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イディッシュ語の世界

日本で普通に生活していると、イディッシュ語に触れる機会はないだけでなく、その名前を聞くことすらないはずです。日本でイディッシュ語を学んだり研究したりしている人たちでも、生きた言語としてのイディッシュ語の世界に触れたことがない場合は少なくないかもしれません。この意味ではとても敷居の高い言語と言うこともできます。

イディッシュ語とは、ユダヤ民族の離散の地で生まれた数々のいわゆるユダヤ諸語の中で最も有名なものです。ホロコースト以前には東欧を中心に約1000万人の母語話者を数えていましたが、ホロコースト以降は北米・南米・ヨーロッパ・旧ソ連・オーストラリア・南アフリカそしてイスラエルを中心に、世界中でおそらく約100万人の母語話者がまだ存在し、そのほとんどは居住国の主要言語と併用しながら生活しています。

私が初めてイディッシュ語という言語があることを知り、興味を持ち出したのは、イスラエル留学の前にヘブライ語を独習し続けるかたわら、ユダヤ民族史を読み漁っていた時でした。留学先の大学ではヘブライ語でイディッシュ語を3年間学びました。同じように大学でイディッシュ語を学んだ人たちとたくさん知り合うようになり、彼らとはイディッシュ語で話すようになりました。とはいうものの、このイディッシュ語は半人工的なものでした。

とはいうものの、母語話者のイディッシュ語を耳にする機会はそれなりにありました。ユダヤ教でもイスラエル国家でもなく、イディッシュ語に自らのアイデンティティーを求めるイディッシュ主義者たちの集まりだとか、ヘブライ語を日常語として話すことを拒み、イディッシュ語を話し続けている一部の超正統派の人たちとエルサレムの街で会った時にだとかです。

純粋に言語学的にも文化的にもますます惹かれ、イディッシュ語は現代ヘブライ語そしてエスペラント語と並んで研究対象の1つにしていました。その後、イディッシュ語人生の大きな転機が訪れました。この言語を使う自然な環境で生活した経験すらないので、家庭内言語として使うことになったのです。

モスクワの同化ユダヤ家庭に育ち、イディッシュ語研究を志す女性を結婚することになったのです。結婚までのちょうど1年間の遠距離交際の間、そして約1年半で終わった短い結婚生活の間は、イディッシュ語をずっと使っていました。今思い返しても、おもしろい「人体実験」だったと思います。

その後、さらなる転機が訪れることになりました。離婚後に触れることになり、その後の人生を大きく変えることになったハシディズム、より正確にはハバド派ハシディズムに関連した新たな用途ができたのです。エルサレムに住むハバド派のラビたちの一部とは口頭で話すという形、もう他界している最後の指導者が残した膨大な量の説教を録音したものは聴くという形が主な使い道です。

日本に移り住んでからは、もっぱら後者だけになりました。平日の毎朝起きて一番最初にすることのひとつはイディッシュ語のよるこの説教の録音 (The Daily Sicha) を聴くことです。例えば私の元妻のようにイディッシュ語だけできても、ハシディズムを学んだことがない場合は、話の内容はあまり理解できないのではないかと思います。

ということで、日本ではイディッシュ語を話す機会は神戸のシナゴーグを訪れた時だけです。といっても、話せるのはラビだけです。4月に過越祭を祝うためにここを訪れた際に半年ぶりにイディッシュ語を話す機会がありました。話の内容がハバド派ハシディズムだったせいもあってか、エルサレムにいた時よりもイディッシュ語がはるかに流暢になっていたのには自分でも驚きました。

前回の投稿でお話した古典ヘブライ語ほどではないにしても、イディッシュ語を話したり聴いたりしていると、現代ヘブライ語よりもはるかにユダヤ的伝統を肌で感じます。

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