仙道彰・ロングバケーション編 振り返り
第2章「ヴィルフェーダ大阪トライアウト」編
南烈に続き登場となったのは、いよいよと言ってもよいでしょう。
原作中でもトップクラスの人気キャラクターである仙道彰です。実力もトップクラス、天才と称された仙道ならさぞかし活躍する未来もあったことでしょう。しかし天才であるが故に、広い視野を持つが故に、、、賛否があることも承知しながら私なりに仙道彰にしか描けないストーリーを描くことが出来きました。
まず、「ロングバケーション」編は仙道彰が高校3年時、国体のエピソードから描かれる。海南の単独チームでのぞむことも多々あった神奈川国体に海南以外のチームからキャプテンに任命されたのが陵南の仙道彰。
https://note.com/tyimage/n/nc52b797b86cc
前年海南を苦しめた陵南、湘北の台頭により、海南の単独チーム編成に一石を投じたキャプテンの誕生、魅力的なメンバーが揃いベスト4に進出するが、準決勝当日の朝、災害により大会が中止となってしまう。
数日の足止めもくらった国体メンバー解散式、キャプテンの挨拶を振られた仙道は、「募金活動」を提案した。
大会中止の悔しさを話すのではなく、広い視野で捉えた仙道の呼びかけにより各高校で募金活動が実施された。この仙道の提案に感銘を受けた田岡は、仙道彰がこれからの日本バスケット界を引っ張っていくと信じてやまなかったが、仙道のなかでは、この出来事がバスケットを続けなかった1つのきっかけになったのかもしれません。
初のウインターカップ出場、ベスト8の結果を残した陵南高校。
同僚、福田吉兆は大学からのオファーがなかったが、アメリカ大学選抜‐日本代表の試合を観戦しストリート仕込のアメリカのスキルに感服しストリートバスケに活路を見いだすきっかけとした。
一方、仙道は、日本の代表が完敗する現状、JBAリーグ所属選手に代表資格がない現状に疑問を感じ、
「勝つから楽しんだ」「勝てるのか?」と客観視する。
仙道は、大学、CBAリーグ、JBAリーグからもオファーがあったものの最後まで返答することなく田岡を笑顔で交わす。そして天才は日本バスケット界から姿を消すこととなる。
仙道彰が背負ったのは、日本バスケット界の環境が未来ある若者に夢が持てない、刺さらないといったある種のドロップアウトだった。
時は1年と過ぎ、入学早々に仙道彰に敗れ、
「仙道は俺が倒す」とライバル関係を築いた湘北高校、流川楓、桜木花道も卒業式を迎える。
インターハイ後、湘北高校バスケットボール部マネージャーに入部した赤木剛憲の妹、赤木晴子と校舎裏で話す流川は、仙道のことを晴子に質問するが、大学にも籍もなく、わからない状態であることを伝える。
さらに時が流れ、晴子は青年海外協力隊としてボランティア活動、世界をまわっていた。
https://note.com/tyimage/n/nb47c5e9227ce
そこで偶然、仙道と会い話をする。
「なぜバスケットをやらないのか?」という晴子の質問に
「やらない理由はない。やらない理由よりやる理由が重要だと考えている。」
入学からバスケ部に入らなかった晴子は、再び全国を目指すにはマネージャーは1人では足りないと彩子に誘われ入部することとなった晴子には、その仙道の言葉が腑に落ちた。
そうして、仙道彰の海外での旅は続いていくこととなる。そんな仙道が再びバスケットに触れるきっかけとなったのは、ハリー・テーヒルというオーストラリア人との出会いだった。馬が合った二人は一緒に旅をすることになるが、雪山で遭難事故に合ってしまう。
https://note.com/tyimage/n/n86ffcdc4559f
不幸中の幸いで仙道には後遺症は残らなかったが、ハリー・テーヒルは後遺症により足を切断、健常者ではなくなってしまう。
