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すべてを知らなければいけないという強迫観念からの解放

19年ぶりにイスラエルから日本に移り住んでみると、様々な文化的な違いはたしかに目につきはしますが、それよりも両社会だけでなく、おそらく世界中すべての社会にも当てはまると思われるある根源的な共通点の方にはるかに目がいきます。それはどの社会でもほとんどの人は自我の幻想に支配されて生きているだけでなく、このこの自体にも気づいていないように見受けられることです。

多くの人とその人生を支配している自我の幻想の最たるものがその思考の幻想です。そして自我の思考の中でも見ていて特に気の毒になるのが、すべてを知らなければいけないという強迫観念です。これは学校教育という一種の集団洗脳の影響もあるかもしれませんが、誰かあるいは何かについてすべてを知らなければいけないという思いにかられて頭を悩ませたり詮索したりする一方で、あるいはそうすればそうするほど、その誰かあるいは何かの本質からはどんどん遠ざかっていってしまっているのです。

例えば、誰かの名前やこれまでの経歴をいくら知ったところで、その人の本質を知ることにはならないのに、多くの人はどうしても前者にこだわってしまっているようです。

これよりも厄介に思えるのは、すべての問には人間の限られた理性で導き出せる答が必ずあると思い込んで、ああでもないこうでもないと、これまた頭を悩ませたり詮索することです。これは知識欲とは本質的に異なる、一種の強迫観念に思えてなりません。

そもそも、情報や知識だけを溜め込んでも、有意義な人生に直結するとは思えません。本当に大切なのは知恵の方であるという思いは強まる一方です。知恵を伴わない知識は危険にすらなります。この意味で、断片的としか思えない知識の量だけを子どもたちに競わせるようなクイズ番組は、出演している子どもたち本人に壮大な勘違いをさせ、見ている子どもたちにも間違ったメッセージを送ることになっていないかと心配です。

人生には知り得ないこともあるという事実を受け入れて謙虚になることも知恵の大切な一種でしょうか。そしてすべてを知らなければいけないという強迫観念から自らを解放することで、自分という器に溜まった、あるいは詰まった思考のゴミは処分され、それによって空いたところに宇宙の叡智とでも言うべきものが、例えば直感という形で降ってくることは身を持って体験するようになりました。

PS: つながる

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