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ユダヤ人の受難のパワー(なぜロスチャイルド家は誕生したのか?)11

ウィーン分家の消滅

ドイツとその占領地で600万のユダヤ人を抹殺したと言われるホロコースト(大虐殺)はロスチャイルド一族をも襲った。

幸か不幸かフランクフルトのロスチャイルド本家は後継の息子がなかったことから20世紀初めには消滅していた。

このため真っ先にユダヤ殲滅を公言するヒトラーの犠牲になったのはウィーン分家の5代目当主、ルイ・ナサエル・ロスチャイルド男爵である。

最後通牒を突き付けてオーストリアを強引にドイツに併合したヒトラーの軍隊がウィーンに入った1939年3月、ルイはカギ十字の兵士によって自宅で拘束され、まず警察の地下留置所にぶち込まれ、次いでゲシュタポ(秘密警察)刑務所の独房に移された。

身の安全を祈って奔走するパリとロンドンの一族に、ゲシュタポは保釈の条件として、オーストリア・ロスチャイルドの土地、資産のすべてを供出するように求めた。

史上最高の身代金である。

しかしこの時、ロスチャイルド家はヒトラーに一矢を報いた。

二代目サロモンが土地の所有権を獲得したときに買ったシレジア途方のヴィトコヴィッツ炭鉱と製鉄所の所有権を、有事を想定して密かにイギリスの同家の保険会社アライアンスの所有に切り換えていたのである。

ヒトラーはヴィトコヴィッツを占領したものの、イギリスの会社のものとあってはルイの保釈金の一部として接収するわけにもゆかず、歯軋りするばかりだった。

ドイツ帝国は結局290万ポンドで買うことになったが、本格的な第二次大戦の勃発で契約は実行されず、戦後、チェコスロバキア政府が国有化してその賠償金を支払った。

1年後、身ぐるみはがされてようやく保釈されたルイはアメリカに亡命、ニューイングランド地方バーモント州の農場を自宅にして二度と家業を再開しようとはしなかった。

戦後に返還された資産はすべてオーストリア政府などに寄付した。

金融業者としてのウィーン分家が衰退しつつあっただけではなく、ハンガリーなどが戦後独立してオーストリアが小さな国になってしまったことも、ルイの事業意欲を削いだと言われるが、あるいはナチス・ドイツの忌まわしい記憶のためだったかもしれない。

こうして一世紀半にわたってオーストリア・ハンガリー帝国と中・東欧の金融の中心となってきたウィーンのロスチャイルド家は途絶したのだった。

・・つづく・・

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【参考文献】『ロスチャイルド家』横山三四郎(講談社現代新書)

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