Tsvi Sadan

日本に生まれ育ちイスラエルに帰化したものの、24年間住んだエルサレムを離れ、42年半ぶ…

Tsvi Sadan

日本に生まれ育ちイスラエルに帰化したものの、24年間住んだエルサレムを離れ、42年半ぶりに秋田県由利本荘市に移り住みました。日本で立ち上げた私塾「ユダヤ流人生の知恵」と人生・意識・言語について綴っています。つながる: https://linktr.ee/tsvisadan

最近の記事

頭の知能(指数)・心の知能(指数)・魂の知能(指数)

単に知能(指数)と言うと、頭の知能(指数)を指すのに対して、心の知能(指数)、そして魂の知能(指数)というものが提唱されています。心の知能(指数)の方は聞かれたり読まれたりしたことがある方も少なくないはずですが、魂の知能(指数)の方は馴染が薄いかもしれません。 魂の知能(指数)という考え方に初めて触れたのは今から約6年前になり、それから当時色々探してやっと見つかった数少ない英語の本を貪るように読んだことがあります。 しかしこれら3種類の知能(指数)はそれぞれ独立した「点」

    • 私塾「多(他)言語脳」閉鎖のお知らせ

      1 はじめに突然ですが、そして志半ばで不本意ながら、諸般の事情から私塾「多(他)言語脳」を閉鎖することにしました。一番の理由は、メインでやっている別の私塾「ユダヤ流人生の知恵」と二足の草鞋を履き続ける時間的・精神的余裕がなくなってしまったからです。 半年間という短い間ですが、お付き合いくださりどうもありがとうございました。この私塾「多(他)言語脳」の枠組で毎週日曜日朝に配信している投稿もこれが最後になります。そして関連のウェブサイト・フェイスブックページ・ライン公式アカウン

      • ある問題を引き起こしたのと同じレベルの意識のままではその問題を解決することはできない

        このような主旨のことをかのアインシュタインが言っています。頭だけの理解だけではなく、自分の(それも痛い思いをして得られた)直接体験の後ではこの言葉の重みがはるかに増します。 この言葉通り、まだエルサレムに住んでいた頃にある大きな内的問題を抱え、それが自分だけでなく周囲にもさらなる問題を引き起こすようになって、外圧もあって受けた心理カウンセリングは、今思えば、この問題を引き起こしたのと同じレベルの意識のままでその問題を解決しようとするものでした。結局、問題は悪化し、カウンセラ

        • ロシア語の世界

          日本では例えば毎年新学年が始まる前に、英語の次の他言語を大学生たちが選択するために、それぞれの言語の先生たちがその言語の宣伝をするのが恒例になっているはずです。この宣伝でよく言われるのは、その言語の使用者の多さ、それを知ることで得られる経済的利益といった物欲を刺激するようなものばかりという気がします。 しかしある言語をいくら学んでも、その話者たちとそのメンタリティー、あるいはその文化的遺産と相性が合わなければ、その言語に対して嫌気がさす人もいるのではないでしょうか。かく言う

        頭の知能(指数)・心の知能(指数)・魂の知能(指数)

          すべてを知らなければいけないという強迫観念からの解放

          19年ぶりにイスラエルから日本に移り住んでみると、様々な文化的な違いはたしかに目につきはしますが、それよりも両社会だけでなく、おそらく世界中すべての社会にも当てはまると思われるある根源的な共通点の方にはるかに目がいきます。それはどの社会でもほとんどの人は自我の幻想に支配されて生きているだけでなく、このこの自体にも気づいていないように見受けられることです。 多くの人とその人生を支配している自我の幻想の最たるものがその思考の幻想です。そして自我の思考の中でも見ていて特に気の毒に

          すべてを知らなければいけないという強迫観念からの解放

          イディッシュ語の世界

          日本で普通に生活していると、イディッシュ語に触れる機会はないだけでなく、その名前を聞くことすらないはずです。日本でイディッシュ語を学んだり研究したりしている人たちでも、生きた言語としてのイディッシュ語の世界に触れたことがない場合は少なくないかもしれません。この意味ではとても敷居の高い言語と言うこともできます。 イディッシュ語とは、ユダヤ民族の離散の地で生まれた数々のいわゆるユダヤ諸語の中で最も有名なものです。ホロコースト以前には東欧を中心に約1000万人の母語話者を数えてい

          イディッシュ語の世界

          日本では皆一体何にそんなにビクビクしているのか

          まだイスラエルに住んでいて、講演を名目に日本に大体毎年1回来ていた頃も、去年の10月始めから日本に移り住むようになってからも、とても心配になる社会的な現象があります。それは多くの人が何かにビクビクしているようにしか見えない、感じられないことです。 これが個人レベルに留まらず、集団レベル、そこには否定的なエネルギーが充満してしまい、昔は自分までこの否定的なエネルギーに感染してしまうのを感じたものでした。それが自分でも驚くことに、エルサレムでハシディズムを体系的に学んだ後はこの

