いたが、かなわなかった。帯に写真を使わせてもらう、という着地点。
重版をして、新宿のブックファーストで著者イベントを開催。満席。遠方、静岡からも読者が来てくれた。思い出深い仕事。

浮上 ー2015年12月/新書キャンペーン

SBクリエイティブには、「SB新書」という新書レーベルがある。
リニューアルプロジェクトが動き出したのは2015年頃(編集部として)。その年の12月には、当月に6冊とか8冊とか(忘れてしまった)一気に出版、書店の棚を占拠した。読売か朝日に(忘れてしまった)全面広告も何度か打つ。会社を挙げての肝煎りのプロジェクト、というのはこういうのをいうのだなと思わされる熱気だった。書店展開がしっかりされているか、営業や編集が帰宅途中に近くの書店に寄って、確認するほどの熱の入れよう。社内メールには展開報告が飛び交っていった。

このタイミングで30万部以上を売り上げたのが「本音で生きる」。同期(おなじ日の入社なんです)のTさんの担当。それに引っ張られるように、自分の担当の2冊も売れてくれた。本というのは、1冊ベストセラーが生まれるとそれ以外のタイトルも底上げされる。理由はわからないけど、真実だと思う。

担当の1冊は「ニュースのなぜ?は世界史に学べ」。
著者は駿台予備校の茂木誠さん。取材のときから「眼から鱗」とはこのことで、本当に面白かった。内容も面白いものになるだろう。制作段階から明白だった。チャンスはTV出演だった。BS「久米書店」に著者が出演し、本も取り上げられた。「BSだし」。そんな声も聞かれたけれど、収録に立ち会って、番組内容を見ていた自分は「これ、放送されたら反響できるんじゃない!?」と感じた。実際に、放送後はAmazonでもリアル書店でも反応してくれた。その後、久米宏さんに帯推薦までいただいた。こんなとき出版社はガッツキが激しい。ちゃんと臆面なくがっつける出版社が、本を売れるのだと思う。

2本目は「やってはいけないウォーキング」。
この企画を思いついた時の光景はいまだに覚えている。池袋か渋谷の書店で「やってはいけない筋トレ」という本を手にとった。あぁ、この「効果があるか確信のない運動習慣あるよな、、」と読者が手に取る気持ちがぶわ〜っと広がった。ちょうど毎日ウォーキングをしているけど一向に痩せない、地元の母のことが思い浮かんだ。
健康習慣には、俗説がある。本当のことが知りたい。そこで、15年の研究で「本当のこと」に限りなく近づいている先生にアプローチした。著者の青柳先生の語りを、ライターさんに原稿化してもらった。リライトは『体温を上げると健康になる』『なぜ、「これ」は健康にいいのか?』などのヒットを飛ばしていた元サンマーク出版の高橋朋宏さんのやり方を(講演で聞いてきて)参考に、倣うように構成を編集した(精度は天と地ですが)。

ラッキーだったのは、新書キャンペーンで、会社が広告予算をとっていたこと。著者が世に出るタイミングとも重なり、TVへの出演がいくつか決まっていたこと。編集者ならいつだって思うことかもしれないけど、広告を「もっと」効果的に出していればさらに売れたんじゃないか、そんな悔いも残る本。でも、まぁ、それが本の運命なのかもしれない。

きづき ー2016年10月長女誕生/17年3月育休取得

この頃、妻の妊娠・出産のタイミングが訪れる。
つわりのひどい妻のケアにと、日々18時ダッシュをして帰宅した。正直、本づくりへのアテンションは相対的に下がっていた時期かもしれない。実際、著者と揉めたりもしたこともあった。非は100%自分にある。京王線明大前駅の構内で、電話口で怒鳴らせてしまったことが心に残っている。プライベートは関係ない。著者の方との付き合いを反省させられた。

