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もう既に日付がわからない。


9/2のことだったかな、
夕方から父が不調で…夕食の頃になってもダメで。
息苦しそうで呼吸も荒くて、
ぼんやりとして返答もないから、
熱中症っぽいのか、誤嚥性肺炎が悪化しているのか、
はたまた、遂にコロナなのか。
真剣に観察して、消去法で確認しながら対応しつつ、
体を冷やしたり、口腔ケアとアイスマッサージをし、着替えさせたり、

だけど、これらはまだ日常でもあるので、母も共にテキパキと。

けど、肺のこともあるから、
一旦、ベッドに寝かせてみてどれくらい苦しいのか、
本当に肺なら横になるのも辛いだろうからと提案したけど、

母からすると、これに関してはもう非日常だから。
テンパって。

そんなことする体力はないとか、ムリだとか、
スケジュールが間に合わないとか、

私からすると、
いやもう、ベッドに連れてくしかないし、
万が一、コロナならヘルパーさん断らなきゃだから
早めに判断するためにも、スケジュールとか、今関係ないし、
もし、横になって楽になれたら、それだけで良いし。

残念ながら、車椅子が完全に倒すことができない物のため、
父の容態にあわせて寝かせたくても、
角度が半端すぎて、余計にしんどいらしく、
体調をはかるには紛らわしいのなんの。

恐怖を目の前にして、不安になったとき、
優先順位が見えなくなったり、
なぜか、「いつもどおり」を実行したりする。
迷ってるからなのか、落ち着くのか、分からないけど、
応戦していかないと。っておもう。

私は幼い頃から、なにかが欠けていて
平淡で落ち着いた大人しい波の中で生きてきた。
絶叫マシーンに興奮しないし、声も出ないし、
幽霊もおばけも怖くないし、驚かないし、
高いところからの景色も怖くないし、
ということで、よく怪我をした。
周囲が緊迫する中でなにも感じない。
いいのか悪いのか、冷静で、
被災用のグッズや保存食も黙々といつも揃えては入れ替えていたり、
どこまでが当然で、どこからが不思議なことがはしらないけれど、

親のこととなっても
冷静に動いていた。

でもこれって、妹が2歳?の頃に
泡吹いて発熱してるのを見つけたときの私の冷静さと同じかな。

プールで溺れてる妹を探してるときとか
お風呂で頭から突っ込んで溺れた妹を助けたときとか

「必死すぎる」という部分なのかな。

それが、パニックになってしまう、という人との差は
性格というよりかは、シュミレーション……?

被災にしても
病気にしても
治療方針にしても
前以て具体的に流れややり取りを幾度も想定していて、神経質ではある。

もう少し、話し合っておくべきかなって
その必要性を感じられただけでも、収穫!
ってことでね。

結果的に、横になってすぐ、父が
「楽になった?」と問うと、反応してくれ、
車椅子の背もたれの角度が、息苦しかったのかなと。
その後、すぐに、すやすやと落ち着いた呼吸で眠っていて。
一安心。

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