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ある問題を引き起こしたのと同じレベルの意識のままではその問題を解決することはできない
このような主旨のことをかのアインシュタインが言っています。頭だけの理解だけではなく、自分の(それも痛い思いをして得られた)直接体験の後ではこの言葉の重みがはるかに増します。
この言葉通り、まだエルサレムに住んでいた頃にある大きな内的問題を抱え、それが自分だけでなく周囲にもさらなる問題を引き起こすようになって、外圧もあって受けた心理カウンセリングは、今思えば、この問題を引き起こしたのと同じレベルの意識のままでその問題を解決しようとするものでした。結局、問題は悪化し、カウンセラーももうお手上げで、もう来るなと言われて、1年半続いたこの心理カウンセリングはあっけない終わりを迎えました。
偶然にもその直後に同じくエルサレムで受けることになったグループでのユダヤ式ライフコーチングは、これまた今思えば、まずは意識のレベルを変えることで問題解決のための土台作りをすることから始めるもので、10回のセッションで自分でも驚くような変化が訪れることになりました。そしてこの変化に感動して、このコーチングの元になっているユダヤ教のハシディズム、より正確にはその心理学をエルサレムの特別な学校で3年間体系的に学んだことはこれまでにもお話しした通りです。
こうした直接体験を経た後では、意識のレベルは変えないまま、その低いレベルの意識が引き起こした問題を解決しようとしている人たちに遭遇してしまうと、他人事ながら、とてももどかしく感じてしまいます。そしてこのもどかしさは三重のものでもあります。
まずは、自分の意識のレベルをまずは変えなければ、問題の根本的な解決にはつながらないことをこうした人たちは気づいていないとしか思えないことに対するもどかしさです。次に、自分の意識自体が問題であるということにもおそらく気づいていないことに対するもどかしさです。最後に、この2点を言葉で説明しても、本当には理解してもらえないことに対するもどかしさです。
この問題は個人だけでなく社会集団にも見受けられます。後者の例のひとつがエスペラント運動です。運動自体にはそれほど深くかかわってはいなかったものの、その中核となるエスペラント語には大学勤務時代かなり深くかかわっていました。ユダヤ式ライフコーチングを受け、さらにはその元になっているハシディズムを学んだ後では、この運動ももどかしくおもえてならなくなりました。
エスペラント語の提唱者であるザメンホフが考えたエスペラント運動の究極の目的である人類の統合の最大の障害にになっているのは、皮肉にもエスペラント語そのものであるという思いは増す一方です。
ザメンホフが考えたように、人類を分断しているものが言語だとすれば、言語をもってしてはこの問題を根本的に解決することはできないのです。理想はともかくとして、少なくともこれまで私が直接体験してきた限りでは、エスペラント語を通してエスペラント運動というあらたな集団自我を生み出してしまったにすぎないのです。
レッテル貼りという言語の闇の部分を意識し攻略しないかぎり、いくら「中立的」言語を考案して使ったとしても、人類の統合は見果てぬ夢のままに終わってしまいます。実際、個人のエスペランティストたちによる個人的・集団的レッテル貼りはは直接的にも間接的にも何度も何度も遭遇してきただけでなく、エスペラント運動の世界的組織がマスゴミのプロパガンダを盲信してある集団を悪魔化していることを最近目撃しました。
ザメンホフは当時のロシア帝国領内では珍しかったユダヤ啓蒙主義者の父を持っていました。つまり一種の理性盲信者でもあったわけです。当時すでに広まっていたハシディズムという理性を超越する教えに触れることができていれば、彼の言語観も根本的に変わっていたかもしれません。
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