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勝手にしやがれ

自営だった父は昼は決まって定刻に自宅に戻り食べていた
ただいまも言わず、会話もせず
もくもくと食べた後は
午後の始業10分前まで昼寝をする

時計仕掛けのオレンジ
ならぬ
時計仕掛けのオヤジ

幼少期から上京して家を出るまで
夏休みなどで 家にいた私は
その時間は 家で黙っていなければならない
音をたてないように
一軒家なのに かなり おとなしくしていた
足音も トイレも はばかられるほどに
なんなら 父がいなくなってからゆっくりランチをしていた
それくらい 父が家に昼を取りに帰ってくることは
私たち家族にとって 緊張するものだった

音を立てれば 昼寝している父が怒るし
父の機嫌を損ねることを恐れた母にも
怒られる
逃げ場ゼロだった

この昼寝は いつの間にか日曜日も土曜日も
行われるようになり
いつの間にか 出かけるときも
父の昼寝を気にするようになった私たち家族
それは孫ができても同じ
孫 < 祖父
なのだ まだそんなに年寄りではないのに!

洗脳はコンプリートしかかった
世代関連で 3世代まで…
ただ 運よく 私たち家族は
父母とは 疎遠気味になり
孫たちは その洗脳に染まることは免れた!

家族の中心は 表向きは父
ただ それになびいた母も同罪
父の狂いっぷりをイネイブルしたのは母

父は家族と出かけると好きなように食べて
自分が食べ終わったら 早く家に帰って寝よう
そういう人だった

それが普通で
普通の人より稼ぐ父のために
家族が犠牲にならなくてはと
家族はそれを疑問にも思わなかった
思うことも許されなかった
陰ではさんざん 悪口を言っていた母も
父の前では奴隷だ
家を散らかす とか 寝込むとかで
ストライキはできたが
問題の核心は いつだって アンタッチャブル案件だ


あれは 私が東京に住んでいたころ
初孫である私の息子のお宮参りか何かで
東京でお参りして昼を食べた父は
東京で初孫とゆっくりしたい母を置いて
一人で先に帰ってしまった

私たちも母も了解の上で父は帰ったが
その時は 父はそういう人だからしかたないと
何とも思わなかったが
いまは クズだな と思う
向こうの電車に乗って 一人帰っていく父を
画像で記憶している

私はいやなことがあると 映像で記憶してしまう

いつだって 凍結させた感情が
その画像記録の後ろに眠っている

そして そんな父と一緒にいたくない母は
私たち子どもや孫に依存して乗っ取っていく…

父も父だが母も母で
好きなように 二人でやってきたのだから
私こそこれから 好きにしようと思う

勝手にしやがれ だ
(映画見なきゃ)

父は言った

まさか お母さんがお前たちを虐待しているとは知らなかったよ

そういってのけたが

あなたも 立派な共犯なんだよ
なんなら 手を下してないだけ
汚ねぇんだよと
マッハの速さで怒りの刀で斬りたくなった
マッハの速さだ!

だって 私が子供から
父親からつらいことをされていたと聞いたら
私は それに気づけなかった自分を
謝ると思う
つらかったねと ごめんねと

が その怒りはその場で出せなかった…
私の悪い癖だ
全面的に 自分の感情に蓋をしてしまう

その分 というか ブーメランというか

家をゴミ屋敷にして
病院や買い物で散財し
ろくに料理や家事もやらず
挙句の果てに発狂して
家を出て行った人に まだ戻ってほしいの?

と 父に聞いたら なんか 半ギレしてた
てか ほんとのこと言っただけなのに
すげぇ キレようだった

そんな父は 母に出ていかれて
家事を一気に担い
近所からは 奥さんが出ていった男
として扱われ ばつが悪そうだし
さみしそうだ

けれど 仕事は頑張ってきたけど(これは思考)
子供たちに 家族に 妻に 寄り添ってこなかったのは
父なのだ
私たち家族から回避し続けてきたのは 父なのだ
そして お望み通り 回避コンプリートしたからって
さみしそうな顔しても
しらねぇよ
あなたが 一生かけてほしかった 一人の時間を
今手に入れているでしょう?
それがつらいなんて 言わせないから
自分の生きざまに 責任を取りなさいよと
怒りがまたマッハ!

いつだって あんたたちの 争いごとに
巻き込まれ 振り回され
邪魔しないよう いい子にさせられ
自分の意見も言えず
着たい服も 食べたいものも やりたいことも
わからなくなったのよ私は

あなたたちが 好き放題やってきた
その代償は 運命が見せてくれる
そんな気がするわ!

忘れて なかったことにして
好きに生きられたらと思ったけど
やっぱり 恨みは恨み
感じ切って 踏み越えて クリアにしてやる!

私は もっと 好きにやるわ!

勝手にしやがれ それは 自分にいう言葉!




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