3年つとめたフクヘンの仕事をおりた話(そして振り返り)

2017年度のことだった。

「副編集長」の肩書を預かり、新書のマネジメントをはじめることになった。そして3年。2020年の10月に、そのポストをおりることになった。理由は、制度化されていない完全テレワークを認めてもらうため。自宅での作業がメインとなると、マネジメント業務はできない、という会社の判断があったからだ。

就任当時(2016~17年ころ)、たまたま担当した本が売れてくれて、その実績のおかげで、フクヘンをつとめさせてもらうことになったのだが、まぁ試行錯誤の連続だった。正直、なにか成果を出せたわけでもない。それでも、人生で替えがたい貴重な経験をさせてもらった、そんな想いはつよく残っている。せっかくなので、「振り返り」を残しておこうと思いました(会社の暴露的なネタではなく、あくまで内省的なものになります)

1・仕事内容

副編集長としての大きな任務は、新書のマネジメント。おもに編集会議のまわし、企画決裁の最初のゲートキーパー、ラインナップの調整、などなど…。

基本的に、編集者の仕事は、独立独歩なので、メンバーとも関わりも、極論すれば「売れる本さえ出してくれればOK」というスタンス。なので、マイクロマネジメントに陥ることなく、日々の業務にはまったく口をださず、全体の刊行があやうくならないかを見ていく感じ。クォリティチェック(タイトル、カバーデザイン、企画内容)でも、上司である編集長が最終的な決裁権をもっているので、権限をもって、というよりはアドバイスにとどまるイメージ。

それでも。。

メンバーとの「関わり方」のむずかしさは、つねに感じていた。それは、表層のコミュニケーションというよりも、口出しの距離感。

2・自分の意見が相手の思考をとめていないか

たとえば、「企画書」にしても、「カバーデザイン」にしても、僕としては担当者が「信じたものをやればいい」と考えている。でも、確信をもって「これだ!」と動ける場合は多くない(そのこと自体は悪いことではありません)。本をつくるなんて、正解がないのだから、最後の最後、校了の瞬間まで、これでよかったのだろうか、と迷いながら進行するほうが、余程よい結果を招き入れるものだと思う。なぜなら、つねにほかの選択肢を考えつくしているから。偉そうなことは、まったくいえませんが、「考える総量が本の質をあげる」のは間違いないと思う。

その意味で、たくさん悩んでほしいなぁ、何度ももちかえって、その場で決めないでもいいのになぁ、ということが、多々あった。

これは勝手な思い込みかもしれないけど、打合せの場で、「じゃあこれで」と決めるとき、人は粘っこく考えることから離脱しているような気がしてしまう。不安定も、迷うも、悩むも、ストレスのかかる行為なので、はやく手放したい。それはまちがいない。でも、「決めるはおわりにする」。誰かのアドバイスをきいて、そこで試行錯誤がおわってしまうのは、実にもったいないなぁと、感じてしまうのだ。

だから、意見の伝え方には気を遣った。これでいったらいいんじゃない?というスタンスにならないようにしていた。でも、意見を求めるメンバーの心境としては、「相手に決めてもらいたい、答えに近いものを提示してほしい」があることも、感じ取っている。意見を求められた立場としては、「こういう選択肢もあるよね~」「こう見える人もいるけど、その可能性についても吟味しきっているのかな~」という第3の道を提示したかったけれど、それができたかといえば、できていない。実力不足である。

もし、この文章を「意見をもらいにいく」側の人が読むとしたら、お勧めしたいのは、誰かの意見に「権威付け」をしすぎないこと。なにかで結果を出す、遠くて近い道は、自分で真剣に考え続けることだと思う。本当に偉そうなことは言えないけれど。

3・社内政治の功罪

やっぱりむずかしいのは、社内での関係性だったなと思う。

社内政治にはまったく興味はないけれど、そういうものを極めることで、売れる本を作る原動力が生まれるのはまちがいない。信頼の厚い人の本に力をいれてもらえるのは、どの出版社でも、いな、どの業種でも同じことではないでしょうか。

そんななかで、自分のチームに利益をひっぱってこれる社内的な動きができたかというと、ゼロ、どころかマイナスですらあったのではないか、、と。

振り返ると、新卒で入った会社で、人事研修の担当部長のやりかたがほんとうにイヤで、反抗的態度をとったり、会社をボイコットしたり(仮病です笑)するくらい、大人気のない社会人スタートをきっていたわけで、酸いも甘いも受けいけられない若造、というのは、40になっても変わっていない。自分の本を売るためには、それもがんばれるかもしれないが、メンバーの本のために、納得できないことものみこんでがんばる、というところまでは腹を括れなかった。もう、人間の器が小さい。。。

4・人を動かす、は相手の人生を丸ごと受け止めること?

やってみて感じるのは、人とかかわるとき、どこまでのスケールでかかわるか、ということに、マネジメントは尽きるのだなぁということだった。

正直、どう声をかけるか、人をどう動かすか、についてのテクニカルな面はほんとうに些末なことで、むしろほんとうに、つくる本の魂レベルのエネルギーを上げていくには、人のコアに触れていかないといけないのだと痛感するばかりだった。(それはまったくできなかった、というか、強い関心をもてなかった)。悪い意味で、自分は、「人は人」という考えを捨てきれなかったのだ。

本当に企画の質をあげるには、やっぱり普段何かを見ている時の「意識」と「精度」を上げないといけないのだと考えているのだけど、その鍛錬を他人に強いるのは違う気がする。もっと違う山の登り方だってあるし……という堂々巡りな自問自答ばかりで、迷わせてしまってばかりだったなぁ、というのは今思ってもやはり反省ばかりだ。

5・もし次の機会があるならば

経験のある人に問うてみたい質問があります。それは、

マネジメントでいちばん大切なことはいったいなんなのでしょうか?

人を動かすために、自分の技量をあげるための努力をほとんどしてこなかったので、自分として学びになるようなことは言えないのですが、この質問にはそれこそリーダーの数だけ、答えがあるような気がしていて。

それに自分がもし答えるとするならば、やはり、「自分ごと」の度合い、ではないだろうかと。どこまでいっても同質化できない、組織と他者に、いかに本気で関われるか、それさえできれば、少々の問題はいくらでも解決できそうな気がします。

次の機会があるならば、なにより、自分が人生を捧げるチームに出会えるかどうか、その覚悟が最初に問われるのかもなぁと感じている(…なさそうだけど)

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