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夏至、この夏はこの映画とともに。

夏至。5月が活動的すぎたのか、数日前から体調を崩していたので、自宅でぱらぱらと村上春樹の「アフターダーク」を読んでいた。先月から忙しさのあまり、全く本を開くことができていなかったことに気が付く。

「直感が僕に耳打ちしていたんだ。この子はケイタイなんてきっと好きじゃないって」

村上春樹「アフターダーク」

こんな台詞に惚れ惚れしてしまう。文章から「美」を感じてしまう瞬間。村上春樹の文章は、うっとりして何度も読み返してしまう。

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夏は苦手だ。私は暑いともれなく体調を崩しやすい。のだけれど、何だか今年は季節が巡っていくのが嬉しくて、ちょっとだけ夏が楽しみ。今年は、海の見える美術館に行きたい。夜の水族館にも行きたいし、浴衣も着たい。

昨年くらいから、「季節に合わせて映画を観る」ことが好きになりつつある。特に、夏は観たい映画が多い。夏の夜に映画館に行くなんて最高だ。以前、上野の東京国立博物館で夏は野外シネマがやっていたのだけれど、コロナ禍に入ったタイミングからやらなくなってしまったのか、最近は見かけていない。夏のまだちょっと明るい時間に生ぬるい空気の中、野外で映画を観るのは最高だった。

さて、夏に見たい映画は山ほどあるのだけれど、今年見たものをいくつか挙げていこうと思う。

「海街diary」

毎年必ず夏が来ると観ている映画のひとつ。初めて観たのは大学生のときだったのだけれど、初めに観たときと印象が変わっていることに気が付いた。観るのはもう20回目くらいなのに、何度も泣きそうになってしまう。私にとっての心のお守りのような映画。鎌倉で暮らす三姉妹と、その家族に加わった腹違いの妹の物語。

初めて観たときから何年も経ち、自分自身が幸や佳乃と年齢が近くなってきたからなのか、より登場人物たちに感情移入してしまった。複雑な家庭環境にありながらも、それぞれの思いを抱えながら自分たちの暮らしを紡いでいく四姉妹に心が奪われてしまう。私だったら、自分の境遇を恨んでしまうと思う。

はじめは敬語だったすずが、だんだんと周囲に心を開くようになり、笑顔が増えていくとこちらまで嬉しくなる。桜並木の中を自転車で駆け抜けるシーンは本当に美しかった。

そして、カレーを作るシーンやお蕎麦を縁側でみんなで食べるシーン、梅シロップを作るシーンなどの生活の一部をそのまま切り取ったような自然な演技がとても素敵だ。幸が朝、庭で木々に水やりをして花を活けるシーンや階段をぞうきんで丁寧に拭いている姿からは、幸が本当にこの家を大切にしていることが伝わってきてじんわりと心が温まる。

「植物も人も、生きてるものはみんな手間がかかるのよ。」

海街diary

私は、今回はすごく幸の気持ちを想像しながら見てしまって、海辺で椎名に「これからゆっくりと取り戻してくださいよ、子ども時代を」と言われるシーンが心に残った。父も母も家を出ていってしまって、どんな気持ちで妹たちと祖母と過ごしていたんだろうか、とかどんな気持ちですずに「鎌倉で一緒に暮らさない?」と声をかけたんだろうか、とか。幸は、もしかしたら懸命に義母を支えようとするすずに昔の自分を見て、声をかけたのかもしれない。あの頃の自分を救ってあげたかったのかもしれない。

かなり家庭環境は複雑だけれど、四姉妹がそれぞれに生活を楽しんでいるのと、まぶしいほどの夏の光と、鎌倉の風景が相まって全体的に爽やかにまとめられていて、夏にぴったりの作品。こうして、人と人は家族になっていくんだ。

「歩いても 歩いても」

こちらも、海街diaryと同じく是枝裕和監督の作品。私は是枝裕和監督の撮る夏の風景とか、料理のシーンがとことん好きみたいだ。

観終わってからもう何日も経っているのだけれど、ずっとこの映画のことを考えてしまう。夏の終わりに、15年前に亡くなった兄の命日に帰省した1泊2日を描いている作品。一見、穏やかな日常を描いている映画なのかと思っていたのだけれど、節々に家族の闇が描かれていて、すごくリアルな「家族の距離感」を感じた。

この家を建てたのは自分なのに、なぜ「おばあちゃん家」と言うのだ、と小さなプライドを捨てられない元開業医の父、亡くなってしまった後継ぎの長男、実は失業してしまったのだけれどそれを隠そうとする次男、長男が亡くなった悲しみを乗り越えられない母、夫の浮気を知っていたことを皆の前で暗に告げる母、再婚した息子夫婦に「子どもは産まない方がいい」と告げる母、、、、絶妙な家族関係の歪みを表現していて舌を巻いてしまう。