しかし前向きにリハビリに取り組むハリーの姿を見て、心を動かされた仙道は退院の日に、バスケットボールとリストバンドを退院祝いとし、自身がバスケットボールをプレーしてきたことを明かし、
車椅子バスケをやってみないかとハリーをバスケットの道に導く。
仙道の日常に少しずつバスケットが戻ってきたのである。
時を経て、日本バスケット界がポジティブな話題が並ぶようになる。
テルノン会長の国際試合、国際大会出場禁止宣言の撤回、新たなプロリーグ、ユナイテッド・ジャパン・バスケットリーグの開幕、デサフィアンテでの激闘、流川楓の日本復帰とプレパラシオン東京移籍、そして古本興業、松田雅志が実質的なオーナーを担う「ヴィルフェーダ大阪」の新規参入。
NBAドラフト指名されNBAでシーズンを戦った流川はその頃、メディアに引っ張りだことなり、
「日本で対戦してみたい選手はいるか?」
「こいつを食ってみたいみたいやつですかね」
と質問されると
「んどう」と声を発すると、
「うどん」と理解され、好きな食べものとして認知されてしまう。
しかしこの発言に、
流川が言葉にしようとしたことを感じたのは晴子に卒業式での出来事や海外での偶然での出会いを聞いていた赤木剛憲だった。
晴子と電話で話す赤木は、この「んどう」発言は仙道彰のことを指していると考察し、晴子も賛同する。
赤木はホットな話題の松田雅志のヴィルフェーダ大阪新規参入も報告し、ひょんなことからその松田雅志が「探偵ナイトスクープ」の局長に就任したことを思い出す。
晴子は仙道を探偵ナイトスクープに調査してもらえないかと考え、調査依頼を二人で作成し松田雅志に届く。
この調査依頼に興味を持った松田雅志と探偵ナイトスクープ調査班は調査を開始。
調査は難航を極めたが、バスケット繋がりから仙道彰よりハリー・テーヒルから足がつき、ハリーから仙道はアメリカにいると情報を得る。
仙道彰の最終調査は、松田雅志本人も参戦、晴子も松田本人から直接ついてきてほしいと依頼を受け快諾。
アメリカのバスケットコートで汗を流す仙道に二人が訪問する。驚きを隠せない仙道だったが取材を快諾する。
松田は独特の言いまわしで仙道を説得する。
※松田雅志の格言は下記記事でチェック
そして
バスケット復帰へと説得をさらに同調、後押ししたのが同行する予定のなかったハリー・テーヒルだった。
ハリーは仙道に見せたいものがあると飛んできたという。それは車椅子バスケオーストラリア代表のジャージだった。
ハリーはパラリンピックを目指すと宣言、そして仙道に
「ロングバケーションは終わりだ」
「オリンピックを目指せ」
「次に会うのは日本のコートだ」
と言い放つ。
ハリー・テーヒルの思いに仙道、松田、晴子も心が動かされる。
晴子は、以前仙道が発言していた「やる理由」になるのじゃないか?と問う。
仙道はやる理由を模索するなか、かつて桜木花道に
「俺を倒すなら死ぬほど練習してこい」と発言した過去を引き合いに出し松田に質問した。
「本当に死にそうになった俺が死ぬほど練習したらどうなるか?」
松田の答えは仙道の笑顔を呼ぶことになる。
「本当に死にそうなった人がそれを笑いに変えたら爆発力はエグい」
仙道の爆発力もエグいことになるのでは?と答えた。
答えに納得した仙道は、トライアウトの参加資格について問う。参加資格は実績のある代理人の推薦状が必要になるのだが、驚きの推薦状がもうすでに日本に知れわたっているという。
それは、流川楓がとうとう真意を明かした「んどう」発言である。
メディアで食べもののことではない。
「仙道彰」
「仙道は俺が倒す」
と、高らかに宣言したのだった。
仙道彰はロングバケーションを終え、バスケット復帰、ヴィルフェーダ大阪トライアウトにチャレンジすることを受託。
日本で開催されるオリンピックを目指すとハリー・テーヒルと約束を交わしたのである。
ヴィルフェーダ大阪トライアウト当日編へ続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?