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ロシア語の世界

日本では例えば毎年新学年が始まる前に、英語の次の他言語を大学生たちが選択するために、それぞれの言語の先生たちがその言語の宣伝をするのが恒例になっているはずです。この宣伝でよく言われるのは、その言語の使用者の多さ、それを知ることで得られる経済的利益といった物欲を刺激するようなものばかりという気がします。

しかしある言語をいくら学んでも、その話者たちとそのメンタリティー、あるいはその文化的遺産と相性が合わなければ、その言語に対して嫌気がさす人もいるのではないでしょうか。かく言う私自身、その1人です。英語を唯一の例外として、こうした文化的相性が合わない言語はどうしても続けることができませんでした。

逆に、食わず嫌いのまま、ある言語に偏見を持っていたものの、何らかの偶然によってその話者たちと直接交流する機会を持つことになって、その言語に興味を持つようになるということもあるはずです。私の場合、こうした言語の筆頭がロシア語でした。

そもそもロシア語を学ぼうと思い立ったのは、イスラエル留学前にまだ日本で言語学を専攻する大学院生だった頃でした。今では一般言語学の専門文献は英語だけで事足りることが多くなりましたが、当時は専門文献を読むためにドイツ語・フランス語・ロシア語も学ぶのがかなり一般的でした。

こう思って学ぼうとしたロシア語は、いい教科書にもいい先生にも恵まれず、低空飛行を続けるまま、中々離陸できずにいました。その後1988年秋からイスラエルに留学して、ヘブライ語でロシア語を学ぶことになりました。この講座で出会った教科書も先生も、これまで習った初級講座では群を抜く素晴らしたでした。

ロシア語の話者たちとの最初の出会いは1989年のソビエト連邦崩壊に伴って、そこからイスラエルに押し寄せてきたロシア語を話す移民たちとでした。中でも、ユダヤ系のいわゆるインテリゲンツィヤとの出会いは衝撃的で、ロシア語に対する興味は専門文献を読むための道具から、それ自体が目的になっていったのです。

その後2004年秋からイスラエルの大学でヘブライ語学の専任講師として働き始めるようになって最初の国際学会での発表のために訪れたのがモスクワでした。その際、見聞きしたことにとても感銘を受け、ロシア語に対する興味はさらに増しました。

さらにその後2016年夏にはモスクワ出身で同業者の女性と結婚することになり、1年間の遠距離交際中と1年半で終わってしまった結婚中は何度かモスクワを訪れ、ロシア語話者でなければ見れないような閉じた世界の内側まで見る機会を持ち、ロシア語にさらに魅了されるようになりました。

ロシア語の話者たちの相性はどうも昔からとてもよかったようで、イスラエルの大学で定職を得る前に日本で約10年間教えていた留学生向けの日本語講座で、一番相性がよかったのがロシア(とポーランド)からの学生たちでした。結婚中にはモスクワ郊外で開催された言語学サマースクールに元妻と参加して、晩の余興プログラムで伝統的東欧ユダヤ民俗ダンスを教えたことは、長い教員生活の中で持った教えるという経験の中でも最も充実したものでした。これも学生たちとの相性が抜群だったからです。

離婚後一旦下火になっていたロシア語への興味が再燃したのは、2020年秋に大学を早期辞職した頃でした。ユーチューブで英語の字幕付きで見れるロシア語のテレビドラマにはまるようになってしまったのです。その後ロシア語の体系的な学習を再開して今に至っています。

去年秋に日本に移り住むことになって、今住んでいる秋田県由利本荘市に隣接する秋田市ではロシア出身の女性からロシア語の個人指導を毎週1回受けています。この4月から教え始めた、音読の繰り返しで他言語脳を作るという講座でやっていることを自分のロシア語学習にも今応用しています。そして相性抜群のこの先生の指導の素晴らしさもあって、ロシア語はこの半年間で大分上達しました。せっかくなので、毎回の授業での対話の内容を文章にまとめて添削してもらった後で、ブログにもしています。

これまで学んだ色々な現代語の中でもロシア語は最も難しい言語です。最初に学び始めてからもう35年にもなりますが、学習・習得が容易なエスペラント語を1年間学んだ後のレベル程度にしかまだ到達できていない気がします。それでも、ロシア語の学習継続に対する動機・意欲はこれまでで最高です。ある大きな目標があるからです。いつか皆さんにもお話する時が来るかもしれません。

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