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読む・書く・聴く・話すの4技能

新しい言語を学び始める際に、動機と並んで大切なのが、読む・書く・聴く・話すの4技能のうちのどれをどれだけのレベルまで高めたいのかということをあらかじめ決めておくことです。これを決めないままに学習を始めるのは、目的地を決めないで旅に出ようとするようなものです。

つまり、まずは4技能をすべて見につけないといけないという一種の強迫観念は捨てて、自分が本当に必要な技能に集中することです。そして集中することにしたその技能でも、完璧を目指す代わりに自分の目的が叶うレベルで満足することを知ることも大切です。

もちろん、これはさらなる高みを目指す努力をやめてもいいという意味ではなく、非現実的な目標を立てることは、言語学習が自己目的化していまう危険を招くという意味です。例えば、その言語で書かれた専門文献が読めるようになることが目標であれば、他の3技能に貴重な時間と労力とお金を投資するのは無駄ですし、それ以外の分野に脇目をふることも、少なくとも学習当初は無駄です。

学習の動機によっては、これら4技能すべてを、それもできれば母語話者並のレベルまで高めたいと思う場合もあるでしょう。私自身、その後イスラエルの大学でその仕組を教えることになったヘブライ語の場合、そうでした。

それでは、読む・書く・聴く・話すという4技能の中でどの技能が身につけるのが一番難しいのでしょうか。どの技能にもそれぞれ難しさはありますが、強いて1つ挙げるとすれば、書くという技能だというのが、少なくとも現時点での個人的な結論です。

特に、文体的な問題になってくると、母語話者との間に絶対的な壁を感じます。研究論文を書いていた頃は、英語でもヘブライ語でもかならず母語話者、それもその専門分野に精通した母語話者に文体を確認・修正してもらっていました。

これらの4技能の中で話すのが一番難しいと思っている人が日本ではおそらく一番多そうです。話す内容にも、場面にもよりますが、例えば日本語ですら話さない人が、他言語では話すということは普通ありません。これに対する一種の反論として、話す言語によって性格まで変わったように感じるという話はよく聞きますし、私自身そういう時がありましたが、これは言語を使っているというよりも言語に使われているという段階だと今あらためて思います。

話すことはできないけれでも読むことだけはできると思っている人もおそらく少なくないでしょう。これも読み方のレベルによります。字面の意味だけを理解するという読み方を超えた、日本では触れる機会がおそらくないと思われるもっと深い読み方もあります。例えば、タルムードを学ぶ時の読み方です。こればかりは文字では説明ができません。機会があれば、いつか日本でもご紹介したい読み方です。

最後に残った聴くという技能ですが、これにもある大きな落とし穴が潜んでいます。これは単なる言語能力を超えた次元のものです。本当に聴くという技能は母語でも多くの人ができなくなっている技能です。これは傾聴と呼ばれています。仮に、試験といったような温室的な特別な文脈ではできても、普段の文脈でも続けることは単なる言語学習だけでは身につかない特別な技能です。母語でも難しいものです。

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