10月に長女が生まれる。早帰りの日々は続く。今この時が、とにかく愛おしい。1秒でも一緒にいる時間を取らないといけない。そう思っていた。仕事はいつでもできるが、1歳の時期は二度と戻らないのだ。会社に話をして、1ヶ月だけだが、育休を取得した。その期間も本づくりは進行していたけど。
それでも、一緒にいる時間は尊いもので。「なぜ泣いているのか?」わからなくて、「泣いてるよ!」「どうした? どうした?」とオロオロするばかりだった父が、一緒にいると、なぜ泣いているのかがわかるようになるから不思議だ。でも考えてみれば当然のことで。眠い、お腹が空いた、それがご機嫌を左右する。1日のバイオリズムを共にしていれば、変化に気づくに決まっている。目の前の現象に振り回されることがなくなり、相手への理解が深まる。
育休とは、家事や育児を物理的に手伝うというところに価値があるのではない。育休の価値は、赤ん坊の生態というものをちゃんと時間をかけて観察・体感するためにある時間なのだ。

葛藤 ー2017年4月 副編集に

ちょうどこの頃、副編集長のポストを襲名することになった。
とても有り難いこと。一方で、組織の理不尽さをたくさん学ばせてもらうことになった時期でもある。僕が担当したのは、SB新書。たとえば、「新書の未来像」という資料を作成するとしよう。他部署の方がアドバイスをくれる。だがそれは、上長の考えを忖度してのアドバイスだったりする。なので、その忖度が外れることもある。すると悲惨である。自分の考えではなく、相手に合わせにいったのに合わせきれない。あくまでたとえばなしだが、それに近いようなことをいくつか体験した。
今振り返ると、自分がダブルスタンダードが苦手な人間だっただけだとわかる。「会社人としての意見」と「個人としての意見」。そこに相違があることが、実感として納得できない。至極、不器用な人間なだけだと痛感する(組織の責任ではないと思う)。

マネジメント、ということにもピンと来ていない中で仕事をこなしていた。
本をつくる、本を売る。それはあくまで内発的な動機に寄って立つもの。他人がとやかくいう必要のない聖域みたいなものではないか。つよくそう信じているので、他人の聖域に入り込むことも、したくなかった。他者の介入がないと本がつくれないのはおかしいのではないか。わりと純粋にそう信じていた。なので、当時一緒に仕事をしてくれたメンバーは、やりにくいところもあったよなぁと今振り返ると思います。すみません。

企画会議の進行や、企画書へのフィードバックなど多くのことを経験させていただいた。マネジメント。これほど難しいことはないなぁと今でも思います。
企画とは、生き方・在り方の問題だと大袈裟ではなく思う。たった一言を伝えるだけでも、発する側と受け取る側の生きてきた時間の積み重ねが変わると、受け止め方も変わる(発する側が「上」という話ではありません)。
たとえば、「読者視点で考える」というたったひとつの言葉かけだけとっても、言外には無数の指摘すべきことと拾える気づきがあふれている。だからできるだけていねいにまわりの言葉を補完して、伝えるのが愛のあるマネージャーということになるんだろうけど、それはまったくできなかった。いま思うと、申し訳ないことです。

2018 年「宇宙に命はあるのか」「医者の本音」

この頃の印象的な仕事として2つ。
1つ目は「宇宙に命はあるのか」。「宇宙兄弟」などで有名な漫画編集者・佐渡島さんが率いる作家エージェント・コルクさんに紹介いただき、NASAの小野雅裕さんと本づくりをご一緒した。
宇宙にはてんで門外漢だったし、読者コミュニティには無理解であったにもかかわらず、著者の熱意のもとに、クリエイティブとプロモーションがうまくかみ合った。ラッキーな要因も重なり、結果、このジャンルとしてはよく広めることができたと思う。

読者コミュニティを巻き込んで本をつくるプロジェクトは、正解にむかって一直線に進んでいく道とは真逆の、不確定要素を多く抱えたまま全体を動かしていく感覚に近い。
それができたのは、繰り返すようだが、著者の熱意。そしてコルクのコミュニティ管理の経験値。その両面を経験できたのは大きかった。発売直後のイベントなど、熱のある読者と発売を祝えたという「ハレ」の体験は深く心に刻まれている。

読者に支えられた、といえば中山祐次郎さんの「医者の本音」も同様だ。
当時珍しかった出版クラウド・ファウンディングの実施から、読者コミュニティ、書店回りまでやれることは全部やった。出版直前に「この本を出していいのか?」「やはりとどまるべきではないか」という著者の吐露には冷や汗をかいた。出版中止が頭をよぎった。そんなときほど著者の側に立たねば。僕自身がそう考えるよりも早く、読者コミュニティのひとりひとりが本書の価値を言葉にしてくれた。そんな後押しがあって生まれた1冊。13万部だけど、もっと売れて欲しかったのが正直なところです。

