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誰かについて知ることと誰かを知ることの本質的な違い

日本に移り住んでから感じるのは、国や文化は違っても、おそらく世界中の多くの人の間に存在するであろうある共通点です。残念ながら、それは否定的な共通点です。しかしそれを克服することも可能です。

この否定的な共通点とは、誰かについて知れば知るほど、その人を知ることにつながるという思い込みです。誰かについて知るとは、端的にはその人の経歴、つまり人生体験の軌跡を知ることです。

しかし実際には人生体験とはその人が体験したことであって、その人そのものではありません。つまり経験には経験者がいるということであり、経験の目的語は経験者ではありえません。そしてこの経験者こそがその人そのものなのです。

この両者を混同して、誰かについて知れば知るほど、皮肉にもその人の本質からはどんどん遠のいてことになります。なぜかと言えば、この本質とは基本的に無関係なレッテル貼りをどんどんしていくことで、一種の虚像を自分の頭の中に作り出していくことになるからです。そして最も厄介なレッテル貼りとは自分に対するレッテル貼りです。残念ながら、この幻想に気づいている人はどの国でも多くありません。

少し前にこの落とし穴に気づくようになってからは、そこに陥らないようにするための自己防衛策として個人的に実践し続けていることは、誰か新しい人に初めて会った時には、その人については敢えて何も聞かずに、その人のエネルギーを感じるようにすることです。

これはその人に対する無関心を意味するものではありません。実際はその逆です。その人の本質を知るための邪魔になることが多いことからは敢えて自らを遠ざけておくということです。今後の成長次第では、このような自己防御策が不要になる日がやってくることもあるかもしれません。

この最後の点にも関係するある忘れられない衝撃的な体験を比較的最近したことがあります。通算で24年間住んだエルサレムを昨年9月末に離れる2日前に同じくエルサレムに住むある高名なラビに相談に行った時のことです。このラビは人の魂が読めると噂されていて、彼のたった数分間の助言を求めるために、世界中から色々な人たちが彼の元を訪れます。会いに来た人たちについて質問は一切なく、相手の目をじっと見つめるだけで、その相手が求めている人生の助言をしてくれるのです。私自身、このラビにお会いして、目を見つめられた時に、瞬時に本質を見抜かれたと感じ、その直後に彼から受けた人生の貴重な助言は魂と深く共鳴する内容でした。

PS: つながる

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