そんな闇を描きつつも、夏の食卓や光を綺麗に表現しつつ、娘の明るいキャラクターにちょっと笑ってしまう。娘(YOU)が母(樹木希林)と話ながら料理をするシーンはあまりにも自然な演技で驚いてしまう。娘は終始明るいキャラクターで描かれていたのだけれど、実際どうなんだろうか、無理して明るく振舞っているのだろうか、とか考えてしまう。

「あーあ、いっつもこうなんだよな、ちょっと間に合わないんだ」

歩いても 歩いても

人生って、大抵こうなのかもしれない。ぴったりとタイミングが合う、なんてことは少なくって、いつもちょっと間に合わない。歩いても、歩いても、それでも人生は続いていく。

「ペンギン・ハイウェイ」

森見登美彦の小説をアニメ化した映画で、これも夏になると毎年見ている映画のひとつ。
小学生のアオヤマ君とアオヤマ君のよく通う歯医者さんのお姉さん、友人たちの夏休みの不思議な体験を描いた物語。

子ども向けの映画かと思いきや、実はとても哲学的な内容を含んでいたり、アオヤマ君のお父さんがアオヤマ君に研究や問題の考え方についてアドバイスしている内容が深い内容だったりと、見るたびに考えさせられてしまう。

お父さんがアオヤマ君のことを「子ども」ではなく、一人の人としてすごく尊重して接しているように感じて(こうしなさい、ああしなさい、ではなく、こうしてみたら、という感じ)、「ああ、子どものときって、子ども扱いされたくなかったんだよなあ、こうして大人のように接して欲しかったんだよなあ」と自分の子ども時代を思い出して懐かしく感じた。

そして、子どもの頃ってこんなにも世界が不思議で、広く見えていたよなぁと思う。自分たちだけの秘密基地を作ったり、街を探検したり、大人が飲むコーヒーに憧れたり、ちょっと苦いチョコレートを平気な顔をして食べてみたり。アオヤマ君が大人になるまでの日数を指折り数えるように、「大人」に憧れていた。「大人」は何でも知っていて、何でも解決できるように見えていた。

そして、夏休みはどんなに楽しくても、必ず終わってしまう。

「Hello 僕は思い出じゃない
さよならなんて大嫌い」

宇多田ヒカル「Good Night」

エンディングで流れてくる宇多田ヒカルの「Good Night」を聞きながら、友達とさよならする瞬間が悲しかったあの頃を思い出す。私はあの頃なりたかった大人になれているだろうか。「大人」は何でも知っているわけじゃないし、何でも解決できるわけじゃなかった。それでも、大人は楽しいよ、アオヤマ君。

「君の名前で僕を呼んで」

1983年の北イタリアが舞台のティモシー・シャラメ主演の映画。公開されたときに新宿の映画館で観た以来なので、おそらく5年ぶりに観たのだけれど、夏にぴったりの作品だった。

避暑地でティモシー・シャラメ演じる17歳のエリオと大学院生オリヴァーが出会い、お互いに惹かれていくひと夏の恋の物語。北イタリアのまぶしい夏の映像がとても美しくて、外で楽譜を読んだり、気ままにピアノを弾いたり、自転車で走り回ったり、川に飛び込んだり、ひとつひとつの映像がきらめいていた。

そして、この恋は当時であればおそらく時代背景的に反対されてしまうような恋(オリヴァーも映画の中で「自分の親が知ったら矯正施設行きだ」とエリオに話している)なのだけれど、エリオのお父さんとお母さんがとても温かく見守ってあげている姿にとても感動してしまった。

駅でオリヴァーと別れた後、落ち込んだエリオがお母さんに電話をし、「迎えに来てくれないか」と泣きながら伝えているシーンで、エリオが心の底からお母さんを信頼しているんだなぁと心がきゅっとした。

「人は早く立ち直ろうと心を削り取り
30歳までにすり減ってしまう
新たな相手に与えるものが失われる
だが、何も感じないこと、感情を無視することはあまりに惜しい
今はまだ、ひたすら悲しく苦しいだろう 痛みを葬るな 感じた喜びを忘れずに」

「君の名前で僕を呼んで」

オリヴァーとの旅を終えて別れに苦しんでいるエリオにお父さんが「おかえり」と声をかけ、この言葉をかけてあげるシーンがある。「痛みを葬るな」ってとても良い言葉だと思う。きっといま辛いということは、それだけ喜びがあった証拠。

「感じた喜びを忘れずに」

この映画は、ラストのクレジットのティモシー・シャラメの演技が最後まで本当に素晴らしいと思う。

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最近は、ちょっと暗くなってから夫とアイスを買いに出かける瞬間の空気がとても好きだ。夏の夜の映画館に行くときの空気の温かさと同じで、「ああ、夏のこの時間帯の空気が好きだ」といつも思う。

そうだ、秋が来るまでに、たくさんの映画を観よう。


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