2019年「非常識な教え」「支配の構造」

翌2019年は、編集の原点を思い起こさせてくれる仕事に出会えた。
SB時代に2冊をつくることになった当時の麹町中学校長、工藤さんと出会ったのもこの頃。FBで流れてくる衝撃的な学校改革の講演録を目にし、いてもたってもいられずに手紙を書いた。その後、ご本人から直接お電話をいただき驚いた。

当時まだ本を出される前だったが、そのお仕事に価値があることは子育てを始めた親の立場から見ると一目瞭然だった。僕自身、小学・中学の記憶には理不尽なものが多い。でも、子どもにそんな体験をさせたくない。だって21世紀だぜ、と気持ちがある。学校がいい方向に変わっていけばいい。そんな想いを持って取材・編集したように記憶している。
こうしてできた「麹町中学校長の非常識な教え」は、取材中も原稿になってからも頷きが止まらないほど、個人的にためになった。自分のために作ったような本。でも、よく考えると自分のために作った本は売れやすい。そういえば「医者の本音」は、老親の受診をきっかけに感じた「病院と医者への不信感」がきっかけになっていた。

19年の印象的な仕事は、NHK「100分de名著」制作班の方々とのものも。
ギャラクシー賞を受賞された「100分de名著ーメディア論」に強烈にインスパイアされて、一も二もなく新書化を提案した。
著名な方々、それも4人の座談ということで、収録から校了までこれまででいちばん神経を使ったと思う。でもそれくらい交わされる座談の言葉はエキサイティングだったし、一言一言が、心に刺さった。
「100分de名著」という名番組に近く触れることで、古典の価値を再認識した。必要なことは既に言い尽くされていて、新刊とはパッケージを変えているだけではないか。出版業界は新刊点数が毎年のように増え続けている。それ自体についてどういこういえる立場ではないが、それによって価値あるものが埋もれてしまうのならば、もっとやるべきことがあるかもしれない。名著を掘り返し、スポットを当て続けていかないといけないのではないか。引き継ぐことが現代に生きる者の責務ではない。「古典の再定義」への関心は今も持ち続けている。その技法を発明したい。

2020年 移住・テレワークへ

2020年3月に軽井沢に移住をした。
その辺りの経緯については、ここに書いた。
子どもの教育への違和感から起こした行動だったが、恩恵を受けたのは子供ではなかった。自分だった。一言でいうならば、「人生の見え方が180度変わる体験」だった。
テレワークに移行し、フクヘンの職をおろさせてもらった。

知識として知るのと、体験することはまったく違うこと。
僕らは、いかに「知っている」で済ませて、本当は自分に価値があるかもしれない選択を切り捨てているのか。そのことをここ数年で一生分くらい実感している。

2022年 退社・起業

8年にわたり正社員として貴重な経験をつませてくれたSBクリエイティブのみなさんに感謝を。そして、10年のあいだに本づくりをご一緒した著者の方々や制作スタッフの方にも最大限の感謝をお伝えします。

振り返ってみて、いやーすんごく恵まれた環境だったなぁと思い知らされました。なにより、「出会い」が最高だった。

2022年の2月に退社をし、移住先の軽井沢で出版社を登記しました。あさま社と言います。そのことについては、これからたくさん書いていきたいと思うのだけど、ここ最近思っていることをひとこと。

3年前、5年前のふとした行動や出会いのいくつかが、今につながる体験をしている。そのたびに、「3年前の自分に感謝」「5年前、あの人と出会ってくれてありがたかった」
そんな声を、過去の自分にかけることが増えました。
だから、今の自分も3年後、5年後に「ありがとう」と言ってもらえるよう、ひとつひとつの選択を、誠実に、怠ることなく、おこなっていかないといけないと肝に命じています。

20歳の頃は何者かになりたくて仕方なかったけど、できることは時間を積み重ねていくしかないのだなぁ、とつくづく実感します。

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