          日本では皆一体何にそんなにビクビクしているのか

          古典ヘブライ語の世界

          ヘブライ語と一口に言っても、古典ヘブライ語と現代ヘブライ語とに大きく分けられます。前者はさらに3つの大きな時代区分が可能ですが、ここでは敢えて区分せずに古典ヘブライ語とし、現代ヘブライ語とは異なるものとして、その世界に魅了された個人的直接体験をご紹介します。 本題に入る前に、現代ヘブライ語について一言。現代ヘブライ語と古典ヘブライ語の関係は、他の民族語の古典ごと現代語の関係とは本質的に異なっています。なぜなら、現代ヘブライ語とは古典ヘブライ語が有機的に発展して到達した現代の

          古典ヘブライ語の世界

          ユダヤ流人生の選択の方法

          進学・就職・結婚といった大きな選択から、今何をするか(あるいはしないか)といった小さな選択まで、人生において私たちは常に選択を求められています。その際に皆さんはどんな基準に基づいてそれぞれの選択をされていますか。すべての選択はある共通の確固たる基準に基づいてなされるものですか、それともその時々の思いつきでなされるものですか。 人間を動物と分ける最たるものが、言語と並んで、自由意志に基づいて選択することができるということです。しかし、日々の生活で繰り返しなされる小さな選択だけ

          ユダヤ流人生の選択の方法

          他言語学習で広がる世界

          英語の(再)学習だけでも大変だと思われている方も少なくないかもしれません。たしかに、母語を含めてどの言語でも、その学習には言い出したらきりはありません。 完璧主義を貫く代わりに、不完全でもその恩恵に浴するということを考えてみると、単なる実用のためだけでなく、自分の世界を広げるために英語以外の言語をかじるだけでもぜひ学習してもらいたいと思っています。 以前「学んでよかったと思える言語」ということで、英語・ヘブライ語・イディッシュ語・ロシア語を挙げました。正確には、ヘブライ語

          他言語学習で広がる世界

          レッテル貼りと言語化

          30年近く携わってきた言語研究をやめることにした最大の理由のひとつは、覚醒の一環として言語の本質の負の側面に気づいてしまったことです。それはレッテル貼りという言語の本質的な機能です。少なくとも霊的には不可分の統一体・単一体である宇宙を恣意的に分節するのが言語のこの機能です。 例えば、何かに名前をつけてしまったら、もうその名前というレッテルを通してしかそのものを見れなくなってしまうのが普通です。これは他人の名前だけでなく、自分に貼りつけられた名前でも同じことです。名前こそが自

          レッテル貼りと言語化

          コロケーションと他言語学習

          単語と単語の結びつきには、その制約の種類と度合いに応じて、少なくとも以下の4つがあります。 自由な結びつき(例えば、数詞と名詞の結びつき): 例えば、one conclusion, two conclusions, etc. 文法的な結びつき(例えば、動詞と前置詞の結びつき): 例えば、arrive at, arrive in, etc. 慣用句: 例えば、in conclusion, by way of conclusion, etc. コロケーション: 例えば、a

          コロケーションと他言語学習

          誰かについて知ることと誰かを知ることの本質的な違い

          日本に移り住んでから感じるのは、国や文化は違っても、おそらく世界中の多くの人の間に存在するであろうある共通点です。残念ながら、それは否定的な共通点です。しかしそれを克服することも可能です。 この否定的な共通点とは、誰かについて知れば知るほど、その人を知ることにつながるという思い込みです。誰かについて知るとは、端的にはその人の経歴、つまり人生体験の軌跡を知ることです。 しかし実際には人生体験とはその人が体験したことであって、その人そのものではありません。つまり経験には経験者

          誰かについて知ることと誰かを知ることの本質的な違い

          コーパスと他言語学習

          (今回は少し専門的な話になります。) 言語学、特に辞書学において、引いては他言語学習において、今から約30年前にある革命が起こりました。コーパス革命と呼ばれるものです。コーパスとは膨大な量の文書を集めたもので、普通は電子文書を指します。 三省堂の「ウィズダム英和辞典」を私が個人的に気に入っていて、英語学習者にも勧めている大きな理由のひとつは、この英和辞典はコーパスを辞書編纂に本格的に用いた最初の英和辞典だからです。この辞書編纂のために三省堂が特別に構築した電子コーパスの規

          コーパスと他言語学習

          問題解決のために必須の第1歩

          人生で遭遇する様々な問題を含む、おそらくどんな問題であっても、その解決のために必須と思われる共通の第1歩は何だと皆さんは思われますか。 それは自分が問題を抱えているということを自覚することです。周りからその問題を指摘されるだけでは不十分なのです。問題を自覚することで、それを解決するための重い腰を上げることにつながります。つまり問題解決のために必須の第1歩ということになります。 それでは問題を自覚するのはいつなのでしょうか。それは残念ながら多くの場合、その問題が自分あるいは

          問題解決のために必須の第1歩

          読む・書く・聴く・話すの4技能

          新しい言語を学び始める際に、動機と並んで大切なのが、読む・書く・聴く・話すの4技能のうちのどれをどれだけのレベルまで高めたいのかということをあらかじめ決めておくことです。これを決めないままに学習を始めるのは、目的地を決めないで旅に出ようとするようなものです。 つまり、まずは4技能をすべて見につけないといけないという一種の強迫観念は捨てて、自分が本当に必要な技能に集中することです。そして集中することにしたその技能でも、完璧を目指す代わりに自分の目的が叶うレベルで満足することを

          読む・書く・聴く・話すの4技能